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親と子の栄冠ドラマ -中学入試体験記-

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桜蔭を蹴って、豊島岡に行く。

  • 年度:2026
  • 性別:女子
  • 執筆者:
本番が差し迫った1月某日。年末から合宿部屋と化した私の寝室で、彼女はあっけらかんと言った。「最初の頃は豊島岡女子学園中学校とか知らなかったよね。あと、初めて受けた桜蔭中学校の模試の算数、8点だったよね、覚えてる?あははは。」

彼女は幼少期の一部を異国で過ごした。日本人のいないプレスクールやキンダーにおいて彼女は、最初こそ右も左も分からない様子だったが、数ヶ月後には見事に語学や文化の違いを乗り越え、自分の居場所を見つけていた。この子はモノが違う。今後も極力固定観念を持たずに育てよう、そう考えてきた。

コロナ禍で帰国した当初、日本での学習は必ずしも順風満帆では無かった。外国にいた分、とりわけ割り算は苦労したように思う。彼女自身が塾に行きたいと言ってスタートしたものの、当時はまだエンジンもかかっていない。教えるのにも根気が必要だった。

迎えた4年の夏、転機となったのが、遊び半分で受けさせてみた桜蔭中ジュニアオープン模試であった。彼女も鮮明に覚えていた算数8点。全然分からない問題ばかり、そして見たこともない点数。試験後、半笑いで出てきた彼女の姿は今も覚えているが、「無理だ」「逃げたい」とは言わなかった。脳に刺激を与えた効果はてきめんだった。その年の秋、彼女の成績は見違えた。

それから1年前くらいまで、彼女はセンスだけでやっているように見えた。復習嫌いで下積みが疎かだと、やはりどこかで挫折するんだろうか。その時にどんな言葉をかけようか。夫婦でありうべき事態に備えた。だが、最後までその時は来なかった。6年の春だったか、結局それが彼女のやり方だったんだと観念した。彼女を信じて、このまま一緒に走り切ろう。ネガティブなシナリオに備えることはやめた。

「桜蔭を蹴って豊島岡に行く。」豊島岡に行くためには桜蔭に合格するくらい勉強しなければならないと聞いて、彼女が決めたユニークな目標は、最後まで揺らがなかった。「両方本当に受かったら、親としてどうするんだろう?」塾以外の場で両校のOGの話を聞いたりもしたが、最後は自分たちの感性で決めることにした。妻と手分けし、次女を連れて両校を毎年見に行った。結果、何度行っても「彼女にはこの学校が良い」と思えたのは豊島岡の方だった。いつか、桜蔭を選ばなかったことを悔いることがあるかもしれないが、そんなことをふっ切れるくらい充実した学校生活にすれば良い。豊島岡ならそれができるし、そっちに行った方が長い目で見て彼女の人生にとってプラスになる。彼女の大事な進路について、親として腹落ちさせて受験に臨むことができた。

彼女と私達家族の3年半の歩みは、不幸にも私の単身赴任期間と重なった。経験のある私が精神的支柱となって彼女と伴走しようと思っていたが、週末だけでは思うようにはいかなかった。大人ひとりで日常生活を切り盛りしていた妻、我慢を強いられた遊びたい盛りの次女。2人ともよく乗り越えてくれた。もちろん彼女自身の頑張りなしに4戦4勝という偉業は語れないが、家族のサポートなしにこの結果は成しえなかった。家族を誇りに思う。

最後に。気になることがあったら共有するなど、夫婦間と、塾の先生とのコミュニケーションを大切にすることは徹底した。正直、心配性な親だなと思われていたと思うが、日能研の先生方にはいつも親身に相談に乗ってもらったこと、大変感謝している。最後に最高の結果で恩返しができて、本当に良かった。
今後も寄せられたドラマを、各カテゴリーに随時アップしていきます。
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