忘れもしない、
『算数教室』という案内を見つけて応募したのがきっかけでした。
帰ってきた子の顔が明るかったので、
「楽しかった?」
と訊いたら頷いたのに母は味をしめ数回通わせ、予科教室に入会しました。
思えばあの時から日能研の教室の先生方は面倒見の塊でした。
疑問点を列挙した紙片手に延々と相談・・・辞典は何を・・・点数がガタッと落ちた・・・育テまでに栄冠が終わらない・・・子に合った校風の学校見学・・・日特・・・字が雑・・・漢字・・・子も含めて三者面談を・・・渦中にいると母の気が動転するんです。
その度に先生方から電話や面談で励ましを頂きました。
4年生半ばでのクラス落ちは、うちの子が全力で悔し泣きするという、わたしにとっても身の丈を知る良い機会でした。
のちの面談にて、
母にクラスを上がりたいか担任のK先生はたずねてくださいましたが、
「未消化の宿題を抱えているうちの子には分不相応だ」
とお話できたのは、先生方が子と母へのケアを重ねて下さった日々があってこそです。
6年生秋、怒涛の外部会場公開模試と日特は、気力体力ともにしんどい日々でした。
結果が出る週に面談で併願プランを相談し、日特がつらいと母の気持ちも聞いて下さり。
1月には受験番号や段取りも全て記入した用紙をチェックして頂きました。
埼玉受験、緒戦は1点足らず。
「だから言ったじゃない」を飲み込んで、
「一点の重みぃ!」と言った自分を母はほめたい。
同じ学校への4時起きの受験2回目、不安の中で合格した経験が子を育てました。
朝起きて自分で勉強の仕方や内容を考える。子が困り感を言語化しようと相談する。
メタ認知がようやくうちの子に降臨した!と感無量でした。
2月1日午前校に無事合格を頂いてからは、
チャレンジ校も含め、スケジュール用紙を見て子自身が受ける学校を判断し、自習室にも遅くまで行き、出願をしていた5日の受験まで立ち向かいました。
振り返って考えると、先生方は子が自分で育つまで母のガス抜きに努めて下さったのだと感じます。
子が変わるまで母は待つしかない。今ならそれが分かりますが、渦中の母はすがりたいのです。
変えられないものを受け入れる力を、
変えるべきものを変える勇気を、
変えられないものと変えるべきものを区別する賢さを。
いま、リビング中にあるNグッズのカエル君と目が合いながら、まだ変わっていけない母はもう少し卒塾を惜しんでこの文章を書いています。
(あ、日能研の動画はずっと更新楽しみにしてます、特に社会の作詞作曲のM先生へ!)
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- 今後も寄せられたドラマを、各カテゴリーに随時アップしていきます。