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親と子の栄冠ドラマ -中学入試体験記-

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【武蔵】逆転合格への軌跡

  • 年度:2024
  • 性別:男子
  • 執筆者:
■入室~武蔵との出会い
新小4までは、先取り学習や習い事もせずに毎日学童でドッジボールを楽しんでいた息子。
そろそろ学童も卒所となるタイミングで代わりの居場所になれば・・・そんな甘い考えで検討を始めた中学受験。家から徒歩で通え、かつカリキュラムにひかれた日能研の門をたたきました。
幸い塾でもすぐにお友達ができ、学校の授業とはまた違う魅力的な授業や先生方のおかげで、日能研はあっという間に第二の居場所となりました。帰宅してからもずっと塾の話ばかり。
日能研は「学びの喜び」をシャワーのように浴びせ、何事もじっくり考えることの好きな息子のポテンシャルを芽吹かせてくれました。

小4夏頃から志望校を検討し始め、「自由な校風の男子校に行きたい」「鉄研がある学校がいいな」などの理由で、いくつかの学校に絞っていきました。
そんな中で、最初の学校見学で小4のときに訪れたのが武蔵中学校でした。ヤギがいて、濯川が流れていて、緑がいっぱいで。都内とは思えない自然豊かなキャンパスでのびのび学ぶイメージが息子にぴったりで、親子ですっかりファンになりました。その後もあちこちの学校見学にお邪魔しましたが、最初の武蔵のインパクトを超える学校はなかなかありませんでした。今思えば、運命的な出会いだったのかもしれません。

■武蔵チャレンジへの覚悟
そんな想いとは裏腹に、成績はなかなか伸びませんでした。小5の後半にかけて成績は60台前半をウロウロ。日能研全国公開模試で武蔵のR4(67)に届いたことは数えるほどで、低空飛行が続きました。無謀とも思える挑戦に一度はあきらめかけましたが、新小6のタイミングで室長と志望校面談した際に「息子さんは武蔵に向いています、他の教科担当も全員太鼓判です」と背中を押していただき、武蔵にチャレンジする覚悟を固めました。

息子は理社が得意で、国語は凹凸がありつつも記述が書けないわけではないタイプ。武蔵の出題傾向と相性が悪くないことがわかりました。
となれば、避けて通れないのが算数です。武蔵は算数の出来で合否が決まるといってもいいほど、例年差がつきやすい科目と聞きました。算数は不得意ではないものの、計算や428などの地道な勉強が大嫌いな息子。小6の夏休みまではとにかく算数全般に注力し、穴を埋めていきました。そのおかげで、夏休みが終わる頃には何とか戦える手ごたえを感じました。
いよいよ武蔵日特も始まり、過去問添削講座も受講し、ここから本格的に頑張るぞ!というタイミングで異変が起きました。
みるみる成績が下がっていったのです。
原因は、夏休み明けから開始した「武蔵対策」でした。

■最後の合判で「再考」でも、諦めない!
武蔵の出題傾向はかなりユニークで、どんな科目でもその場で思考してアウトプットする力が求められます。もともと器用なタイプではない息子は、武蔵対策をすればするほど、公開模試のようなオーソドックスな問題が解けなくなっていきました。ついには合判模試で偏差値60を切る事態に。日特の最後のクラス替えでは一番下のクラスに落ちてしまいました。
そして迎えた12月の最後の公開模試では、4科で偏差値57。武蔵の合格判定は当然「再考」、しかも★1つです。

普通であれば、ここで志望校を再考すべきかもしれません。ただ・・・息子も私も以下の理由で諦めませんでした。
・最後の模試直前まで学校行事でクタクタで、コンディションが悪かったこと
・志望別判定は決して悪くなかったこと
・過去問添削では合格最低点を超えていたこと
・国算社の相性がよく、理科のお土産問題さえ失敗しなければ安定していたこと
・先生方もGOサインだったこと
・なぜか息子が受かる気満々だったこと(←これが一番大きかったです)

息子の長所は、とにかくポジティブなところと素直なところです。
失敗してもまずは明るく笑い飛ばし、できたところを思い切りほめる。気分が良くなったところで間違えたところをさらっと見直す。小4からそんなリズムでここまで来ていましたが、最後の模試でもそれを実施し、気持ちを切り替えて志望校対策に集中しました。
(といいつつ私の内心はかなり不安で、息子に内緒で偏差値50前後の学校の募集要項を読みあさっていましたが、息子の前では女優に徹しました)

■入試本番!2月1日の手ごたえ
そして、2月1日。新桜台駅から武蔵に向かう途中、日能研の先生方にはZoomで激励いただきました。おかげで緊張がほぐれたのか、校舎に入るまでは笑顔で談笑する余裕がありました。
しかし、いよいよ子どもたちだけのエリアになるとキリっとした表情になり、こちらを振り返ることなく校舎に入って行きました。

