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親と子の栄冠ドラマ -中学入試体験記-

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受かると思っていたのに

  • 年度:2024
  • 性別:女子
  • 執筆者:本人
私が入塾したきっかけは、二年生の二月に親に勧められて全国テストを受けた時に、先生達が優しく面白そうだった事でした。

しかし、三年生の時は中学受験に対しての意欲がなく、宿題の半分もこなせていない様な状況でした。
それでも、国語の先生が面白く、授業が好きだったので日能研に通い続けました。今思えば、ここが私の中学受験の原点だったのだと思います。

四年生の時も変わらず、宿題をギリギリになってやるような状況でした。
そんな状況でも、授業には楽しく通えていて、そんな私を両親は見守ってくれていました。
そして、行きたい中学校に行くために勉強をしていることをやっと理解しはじめ、行きたいと強く思える大学付属の学校が出来ました。

五年生になっても、志望校と自分のR4偏差が同じだったこともあり焦りがなかったのか、先生に言われた宿題をやっていただけで、とても受験生としての意識を持って意欲的に勉強出来ていたとは言えませんでした。
しかし、五年生の十二月のPRE合格判定テストで初めて四科目偏差値60を切ってしまい、今までほぼ上振れも下振れもなかった中だったので、これはまずいと思い、やっと焦りを感じ始めました。

そして、六年生になって二月と三月はその焦りをバネにして頑張れていたのですが、いつもの辺りで成績が安定してきたことで、また宿題だけをやる状況に戻ってしまいました。それが夏期講習まで続いてしまい、基本的に私に任せて何も言わなかった両親も小言を言うことが増え、それに私が苛ついてモチベーションが下がるという悪循環に陥っていました。

過去問演習が始まった九月の初めにこのままの勉強だと落ちるんじゃないかと不安になり、今まで向き合ってこなかった自分の『苦手』を潰すための勉強をしました。
そのため、余り過去問演習は進んでいなかったのですが、今思えば過去問に挑めるくらいの『道具』を持った上で、過去問を解くことが大事だったのかなと思います。
その調子で、マイペースな勉強を冬期講習が終わるくらいまで続けていました。

ついに迎えた一月。
遅いながらもようやく本腰をいれて、過去問をし始めた頃ですが、一月の受験が始まる前は、「本当に合格できるのかな」という不安もある中で、一月校と二月校の過去問を並行して進めていました。
埼玉の学校は同じ学校を、違う日程で二回受けたのですが、片方は合格で片方は不合格でした。
このことで頑張ったら合格はもらえるんだという自信も付いたし、届かない壁もあるんだという受験の厳しさも経験することができました。

千葉の学校は、約二週間後に本命の受験があるんだという緊張もありましたが普段通りに出来て、二校とも合格をいただけました。

そこから、自信も付いてさらに過去問演習に身が入るようになり、一日で三年分の過去問をすることもありました。

そして、壮行会で先生達からのエールを胸に迎えた二月一日。
ここは、第一志望ではなかったのですが、四年生の時から憧れていた学校より偏差値も高く、いわゆるチャレンジ校でした。
ついに、二月なんだという実感を感じているような、感じていないような…そんなぼんやりした気持ちで受けてきてしまいました。
午後の学校は、本命校の雰囲気に似ていて気に入っていた学校だったのですが、偏差値を見て、受かるだろうと思っていました。

午後校の発表は、22時30分だったので本命校の入試のある二日の朝に見ることにしていました。
しかし、その結果は『不合格』。
本命校にこれから向かうというのに、ショックを受けた状態で気持ちの整理もついていませんでした。
本命校の入試は、国・社・理は過去問通りできたのですが、算数で問題をよく見ていなかったため、簡単な問題を捨ててしまったことに気づいて、次の理科はパニック状態で受けてしまいました。
午後校はリベンジをするために二日も受け、気持ちを切り替えた甲斐あってか手応えはありました。

本命校は22時、午後校はその三十分後に発表でした。
正直、算数の失敗で本命校は落ちたと思っていて、また明日も試験をしてくれるから、頑張ろうと思っていました。
予想に反して結果は『合格』。
二月初めての桜の画面が、少し感慨深かったです。
さらに、三十分後に出た午後校の結果も見事『合格』でした。
多くのことを我慢してでも頑張ってきて、良かったと思いました。
今後も寄せられたドラマを、各カテゴリーに随時アップしていきます。
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