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親と子の栄冠ドラマ -中学入試体験記-

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「私、(6年の)冬期講習、行かないよ」

  • 年度:2024
  • 性別:女子
  • 執筆者:
「私、(6年の)冬期講習、行かないよ」
この言葉は、12月も押し迫り、いよいよ最後の季節講習である冬期講習が始まろうとしているときに娘が口にしたものでした。この言葉の意味をこの「親と子の栄冠ドラマ」でお伝えしたいと思います。

【中学受験には不安はつきもの】
妻も私も中学受験の経験はなく、中学受験は、不安の連続の日々でした。常に何かしら「このままでいいのか」「大丈夫だろうか」という解消できない気持ちを抱えていました。
例えば、毎週月曜日発表の育成テストや日能研全国公開模試の結果を見ては、R4偏差値表を見たり、過去の成績と比べたりしていました。塾の先生から言われている「成績では一喜一憂しないで」というのを頭ではわかっていても気持ちがなかなかついてきません。また、SNSでは「日能研では難関校には合格はできない」という書き込みを見ては、あれこれと教材を探したり、他塾に相談に行ったりもしました。

【不安が大きくなりすぎて、子供の中学受験から親の中学受験になっていく】
中学受験に挑むに当たって、不安になるのは当然とも言えますが、この不安が大きくなりすぎるといいことはありません。「あれをやったの」「これからやったら」「次はこれね」とあれこれ指図したり、「ここまでやらないと・・」「入試まで残りの日数を考えると・・・」のように親が仕切り始めたりして、親主導で中学受験が進んでいくことになります。

【不安をなくすことはできない。そうであれば、不安とうまく付き合っていくしかないと腹をくくった】
今、思い返すと、不安の気持ちは最後の最後まで消えることはありませんでした。受験勉強を進める途中から「この種の不安をなくすことはできず、もう、この不安と付き合い続けるしかない」と腹をくくりました。

【不安に対処する方法その(1):何のために中学受験をするかの目的の明確化】
しかし、単に「不安をなくすことはできない」「その不安と付き合い続けるしかない」と唱えていても何も変わらないので、2つのことをするようにしました。
一つは、「中学受験のゴール」を「志望校の合格」と置かずに、「中学受験を通じて何を目指すか」「何のために中学受験をするのか」を言葉にし、それに基づき、日々の行動を考えることとしました。もともと、志望校の合格は、自分との戦いではなく、他の受験生との戦いで、最低点でもいいので、合格者として入ることが必要です。言い換えると、自分がいかに頑張っても、他の受験生が1点でも多くとってしまえば、合格はかないません。自分ではコントロールできないことをコントロールしようとしてもできません。偏差値やクラス内の席順に一喜一憂するのは、コントロールできない結果を何とかしようとするからであって、これにこだわるのは、体がいくつあっても持ちません。結果が足りないとなれば「もっと頑張ってね」という声掛けをすることになりかねず、誰よりも娘自身の頑張りを一番近くで見ているはずの親が、子どものメンタルを削っていく悪循環になります。我が家の場合は、本来は「中学受験を通じて、自己承認を高め、自分に自信を持った人になっていく」ということを目的としていたのにも関わらず、逆の方向に向かってしまいかねません。このため、家族で「何のために中学受験をするのだっけ?」ということは折に触れて話し合いました。
こうした目的が定まってくると、軸がぶれなくなってきます。一例として、塾との面談の申し入れについて挙げたいと思います。娘が通っていた本部系のある校舎では、面談の機会は、塾から設定されるものは入塾から入試までの間に1回でした。学習を進めていく中で、学習方法や志望校について困りごとがあった際に「学習スタッフの先生は忙しいのではないか」「こんなことのために面談の機会をとってもらっていいのだろうか」となかなか面談の申し出ができないでいました。「何かあったらいつでも相談してください」と教室の学習スタッフさんは声をかけてくださるにも関わらず、です。しかし、中学受験の目的を思い出してみますと、面談の申し出ができるようになりました。塾側への配慮をするのはもちろんですが、「中学受験を通じて、自己承認を高め、自分に自信を持った人になっていく」ということ思い返してみれば、ここで親が面談の申し出に躊躇していることが、娘にとっていいことなのかを考えることで、一歩踏み出すことができるようになりました。

