小3の秋、コロナ禍で友人宅に遊びに行く習慣もなくなって暇そうにしてたからなんとなく受けた日能研の全国テスト。そのテストの国語で満点をとることができ、TMクラスへのお誘いを受けました。
私学に行くつもりも特になかったのですが、テストが楽しかったから通いたいとのことで新4年がスタートするタイミングで日能研に通うことにしました。
先取りを何もしてなかったのもあり、算数の第1回授業を終えて「周りのみんな割り算の筆算解けるのに、私何もわからなかった。」と落ち込んで帰ってきて、しまったーえらいところに入れてしまった、と思ったのを今でも覚えています。
全国テストではTMクラスの基準点を数点上回っただけ、つまり算数はクラスで必要とされるレベルには到底届いていなかったんだろうと思われます。
そこからはとにかく算数を勉強する日々。
TMプリントは半分泣きながら遅い時間まで一緒に解いていました。娘も辛かったと思うのですが、私はこの時が一番辛かったです。当時特に行きたい学校があったわけでもなかったので、辞めていいんだよ?と何度も声掛けをしたのを覚えています。それでも娘は食らいついて、本人なりに頑張っていました。授業が終わった後も算数の先生に質問をすることが多かったです。
それでもやはり算数が足を引っ張り5年生になるタイミングでクラス落ちしてしまいました。
ある日の休み時間、TMのクラスメイトだった子と自販機の前で遭遇し「〇さん、早くTM戻ってきてよ!そうだ、遊びにおいでよー!」とTMクラスの教室に呼んでくれて遊びに行って少し話をしたりしたことはとても嬉しく、戻りたい気持ちがさらに強くなったそうです。
ただただTMのみんなと楽しく授業をうけたい、大好きな社会のTMプリントを解きたい、そう思いながら頑張る毎日でした。
5年生のMクラスの先生の授業もとてもわかりやすく、そして私自身も先生に送迎の際に声をかけていただいたりしたのもあり、親子共に心折れずに頑張ることができ、日能研全国公開模試ではそれまでで一番良い偏差値も出てTMクラスに戻ることができました。
TMのクラスメイトはそれはそれは仲が良く、学校のお友達よりも名前が出てくるほどでした。学校で嫌なことがあっても日能研で誰それと会える!楽しみ!休みたくない!という感じでした。
6年生になっても相変わらずみんな仲良く、みんなで志望校に受かろう!という雰囲気だったそうです。
そして算数は相変わらず苦手でした。
算数のある日ない日、授業前や授業終わりに遅くまで先生に質問する日々。私も何かあると先生に相談の電話をかけてしまいました。2月入試まであと20日のところで解いた過去問の算数がかなり低く不安になって電話したこともありました。
本当に算数の先生にはお世話になりました。
2月1日の入試の時は電車酔いと天候の不安があり前泊をしました。
ホテルに向かう前に日能研に挨拶に行った際に室長の先生にも励ましていただきました。
ホテルに着くと部屋番号がある先生が好きな数字「1129(いい肉)」で、「わー報告の時に〇〇先生に言わなきゃ!そのためにも良い報告ができるようにしたいなー」と緊張もほぐれ、部屋では先生やクラスメイトに書いてもらったまけないハチマキを見ながら勉強をしました。
受験当日、ホテルの部屋で見た激励zoomでは先生たちの言葉に励ましていただいたおかげもあって、無事合格をいただくことができました。
合格報告の電話をした時、5年のMクラスでお世話になった電話口の先生も、後ろで室長の先生も喜んでくださって、本当に良かった、日能研でよかったなーと思いました。
そして翌日、合格発表の掲示を見に行ったら中途半端な時間でしたがたまたま同じクラスの友人と遭遇して、「よかったねーーー!4月からもよろしくねー!」と喜びを分かち合うことができました。
と、先生や仲間との話ばかり書いてしまいましたが、この3年間の日能研生活、そして志望校の合格はそんなみんながいないと成り立たないものだったと感じています。
とてもあたたかい場所だったので、親である私が日能研ロスになってしまったほどです。
これからは新しい生活を楽しみたいと思います。
本当に3年間ありがとうございました。
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