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親と子の栄冠ドラマ -中学入試体験記-

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親子でやり切った我が家の合格戦略

  • 年度:2025
  • 性別:女子
  • 執筆者:
娘は本命の最難関附属校(偏差値67)を除き、難関校(64)から安全校(55)まで9校中8校から合格を頂けました。最後で叶わなかったことは非常に悔しく残念でしたが、今では親子でやり切った晴れやかな気持ちです。今後に続く皆様へのヒントがあれば嬉しいです。

娘は附属校希望の中、5年秋に本命を決定。勝算的に別の附属校(63)をの親の思いとは裏腹、日能研の昨年の実績からも女子合格者は全生徒の中で1人か2人。正直無理と思いましたが娘の意思は固く。その時から、人と同じことをやっていては受からないと母も覚悟を決め、受験までに年間平均偏差値68を目標に掲げ、猛勉強の日々。
トイレでは白地図帳、お風呂の湯船では語句のたしなみ、送迎の自転車後部座席でひたすら社理の暗記チェック。(トイレ時間は貴重です笑。娘はトイレ時間の勉強だけでニュース検定3級も取得)体力のない娘は睡眠時間は減らせずだったので隙間時間しかないと起きてる時間はほぼ勉強。ただ5年までは遊びも制限しませんでした。

肝心の成績は、5年まではTMとM2を行ったり来たり。しかし6年になるとTMの壁は厚く好成績を維持するのも至難の業。迎えた6年の夏休みは毎日通塾。合わせて10〜13時間勉強。夏はテキスト理解完璧を目標に、過去問を前倒して安全校と同程度から解いていきました。
そして夏から大事にしていたのが4科のバランスです。それまで算数にかなり比重を置いていたのを4科に切り替え、時間管理アプリで日々科目毎にばらつきがないよう配慮していきました。これは合格の最大の秘訣でした!大変でしたが、夏まではテキストの基礎〜標準までを固め、秋位までは模試の偏差値を上げることに注力しました。

6年後期からはひたすら過去問演習。残り6ヶ月のプランを立て頑張りました。ですが過去問をやればやるほど模試の成績は少しずつ落ちていき、11月頃までは順調にあがっていっていた年間平均偏差値65を12月最後の日能研全国公開模試で62.9までに下げる結果に。もう全落ちもあるかもと本当に不安でした。
しかし、模試の偏差値はもう気にしない!と。そこで娘の志望校特化に切り替え、冬期講習は取らない決断。それほど追い込まれていました。そしてそこからもとにかくひたすら過去問→見直し。最終的に本命校は5年分×3回をまずやり込み、トータルで44年分。1月校も5年分、中には10年分解いた学校も。2月校は第二志望は10年分、第三は5年分、第四は2年、第五は1年分と実施。1月校も難関校64や特待合格62などができたのは、お試し受験と考えず対策をしっかりしたからだと思います。

そして冬休み。苦労してきたものが12/25からパズルのピースのように突然はまり出し、娘の勢いがつき実力がもう一段階あがっていくのを肌で感じていきました。過去問では学校の難易度に関わらず、算数満点、合格者最高点クリアなど毎日何かしらの記録を更新。1月に入った頃には本命もいける!と思える自信がつくほどに。
実際、本命までに一つ×かすべて○で迎えないと厳しいと思っていましたが、娘は着実に1月校からクリア。また2/1から3日間の長丁場の受験に対応するため、1月の埼玉受験では開智中学校の午前午後3日連続受験のアドバイスをある方にもらい、その対策や連泊を伴った受験をし、点数開示でできなかった分野の復習も実施。それらも下旬の千葉62や2月の合格へ繋がりました。
1/27までに全勉強を終え、28と29日は今までやった過去問を1日4校分×4科(2科)実施。これは解く感覚と時間配分の確認だけの目的でした。30、31日は暗記事項の最終確認。ただし、最後まで本命と第二志望の過去問だけはやり、感覚が鈍らないようにしました。

2/1は第二志望(59)。算数満点の自信の出来で午後校(55)も含め合格。迎えた2/3。「昨日の学校も2つ(56と61)(2/2)とも合格。ここまでよく頑張ってきたね。挑める条件は揃った。あとは悔いなくやるだけ!存分にやっておいで!」と送り出しました。この時は正直もう落ちる気がしませんでした。

3日朝の光景は忘れもしません。戦士のように試験場の階段を上がっていく娘が頼もしかった。ここまで連れてきてくれてありがとうという気持ち。泣き虫だった娘が常に平常心で淡々と受験し、たくさん合格してもまったく浮かれない様子にいつからこんなに強くなったんだろうと驚きました。そして冒頭の結果です。
「やり切った!あれ以上はもうできなかったよ!」と娘。最後の勝負こそ力及びませんでしたが、第二志望も娘の行きたい学校なので親子で喜んで4月を心待ちにしています。

姉妹で日能研にお世話になり、お電話も何度したことか。室長、クラス担任はじめ関わった全ての先生に真摯に対応して頂き、娘の支えや勉強の原動力となりました。ひたすら努力を続け多くの合格を勝ち得た経験は娘の自信、一生の宝です。本当に長い間有難うございました。今後の受験生の皆様のご健闘を心よりお祈り致しております。
今後も寄せられたドラマを、各カテゴリーに随時アップしていきます。
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