振り返るとあっという間の1年間でありましたが、その中には様々な心の葛藤を経て子供だけではなく親も育っていったと思います。
五年生から六年生に進学したときは、ただただ日能研入試問題研究特別講座の教科書の分厚さに圧倒されるものの、男の子であるからかもしれませんが、受験生の自覚や自分が置かれている立ち位置(偏差値)が何を物語っているのかを全く理解しない、理解しようともしていない状態で、ただ、塾に通い、宿題をこなすという事務的な処理を実施しているだけだったように思いました。
知識やスキルが定着するということにおいては、自分で気づき、軌道を修正し、慣れる、人に説明できるというステップを踏んで形成されるものと思い、男子小学生が自ら気づくのを待っていたらいつになるかわからないと思いました。そして、やはり、親が後ろに立ってあげないといけないと思い、できるだけ子供にかける時間を増やし、そこでは、「なぜ」を頭に付けた会話を心がけました。
特に、算数、国語、理科においては、間違った問題に対して、「なぜ大問で問1や2があったんだろうね」、「なぜ、最初に実際に起こった話を書いているんでしょうね」など問いかけていき、問題作成者目線を醸成し、ただ、スキルを教えるのではない方法を取りました。
スタートしたのが遅く夏頃からの取り組みではありましたが、本当に受けるところがあるのだろうかと、私を悶々とさせていた偏差値も徐々に上昇していき、日能研全国公開模試が終了した冬以降もほんと最終日までどんどん解ける問題が増え、文章をまとめる能力も毎日のように改善していることが本人でも実感している様子でした。
そして気付けば「父ちゃんこのやり方のほうが早くない?」とこちらにプレッシャーをかけることもたまに出てきました。また、「俺は特進でなきゃヤダ」と生意気なことまで言うようになりました。その瞬間、私は自分のやるべきことに対して正面に対峙し逃げない成長した子供を見つけました。そして、半ば信じてあげていなかった自分のさもしい一面にも気づき、もう少し早くから口だけではなく、真剣に付き合ってあげればよかったと反省しました。
ただ、あきらめることなく最後まで並走し、六年最初では到底合格が考えられないレベルの中学から見事複数合格を得られました。中には、今年から始まったAL系の試験では男子上位3人の枠での合格でした。あっぱれです。
試験が終わった今は見事にインフルエンザになり、寝込みましたが、すでに次を見据え、就職したら英語できないと困るから、早速頑張るよと宣言しております。
作家の開高さんが言われていた、「明日地球が滅びようともあなたはリンゴの木を植える」そんな人に脱皮していっているのかなと思い、私も幾ばくかさもしい心を受験会場に置き去りにできたことを確認でき私も春を実感している次第です。
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- 今後も寄せられたドラマを、各カテゴリーに随時アップしていきます。