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親と子の栄冠ドラマ -中学入試体験記-

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受験までの1年間

  • 年度:2024
  • 性別:女子
  • 執筆者:本人
6年生になってから、初めの3ヶ月くらいは4、5年生の頃と同じようにまあまあ良い成績を保ち続けていたが、夏に近づくうちに私の成績はどんどん下がっていった。

受験の天王山と呼ばれる夏、夏期講習が始まった。やる課題が多すぎて終わらないものもあった。
「夏期講習が終わってから時間があるうちにまたやればいい。」なんて思っていたけれど、夏期講習がすぎて秋になってからは時間が余るようなことなんて無かった。

それから何ヶ月かすぎて11月くらいまでは成績が上がることは無かったが、国語だけは成績を保ち続けることができた。
4年生の頃は国語の面白さが全く分からず、4科目の中で一番苦手で、一番嫌いな科目だった。しかし、5年生になって国語の先生が変わった時からその先生の授業がとっても楽しいと感じられるようになった。記述が苦手だった私は、5年生の前期、後期ともに記述演習講座を受けた。周りの仲の良い友達は誰も記述演習講座を受けず、21時ごろに1人で家まで帰るのはとても寂しかったけれど、あの国語の先生の授業を受けられるのならば、別に1人で帰ることくらい平気なことだった。その努力もあったからか、どんどん成績は伸びていったということがあったのだ。それが6年生になっても活きていたのだと思う。

12月3日の日能研全国公開模試。私はあの超難関校「豊島岡女子学園中学校」で模試を受けた。
成績が下がり続けていた私は、「今日の模試も絶対ダメだ。私がこんな難関校で公開模試とか受けていいのかな・・・」と弱気になっていた。しかし、結果はめちゃめちゃ良く、4科目平均は第一志望と同じ偏差値に届き、国語に関しては偏差値が今までで一番良く、「夢なのではないか?」と思ってしまった程だった(笑)。
1番最後の模試である、その次の公開模試でもいい結果を残すことができ、自分に自信が持てるようになった。

ついに1月受験。私は3校受けた。
1校目は埼玉県の淑徳与野中学校を受け、合格。
2校目は第二志望である、愛知県の南山中学校女子部を受けたが、不合格だった。ショックを受けたものの、「第一志望校が落ちたわけではないんだ。」と思いなんとか気持ちは保てた。
3校目は愛知県の愛知淑徳中学校を受け、合格。

そして2月。
1日目午前は第一志望校フェリス女学院中学校を受け、不合格。落ちた時はめちゃめちゃ辛かったしこの先受かる学校があるか心配で焦ったけれど、なぜか何も感じなかった。その理由は、フェリスは最後に「人物考査」というものがあるのだが、私はフェリスにどれだけ入りたくてどれだけフェリスが好きか、精一杯書いたし、筆記試験でもやりきったんだって思うと、もうしょうがなかったんだなと感じたからだと思う。
午後は田園調布学園中等部の算数1科目受験をしたが、不合格。
2日目午前はまた田園調布学園中等部を受け、合格。
午後は香蘭女学校中等科を受け、合格。
3日目は午前に横浜市立南高等学校附属中学校を受け、合格。この学校は市立なので学校での通知表が合格不合格に大きく影響を与えるので、学校では成績を上げるのに必死だったから、合格をつかめた時は、「学校で頑張ってよかったー」と思った(笑)。
4日目は愛知県の滝中学校を受けたが、不合格。
ここで私の中学受験は終わった。
安全校として、私の支えとなってくれた学校にはとても感謝している。
不合格だった学校からの繰り上げ合格の電話を望んだが、来ることは無かった。

進学先は香蘭女学校に決まった。
香蘭女学校は友達から聞いて、「受けようかなー」と気軽に考えて、文化祭に一度行ったことがあるだけだった。
香蘭の受験当日。席に座っている時にこんなことを考えた。「私って本当にこの学校に行きたくて受けたのかな。ただ雰囲気だけで選んでる気がする・・・私じゃなくて『本当に香蘭に行きたい!!』って思っている子が合格するんじゃないかな・・・」しかし、結果は合格だった。「ああ。香蘭が私のことを呼んでるんだ。私はこの学校に行っていいんだ!」今、私は入学式が楽しみで仕方がない!

『後輩たちに一言!』
第一志望にも第二志望にも落ちてしまっても、受験が終わってからは楽しいことばかりです!
きっと合格をくれる学校はあるので、今までやってきた努力を忘れずに受験に挑んでください!
今後も寄せられたドラマを、各カテゴリーに随時アップしていきます。
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