この中学受験で、最も重要な局面を一つ挙げるなら、それは第一志望校からの不合格通知だったと思います。
わが家の受験は、1月の埼玉校から始まりました。いわゆる前受けで、家から遠いのですが、入学先候補の一つともとらえていました。同じ学校を1/10と1/11の連日で受けたのですが、1/10試験直後の本人の感想は「あまりできなかった、きっと落ちた!」。結果が出る前に1/11の試験になり、「うーん、まあまあかな、昨日よりはいいと思う」。1/12に結果発表を見ると、1/10不合格、1/11合格で、本人の印象通りの結果となりました。彼はわりと本番に強いタイプで、かつ、日能研全国公開模試で一度来た場所でしたが、それでも緊張していたのでしょう。二日連続で受けたのは正解でしたし、ここで負けと勝ちの両方を経験したのは大きな意味があった思います。
勘を鈍らせないよう、1月下旬には千葉校を受けました。場所はさらに遠いのですが、こちらも入学先候補です。試験直後の感想は「まあまあ」、結果は合格。幸先のいい走り出しだと、この時は思っていました。
2月になり、いよいよ東京の試験開始。初日2/1は第一志望校です。入試としては4戦目、この会場に来たのは3回目。それでも朝、少し緊張があるように見えました。試験終了後、出てきた本人は、「結構できた気がする!」と、今までの模試や入試で見たこと無いくらいハイテンションでした。もしやこれであっさり受かって受験終了か?と思う反面、何か出来すぎた流れのようにも感じました。
翌日2/2、併願校の入試の帰り道、公園に寄って、昨日の合否結果を一緒に見たところ、「不合格」でした。少なからずショックは受けましたが、第一志望校は2/3に2回目の試験を予定しており、この敗北は想定の範囲内でした。しかし、隣を歩く本人にとって想像以上の衝撃だった様子で、昼食の相談すら会話を拒否するありさまでした。
本人を母親と共に先に帰し、私はそのまま塾に寄って先生に助言を求めました。受かってもおかしくない学力はあるのだから、考えられるのは、舞い上がっていて本人の認識より実際は出来ていないか、想定より優秀な子達が受けていたか。いずれにせよやるべきことは、1回目の試験問題を見て間違えた問題を確認することでしょう、と。
帰宅してみると、本人は完全に打ちひしがれています。小さく丸まって、「結構できたのに、これでダメなら、もうどこも受からない!もうやめる!」とぽろぽろ涙を流しています。1月につけたはずの自信はどこかに吹き飛んでしまいました。もうここで試合終了か?という考えがよぎります。しかし、塾の大量の授業と宿題をこなし、多忙な学校行事に取り組み、苦戦しながら過去問を11回分もやり切り、そうしてこの3年間で積み上げた学力と精神の成長が、そんなに脆弱なはずはない。何より、誰も諦めろと言っていないのに、自ら試合を降りるような人間になってほしくない。姿勢を正させ、以下の話をしました。
・絶対受かるなら、そもそも2回目を組んでない。つまり1回目不合格は予定通りである。
・1回目も2回目も、倍率自体は同じくらい。
・1回目不合格は、1月の埼玉校と同じ流れである。
・本番試験では、「うまくできたか、どうだろう?」と思った時の方が、えてして合格しているものである。
・今から夕飯までの数時間を、少しでも明日の2回目の勝率を上げるために使うべきである。
最後に、「塾の先生が、待ってるよって。だから行ってきな。」と伝えたら、しばらく考えたあと、「行く」と言うので送り出しました。塾では各教科の先生からそれぞれ助言を頂けたようです。帰ってきた本人は平静そのものでした。思えば、彼はこの日、本当に受験生になったのかもしれません。
2/3、第一志望校の2回目試験。余計な指示は逆効果と思い、「いつも通りで」とだけ言って、会場で見送りました。試験後、本人は「あんまりできなかった」とのこと。前日に感情面で大きな揺さぶりがあったため、精神的に万全ではなかったのかもしれません。でも私としては、諦めずに挑んでくれただけで十分です。あとは、翌日以降の第二、第三志望校に向けて、やれることをやるのみ。
翌日、別の試験の帰り道で、一緒に2/3の結果を見ました。「合格」の赤い文字。本人と一緒に大喜びです。これをもって、彼は受験生を卒業しました。
結果的には、受けた学校全てから合格を頂けました。本人の手ごたえと合否結果が真逆だったのは何故なのか、親として本人に対する働きかけは適切だったのか等、今でも分からないことだらけです。ただ、一つ確かなことは、途中で諦めていたら、はるかに小さな成果で終わっていたということです。それは本当に紙一重だったと思っています。
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