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親と子の栄冠ドラマ -中学入試体験記-

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右肩下がり・・・。どうする!?

  • 年度:2024
  • 性別:男子
  • 執筆者:
4年生になる手前の春期講習からほぼマル3年日能研さんにお世話になりました。6年生の夏休み明け9月の模試から見事なまでの右肩下がりの成績となり、そこから本番を迎えました。

4教科:47→46→41→42→35 2教科:44→45→39→42→32。 第一志望A中学校も第二志望B中学校もどちらも気に入っており、また、絶対に第一志望のA中学校以外は行かないということではなかったので(第一志望のA中学校は最高偏差値でも10程度上だったこともあり)第二志望のB中学校を軸に受験を組み立てました。

1月の埼玉受験で、午前(4教科)・午後(2教科)を受験するも両方とも不合格。午前は合格まで15点程度、午後は35点程度足りていませんでした。もともと国語が超苦手なため2教科の午後の不合格は覚悟していたものの、午前を落とすとは思わずかなり焦りました。模試の結果・埼玉受験での結果の流れが悪く、このまま東京・神奈川の本命に向かっていくにはあまりに怖かったので、翌日すぐに先生と相談させていただき、2日後の埼玉受験(同じ中学校)を勧められ、大急ぎで願書提出・再受験。結果は見事に合格!水物ではないですが、悪い流れを断ち切れたとホッとしましたが、子供には「ここからが本番だぞ!」と気を引き締めました。
本人は「最初のときは結構緊張したけど、二回目はそこまで緊張しなかった」と言っていたので予定通りいい練習となり、先生に相談し再受験して本当に良かったと思いました。

2/1 B中学校(午前・午後とも受験)/第二志望校 9月時点では合格圏にいたものの、12月最終では再考圏。事前情報や受験情報サイトでもかなり倍率が高くなることが予想された学校であったため不安のみ。。校舎に入り受付を済ませ、「頑張れ!」と受験会場へ送り出し、(どのご家庭も同じだと思いますが)ここまでの子供の頑張りは見ていてので「なんとか合格してほしい、変なミスだけはしないでくれ、頼む合格してくれ」という気持ちでただただひたすら控え室で待ちました。午前・午後両方不合格の場合は翌日午前も同校を受験予定のため、22時の発表を待たず子供は21時過ぎに就寝。妻と22時を待ち、いよいよその時間。まず国語で点数を稼げない2教科は厳しいだろうな、ということもあり午後の結果を確かめようとするものの、「IDかパスワードが違います」のメッセージで繋がらず。。違うはずないのに、、と思いながらもやむなく午前の結果を確認・・・結果は「補欠」。倍率も高いし繰り上がりは望み薄い=ほぼ不合格だなと意気消沈。午後は相変わらず繋がらず一旦日能研さんに状況を報告しつつ、少し時間を開けて試して欲しいとのことで電話を切ると、妻のスマホから午後の結果に繋がり「合格」の文字が!!まさかの午後・2教科での合格!妻と涙を流し喜びあいました。

3年間の苦労が報われたと思うと本当に本当に良かった、「息子よ、おめでとう!」とう気持ちでいっぱいでした。 このあと神経が昂り、私と妻は午前2時過ぎまで寝ることが出来ませんでした(笑) 2/2 A中学校(午後)/第一志望校 前日の結果を知らない息子は起床時間が遅かったことに焦り「今日B中学校受けない!?」と。前日のB中学校の結果を午前から確かめさせ、午前「補欠」を確認するもやはり意気消沈。いよいよ午後の結果の「合格」を見ると「やったーーーっ!」あまりの嬉しさに私の胸で涙を流して喜んでいました。その姿を見て私もまた涙を流しました。
「本当に3年間よく頑張った、おめでとう!」「あと最後第一志望が残ってるから最後の最後まで頑張ろう」と声をかけ「うん」と。B中学校合格の嬉しさもあり気が抜ける部分はあったと思いますが、午前中はしっかりと最後の受験勉強をし、午後の入試に向かいました。偏差値的には厳しい学校でもあったたため結果は不合格でした。A中学校は2/3にも入試はありましたが、第一志望・第二志望の差はほぼなかったため、2/3の受験はせずB中学校への進学を決め、中学受験生活に幕を閉じました。この日息子は前日の親同様、神経が昂ったようで午前3時過ぎまで寝ることが出来ませんでした(笑)

