私達家族は札幌在住ですが、息子は首都圏校も受験しました。その経験をお伝えしたいと思います。
日能研には息子が4年生の2月から3年間お世話になりました。振り返るとずっと色々あったように思います。息子は主張の強い子です。嫌なことは嫌、納得いかないとやりません。5年生になって塾での勉強が質・量ともにぐっと大変になった5年3月頃は、課題をやるやらない、塾をやめるやめないで何度も私と息子で大ゲンカ。教室に電話しては先生に相談し、温かく的確なお答えにずっと支えられました。その後受験が終わるまで、教室の電話番号は、私達親子にとって心のホットラインであり続けました。
6年になり、4月に初めての志望校選定の面談がありました。その前に息子と志望校について話をしたのですが、全く思いがけない学校の名前が出てきたのです。
「渋渋、受けてみたい」え??
もちろん北海道内で現実的な志望校はありました。でも、そのうえで、首都圏の中学も受けたいと言うのです。息子曰く、日特で渋谷教育学園渋谷中学校の理科の過去問を解いて、すごく面白いうえに、できた!楽しかった!他も科目もやってみたい、と。
“渋渋”…当然名前は知っていました。首都圏屈指の超難関校、よりによって・・・
4月下旬の面談当日、本人の希望を先生に伝えました。先生からは、渋渋は正直厳しい、際立って算数ができる子が集まる、現在の本人の偏差値からはあと5は上げたいところ。65を目指して頑張りましょう。並行して本人の個性にあった校風、問題傾向の併願を決めましょうとお話があり、本郷中学校、芝中学校、桐朋中学校を勧められました。この時点で、母親の私には現実味が全くありませんでした。道内受験の事だけでも精一杯なのに、首都圏の中学って・・・まあ本人のモチベーションアップになるなら、位の気持ちだったと思います。
夏休みに入り、夏期講習も終盤になるといよいよ過去問演習も現実味を帯びてきます。各教科の課題やメモリーチェック、そして毎週末のテストをこなしつつ、2学期に入るとすぐに修学旅行もあり、小学校・塾ともにどんどん忙しくなっていきました。
9月末には、志望校決定面談がありました。道内は、北嶺中学校、札幌日本大学中学校、函館ラ・サール中学校。首都圏は本人熱望の渋谷教育学園渋谷中学校。息子はきっぱりと、「渋渋は記念受験のつもりはない、受けるからには合格したい」と言い、先生にもそのまま伝えました。先生からは併願として、栄光学園中学校を勧められました。息子は記述が強い事、問題傾向から本人の個性に合っているのではないか、との事でした。(栄光・・・でも先生、現状で渋渋が難しいのに、また難関校ですか?もっと手堅い学校じゃなくて?(とも言えなかった))息子は建築家の隈研吾先生が大好きなので、隈先生が栄光のOBであること、栄光の新校舎は隈先生設計と知って、がぜん乗り気です。
結局、息子の首都圏受験校は、
2/1 渋谷教育学園渋谷中学校
2/2 栄光学園中学校
2/3 函館ラ・サール中学校 2次
に決まりました。
10月、11月は、札幌日大中入試プレテスト、立命館慶祥中の立命模試等校外模試が続きます。日能研の毎週のテストと並行ですから、本当にきつかったと思います。私の方は、この頃から、毎週の育成、実践、模試の結果をあまり見なくなりました。出来た個所、できなかった箇所とその理由は本人に口頭で聞いており、本人が把握できていると判断したからです。ちなみに、勉強時間についても、それ以前は息子の勉強時間の短さが気になっていましたが、息子は「僕は授業でできるだけ身に着けて帰ってこようと心掛けてる。だから授業はすごく集中するしすごく疲れる、帰ってきたら最低限の事はするけどゆっくりしたい」と言った事をきっかけに口出しするのは止めました。(本当は口がムズムズしていましたが(笑))
道内受験は1月が本番ですので、12月にもなると直前期です。過去問に向かう姿には、もう親であっても話しかけられない、何とも厳しいようなものがありました。
結果道内では、札幌日本大学中、北嶺中より合格を頂きました。
道内受験の結果を持って、首都圏受験に向かいます。この時期は過去問一色。私はコンビニに過去問コピーに走ります。受験本番と全く同じ時間に、同じスケジュールで過去問を解く、という事も、息子自らやっていました。私はこの頃、渋渋と栄光の過去問をコピーの際に初めてじっくり見ましたが、全く解けませんでした。解けないなりにも、これがどれほど練り上げられた問題なのかは実感できました。問題文はストーリー仕立てで知的好奇心をくすぐり引き込まれます。深く豊かな世界観を持った問題。これを小学生が解くなんて、すごい世界で息子は戦っているんだなあ。誰かが、入試問題は0時限目の授業って言ってたけど、あの子は真剣にその授業を受けて、それで渋渋がいいって言ってたんだな。改めて、子供の見ている世界の思いがけない豊かさに驚かされました。
1/31朝札幌出発。昼過ぎに東京着。ハチ公口の人混みのすごさに開いた口が塞がらず。宿に荷物を置いて、渋渋の下見に向かいました。
翌2/1。朝計算と漢字、軽く見直しをし渋渋に向かいます。「行ってきます」”過去イチ”いい表情です。ああ、この子はこんな顔をするようになったんだ。結果はどうでも、きっといい受験になる!それだけでここに来てよかった。本当に思いました。
試験後は渋谷→大船へ移動。途中、午後受験をされるであろうお子さんと親御さんを何組か見かけ、心でエールを送りました。大船の宿で教室の友達とばったり会い、お互いほっとした様子で、前日に嬉しいサプライズとなりました。
2/2は朝から冷たい雨。早めに向かいました。栄光坂を登って行きます。栄光学園中学校。清々しい雰囲気の校舎です。前日よりはややリラックスした表情で、校舎に入っていきました。
同日4時。渋渋合格発表は、翌日の函館ラ・サール2次会場近くの宿でスマホから見ました。HPを開いてすぐ「あった!!」1XXX7、ありました。ほんとだ・・・ある!!すぐに教室に電話しT先生に伝えます。驚かれた様子でしたが、とても喜んで下さいました。
2/3、五反田にて函館ラ・サール中学校2次試験。これが息子の最後の受験校です。さすがに疲労感はありましたが、粘って解き切った様子でした。栄光学園発表は、私の両親の墓前で見ました。(札幌に帰る前にお墓参りに寄ったため)結果は合格。天国のおじいさんおばあさんに良い報告ができました。
短くも長い4日間、本当にお疲れ様でした。
札幌に帰ってから、息子が言っていた事があります。
「条件的に通えない事はわかってた。でも僕は本当に渋渋って学校が好きだったんだ。好きだから頑張れたんだよ。栄光も同じ。過去問を解いていて、難しいけど楽しかった。行けるなら行きたかったんだ。」これが息子の気持ちのすべてでした。最後天井知らずの頑張りができたのは、”この学校が好き”だったから。私はわかっていませんでした。
息子の成長に後ろからついて行くので必死でした。今もそうで、ずっとそうなんだと思います。
4月から、息子は北嶺中学校の寮に入ります。”好き”と思えることをまた、見つけてほしい。今度こそは、条件の面で諦める事の無いように、サポートしたいです。
教室の先生方、3年間本当にありがとうございました。中学に入ってもここに通えたらいいのに、日能研に進学できたらいいのに、というほど息子にとって大好きな場所でした。友達にも本当に恵まれました。
最後に、経済面でずっと支えてくれている夫に感謝を伝えたい。いつもありがとう。
お読み頂き、ありがとうございました。
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