試験終了後。ヤギ小屋のかすかな野生のにおいをかぎながら待っていると、ひときわ青白い顔をした息子が出てきました。虚ろな目でボーッと階段を降りてきた息子を見て、「あ、ダメだったんだ」と悟りました。

「お疲れ様!お腹すいたでしょ?」「あー」
「これから車で移動するけど、お昼何食べたい?」「んー」
「教室寒くなかった?」「おー」
何を話しかけてもまったく上の空です。

午後の第四志望入試に響かないよう他の話題に切り替えて明るく話しかけていると、移動の車中で「ママ、武蔵の手ごたえ聞きたい?」とポツリ。ドキドキしながら水を向けると、記憶を反芻するように、ゆっくり手ごたえを話し始めました。
各科目、それぞれの手ごたえを話したあと、
「これまでやってきたどの過去問よりも超自信ある。全科目、これ以上ないってくらいの答案が書けた。何より、解いててめっちゃくちゃ楽しかった!!!」

放心状態に見えた息子ですが、本人の手ごたえは「会心の出来」だったのです。
これでもしご縁がなかったとしたら、周りの子たちがすばらしかったということ。本番で息子なりのベストを尽くせたことが本当に嬉しくて、正直なところ合否は二の次で、息子の中学受験はもう大成功だと感じました。

■2月3日の合格発表まで
1日の午後は、第四志望の2科目受験。暗くなるまで戦い抜き、長い1日が終わりました。
午後の結果は夜中に出る予定でしたが、疲れ果てて翌日の朝に見る約束をして就寝。翌朝5:30に目覚め、Webを確認すると「合格」の文字が!
第四志望校も大好きな学校でしたので、ほっと一息ついて2日の第二志望校へ。適正校でしたが、過去問との相性が最後まで悪く、「算数と理科でやらかした・・・」と苦笑して出てきました。
2日は発表がなかったので、ふわふわとした感覚のまま就寝しました。

翌3日。泣いても笑っても、9:00に武蔵の合否が分かります。
第三志望校に送り出す際、「悪いけど9:00の発表は先に見るから、試験が終わったら結果を言うね」と伝え、見送りました。
1日午後の第四志望校の入学金振込み期限が3日のお昼だったので、結果次第ではそちらに手続きをしなければならないからです。

そして、9:00のWeb発表。
緊張のあまりPWを間違え、バタバタ慌てて9:02にクリックすると、ピンク色の画面で「合格」の文字が。
合格を信じてはいましたが、思わず声を上げてしまいました。日能研へすぐに報告の電話を入れると、先生も「やりましたね!すごい!おめでとうございます!!」と喜んでくださいました。

13:30頃、第三志望の試験を終えた息子と合流。周りに人がいない場所まで移動してからスマホでWEB発表の画面を見せました。周囲に遠慮しつつ、小さくガッツポーズして小声で「よっしゃああ~~~」とつぶやいた息子。嬉しさ爆発というよりも、安堵の表情に見えました。
「ほらね、僕の言ったとおりでしょ?武蔵の問題、すごく楽しかったんだって。あれだけばっちり書けて、受からないわけなかったんだよ」

こうして憧れの武蔵への挑戦は、満面の笑みで幕を閉じました。
(ちなみに、適正校だった第二・第三志望とは、いずれもご縁がありませんでした。偏差値はあくまで目安、最後は相性の良さがモノを言うのだなと感じております)

■合格に寄せて~日能研への感謝
新小4からスタートした3年間の受験生活。特に小6になってからはあっという間でしたが、「失敗はまず笑い飛ばしてから振り返る」「復習はできる限りその日のうちに」を合言葉に、最後まで楽しく駆け抜けることができました。
偏差値的には厳しいチャレンジだったものの、本人の努力と強い気持ちで最高の結果を引き寄せることができましたが、それには日能研の先生方の温かく献身的なサポートがありました。特に、小6後半のきめ細かなサポートに何度も助けていただきました。

実は2月を迎える前に、1月の前受け校でも波乱がありました。不合格をもらった息子は塾で号泣したそうです。そこからの気持ちの立て直し、声掛け、最後の2週間の過ごし方など、適切にサポートいただいた日能研の先生方には感謝しかありません。
また、1年前に息子と武蔵との相性の良さを見抜き、全力で勧めてくださった慧眼にも感服するばかりです。

息子はこれからの武蔵での6年間、日能研でたえず注いでいただいた「学びの喜び」を胸に、学校生活を全力で楽しんでくれることでしょう。息子を導いてくださった日能研のみなさま、本当にありがとうございました。
今後も寄せられたドラマを、各カテゴリーに随時アップしていきます。
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