【不安に対処する方法その(2):ポジティブな言葉遣いへの心がけ】
もう一つは、言葉遣いに気を付けました。言葉にすることの影響力に注意を払うようにしました。口にした言葉が自分に暗示をかけて、いつのまにか実現してしまうという「予言の自己成就」という考え方です。例えば、「計算の練習をやらないと、計算力が落ちて、テストの点数が下がる」という言い方よりも「計算の練習をすれば、計算力が上がって、テストの点数が上がる」というように表現するようにしました。「テストの点数が下がる」と口にすると、自分に言い聞かせてしまって、実現してほしくないにも関わらず、実現してしまうというものです。これを逆手に取り、同じことを言うにしても、実現したい状態に近づくようにしました。特に、入試直前期である12月や1月は徹底しました。この時期はとてもデリケートな時期で、親子とも不安は途方もなく膨れ上がります。ネガティブになるような言葉は使わず、ポジティブを意識しました。このことは、我が家で中学受験を目指した目的である「中学受験を通じて、自己承認を高め、自分に自信を持った人になっていく」ということにもつながっていくものだと気づきました。逆を言えば、普段の言葉遣いが、いかにネガティブなものだったのかということに気づかされたものでした。

【不安の向き合い方を変えることで、娘は自分の人生を生きているという気づきに至った】
こうして不安への向き合い方を変えてみると、私が見ているものが変わってきました。模試の成績や偏差値表、SNSにばかり目が向いていましたが、不安への向き合い方を変えてみると、娘の表情や日々の気持ちに目を向けるようになっていきました。一番大切なことは目の前にいる娘のことです。ここに気づかず、理想の受験生像なるものを親が勝手に作り上げ、そこに娘を合わせようとしていました。これでは、娘も苦しくなるでしょうし、「自己承認を高め、自分に自信を持つ」ということにはなりにくいと気づきました。むしろ、娘が持つ強みや持ち味をしっかり見つめ、それを活かしていく受験生活が大事なのだと気づきました。そんなことに気づいたのも、6年生の終盤、娘から衝撃的な一言がありました。「私、冬期講習には行かない。自分で見つけた課題に向き合いたい。最後、自分の中学受験を自分で完成させたい」と力強く言っていました。まさにこれから最後の仕上げ。塾からも最後の確認や仕上げの演習問題への取組などを行う貴重な期間です。親として、塾に行かないという選択肢はあるのだろうかと悩み、一方で、娘がはっきりと自分の考え方を述べ、自分の中学受験を完成させたいという気持ちにも応えたいという思いもありました。娘の気持ちを捻じ曲げ、冬期講習に通わせて、仮に志望校に合格したとしても「自己承認を高め、自分に自信を持つ」ということにはつながらないのではないかと思い、思い切って、娘の決断を尊重することとしました。最後の公開模試が終わった後、娘は、自分との戦いに向き合い、驚くほどの成長を見せました。夏休みは受験の天王山と言われますが、「私にとっての天王山は冬休みだった」と誇らしく語るようになりました。ここまで成長するのかと本当に驚きました。私は、中学受験を通じて、娘の人生の主役は娘であるということに思い返す機会となりました。

【中学受験は家族で向き合った一大イベントだが、家族でもこれからを乗り越えていきたい】
今、この手記は、中学入学前の春休みに出かけている旅行中に書いています。家族と過ごすイベントは、学校や仕事など、それぞれに活動する日常と離れて、一緒に過ごせる大事さをかみしめています。家族と過ごすイベントの中で娘の中学受験は一大イベントであったと感じます。娘自身の成長のみならず、親として成長したと実感する機会でした。小学校3年の夏から小学校6年までの3年半で経験した我が家の中学受験から得た教訓があったように、これからも家族で経験する様々なできごとに向き合っていきたいと思います。
今後も寄せられたドラマを、各カテゴリーに随時アップしていきます。
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