3年間本当にいろいろなことがありました。遊びたい・テレビ見たい・ゲームしたい等いろいろなことを我慢して頑張った先にあった最高の結果でした。日能研の先生方、息子を応援してくれた多くの人に感謝しかありません。本当にありがとうございました。中学受験という通過点は最高の形で通過してくれたので、この先の成長を楽しみにしたいと思います。

(参考)4年生は2教科のみ受講。「勉強する習慣」を目標に取り組み。まずここで私自身の甘さがあったと反省しています。確かに勉強する時間はしっかりと取れていましたが、今となって思うと「ただ勉強していた」だけだったように思います。この時期に「間違ってもいい。むしろ間違えを沢山してそれを出来るようにする!」という意識を本人にも植え付け「何を間違えたか、次に間違えないようにどうするか」という取り組み家庭内ですべきだったと思います。間違えたことに対する拒否感がとてつもなく強い子供なので「自分の間違えを分析する」ことを兎に角嫌がり、とりあえずやり直して先に進む、ということを許容してしまいました。親としてもっともっと寄り添って出来たことがあったんじゃないかと後悔しています。また、特に国語が苦手な息子は育テ評価「5」は一回のみでそれ以外は3、4でした。ここも漢字はもちろん、知らない単語を辞書で調べ自分の単語帳を作る等をこの時期にやっておくべきだったと思います。3年間でどれだけ語彙が増え文章をもっと読めるようになったかと思うと申し訳ない気持ちもあります・・・。

5年生からは4教科受講。最初はA1でしたが、夏休み明け9月からはA2に上がることが出来、ここから上昇気流に乗って!という親の思いとは裏腹にこの高度を保ち続けます。偏差値が全てではないのはその通りとは思いつつ、基準となる偏差値により選べる学校の幅が変わるのも間違いないので、正直「もっと頑張ってくれ」という思いはありました。5年生も勉強時間は多くとっていましたが、テストの結果はついて来ませんでした。社会の歴史は(記憶が定かではないですが)夏休み前くらいのガイダンスで「マンガでもいいので日本の歴史を読んでおくと入りやすい」という先生の助言があったので即行で全20巻を購入。この効果か歴史は全教科・全分野の中で最も得意な分野になり高得点が期待出来る分野になりました。ただ、算数・理科は育テでは5~6、国語は低空飛行を続けていました。5年生のうちに学校見学を沢山したい気持ちはありましたが、当時はまだコロナの影響もあり「6年生のみ参加可」の学校が大半で、1、2校のみ見学に行きました。本当であればここで行きたい学校が見つかりモチベーションを上げられたら良かったとは思いますが、こればかりはどうしようもありませんでした。

6年生になっても高度は変わらずでした。A2の中でも前方・中段・後方をいったりきたり・・・。今思うともう少しポイントや意図を持った勉強が必要だったと思います。そのためにももっともっと日能研の先生方を頼るべきだったと思います。

(余談)「石には”意志”があり元の場所に戻る」ということでB中学校の石を持ち帰りました(合格してその学校に戻ってくるので石を元に戻せる意)。午前と午後の間の昼休みに石を拾い持ち帰り見事午後に合格。A中学校ではB中学校の合格に浮かれ忘れてました・・・。当然これで点数が変わるわけではないですが、出来ることはなんでもしたい親の気持ちです。
今後も寄せられたドラマを、各カテゴリーに随時アップしていきます。
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