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親と子の栄冠ドラマ -中学入試体験記-

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偏差値がまったく届かないままの受験

  • 年度:2024
  • 性別:女子
  • 執筆者:
4年生から始まった受験までの道のりは、思ったようにはなかなか行かず、偏差値が上がらないまま6年生までずるずると来てしまった。5年生までは48くらいの偏差値だったのが、そこからずるずると下がり始め、6年の夏期講習をすぎても40台半ばをウロウロ。

さぁ夏期講習のあとは過去問がんばるぜっと思ったら、さらに下がり始め11月に43まで落ち込むと、偏差値50の第一希望は遥かかなたに霞んでしまった。

この時私は完全に終わったと思いました。何度も志望校変更を娘に話したけれどガンとして受け付けず、毎晩のようにバトルを繰り広げては溜息と落胆の連続…。
結局43→46まで持ち直したが50には及ばず、最後まで胸のざわつきが止まらないまま受験がスタート。

まず1月の埼玉受験 
1回目 偏差値43の学校→〇
2回目 偏差値52の学校→〇!!! 目を疑いました

ここで娘は気分をよくしたのか、そこから2月の受験までの猛追が始まりました。
しかし途中でダラけることもあり、この間は日能研全国公開模試もないので、自分の立ち位置が分からず、不安や苛立ち、そして腰痛、肩こり、頭痛と体調不良も続きました。
それでもあと一問と自分を鼓舞して、消しゴムのかすだらけの机にかじりつき、とにかく算数を70% 理科20% 国語と社会10%の割合でひたすら勉強の日々。

過去問は1度やったら2度はやりませんでした。(同じ問題は出ないしね)
社会は2024年の1月校の試験問題が日能研ですぐにアップされたので、同様の問題が2月校も出るのではと算段し、偏差値43~58位の学校の試験問題を全て解きました。

東京受験
2/1午前 第一希望校 偏差値50の学校→× ((´;ω;`)ウゥゥ) やっぱりね・・・
  午後 第三希望校 偏差値43の学校→〇

翌日も第一希望校は受ける予定でしたが、偏差値がさらに上がるうえに、応募者もガンと増える。私はほとんどムリであろうと思っていました。
そして午後の学校は、私がとても気に入っている学校だったので、恐らく偏差値的にも合格を頂けて進学することになるのではないかと…。

果たして結果は:
2/2午前 第一希望校 偏差値51の学校→〇 (≧▽≦)
  午後 第二希望校 偏差値48の学校→×

もぎとった!!やった!!!やった!!!!!やったーーーーーーーっっっっっ

娘曰く、ものすごい集中力で全てのパワーをつぎ込んで午前の闘いに挑んだそうで、午後には疲れ果ててエネルギーが全く残っていなかったそう。
国語と理科の試験が終了した時には自分でもよくやったと涙を流した話をしてくれて、私も膝から崩れ落ちてむせび泣いてしまった。

やせっぽっちで甘えん坊の娘のどこからこんなエネルギーが生まれてくるのか不思議でならなかったが、日能研で仲間と切磋琢磨した結果、子供から女性へと心が成長していったのかなと思い嬉しい反面親元から離れていく寂しさもあり、母親のほうが受験ロスになりそうです。

最後に。
受験競争をかいくぐってきた娘は、今や度胸と自信に満ちたイイ顔になってます。
今後も寄せられたドラマを、各カテゴリーに随時アップしていきます。
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