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親と子の栄冠ドラマ -中学入試体験記-

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あきらめずに粘り強く

  • 年度:2024
  • 性別:女子
  • 執筆者:
4年夏期講習から日能研にお世話になりました。4年生は模試偏差値40台でした。早めに志望校候補を探すようにと日能研の説明会などで聞いていましたが、のびしろがどのくらいあるのか分からないながら、吉祥女子中学校が志望校のひとつに浮上していました。5年生になって模試偏差値50前半になりましたがアップダウンしながら、得意は国語だけという状況でした。

成績は急上昇はしませんが、6年生で初めて応用クラスに上がることができました。そこから本人から吉祥女子を第一志望すると決意を聞きました。しかし応用クラスのレベルは高く、テストも思うようにいきませんでした。
そのせいか、体力や精神面でも疲れが出て、5月、6月は繰り返し体調を崩しました。塾のない日は放課後に学校の友達と遊んで、帰ってきても勉強時間はあまり集中できていない様子で、塾の勉強が疎かになったりで、心配になりました。育成テストや日能研全国公開模試でも成績は良くなかったものの、本人の意欲次第と思い、親からは勉強についてアドバイスはしても、勉強を強制はしないように心がけました。

6年の日能研の面談では、吉祥女子は偏差値60超えてないとかなり難しいとのお話もあり、かなりのチャレンジになるのは分かっておりましたので、ただ不安しかありませんでした。でも本人がここなら行きたいと思える併願校を考え入試スケジュールを組み、どの学校に行くことになっても、きっと良い未来があることを信じることにしました。
後期日特についても、本人は吉祥女子日特に入りたいと熱望していましたが、基準にはわずかに足りず11月にようやくギリギリの成績で入ることができました。でも一番下のクラスで入り、12月最後の模試では偏差値がさらに下がり吉祥女子のR4偏差からは10くらい下回り最下位でした。本人はかなり辛かったと思いますが、吉祥女子に行きたいという気持ちでいっぱいでなんとかクラスについていこうとがんばっていました。

本人が納得いく受験にしたい。そして本人の性格も考え、1月受験はやや多めに3校(5回)受験をしました。不合格もありましたが、そのうち第三志望の学校で合格をいただき自信をつけました。

吉祥女子の過去問はかなりの年度と回数をやりましたが、年末までに一度も合格最低点を超えることはありませんでした。元旦に4教科通して解いて初めて合格最低点を超えましたが、最低点を超えなかったことが大半でしたので、自信は持てませんでした。ただ、諦めずに最後まで過去問に取り組んで、私はこれほどやったから後悔ない入試にしたいと娘は最後まで必死に机に向かっていました。

そして、チャレンジした2/1吉祥女子。
緊張しいの娘ですが、入試後は落ち着いて会場から出てきました。他校へ移動し午後受験もあり疲れて帰り、いよいよ発表。発表が遅れるトラブルがありましたが、WEBでの発表画面をみると、、

合格!!母は大声で叫び、娘は吉祥女子に行けるとおんおん泣いて、父も大変喜びました。

今思うと娘にとっては、1月受験の経験や、過去問をやり続けて諦めなかったこと、日能研の先生方に力はついてると励まされたことが強みになり、最後の最後に花開いたのだと思います。
なかなか成績がふるわなくても、親は動じないで(フリをして)励まし続けてください。志望校に入りたいという強い目標があり粘り強く取り組んでください。何が起こるか分かりません。中学受験はあらゆる面で大変ですが、挑戦したことは娘にとって自信と力になったと思います。2年半お世話になりました。ありがとうございました。
今後も寄せられたドラマを、各カテゴリーに随時アップしていきます。
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