日能研に入れて良かったと今になってしみじみと思います。
別に自宅から最寄りというわけではありません。正直に言いますと他に候補がいくつもありました。夫婦で見学会や説明会に色々と行くうちに、その校舎には活気があり、パワーを感じるというインスピレーションで選んだのでした。わんぱくでのびのび育った声の大きい正直な田舎のおじさんのような息子には、小学生専用の塾の方が騒がしくしても怒られないかも、そんな消極的な理由だったかもしれません。今思い返すと、この選択が正しかったからこそサクラは咲いたのです。
小学4年生から塾には入れたものの、それまで、そろばんなどの勉強系の習い事などをやっていなかった息子は、中くらいの位置からスタートしていきました。
「大学受験が面倒だから、大学の付属校に入れるといいなあ。しかも、ほとんどの生徒がストレートで大学に行けるところを選びたいよね。」これが親子の合言葉だった気がします。
せっかちな父は、自宅から通いやすい付属校の過去問を多くの年度分あったほうが良いからと小学4年生の時に4校分も購入していました。
塾に入ってしばらくすると、授業が楽しいのか、教室の雰囲気が良いのか、毎回楽しそうに通っていくし、宿題も苦にならないようで、何気なく机に向かっていることが増えていきました。親が「勉強しなさい」と言ったことはありませんでした。逆に親がテレビ・ラジオをつけるのが邪魔になりはしないかと、こちらが気をつかうほどでした。
少し経って「クラスが上がります」という塾からの電話が2回ほどあり、いつのまにか、息子がめざす志望校が変わっていました。
そういえば、日能研の入塾テストを受けた時に、保護者を対象とした説明会で、当時の室長さんが御三家の話をしていました。そういう世界もあるのかなあくらいの感覚で、自分とは無関係の世界の物語を聞いている気がしたものです。
塾のクラスメイトや先生のお話に影響をうけて、息子が勝手に志望校と思っているだけかと最初は思っていたものの、成績も落ちてこずに安定していました。
御三家って名前は分かるけど、どこにあるのかなあ。通いやすいのかなあ。
縁の無い世界ですから分からないことばかりです。
父はとりあえず、過去問題集に学校案内も書いてあるからと3校分ポチリました。
3校とも東京都内で何とか通学範囲でした。
こういった情報収集は保護者の管轄で、学校の周辺を見に行ったり、日能研が案内してくれるオンライン学校説明会なども活用させていただきました。
最終的には息子が「ここが良い」という学校が第一志望校となりました。自分で決めることで、責任を持ってもらう方が良いと思えるのと、あくまで息子の人生なので、勝手にしたらいいという我が家の教育方針からでした。
第一志望校が決まれば、その日特に入ることとその学校と同じような傾向の問題を出す学校の受験をしていくことが我が家の方針になりました。
面談の度に、第一志望校を変えなくて大丈夫かと、第一志望校以外は通いやすくて第一志望校と傾向が似ている問題を出すかということを確認しました。
受験期間も5連続などと長くならないほうが良いし、かと言って間隔が長くなって気が抜けてしまってもいけないので、1月は1週間間隔で3校、2月は1・2・3日と3日連続で3校の計6校で終わりにしようということにしました。ともかく2月1日の第一志望校に全力を傾けるためにどうするかをずっと考えていました。
塾の先生からは、「2月4・5日も受験校を選んで受験してもいいのではないでしょうか」とご提案もいただきましたし、気が変わった時に対応ができるように、それらの学校の過去問も演習していただいたようでした。しかし「第一志望以外なら、行くのはどこでもいい」という、正直な田舎のおじさんである息子には2月1日しか興味が無いようでした。
年が明けてからは、出願手続きの連続と受験に明け暮れ、2月3日まであっという間で終わった気がします。この原稿は2月中旬に書いていますが、もうずいぶん前の出来事であったかのように、大変だったという記憶しかありません。
先日、この3年間に使った塾の教材を資源ごみとして2週に渡って集積場に出しました。息子の身長の1.5倍には達したと思います。
一つだけ捨てられない教材があります。せっかちな父が買った、一問も解かなかった過去問題集6冊です。これは無駄遣いの象徴として、反省材料にとっておこうか迷っています。
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- 今後も寄せられたドラマを、各カテゴリーに随時アップしていきます。