両親共に中学入試の経験がなく、子どもよりも親の方が覚悟も準備も不足したままに中学入試に突入してしまったという感じでした。
自分の入試経験が平成一桁代の大学入試で終了している立場からすると、試験終了半日後には結果が分かり、試験当日まで願書が出せてしまう中学入試のシステムはとても便利だと感じると同時に、結果を見てからすぐに次の判断を迫られる毎日の精神的疲労は想像以上でした。
そしてそれ以上に、不合格のショックを抱えながら、直後に再び試験に臨むシステムは、受験当事者の子どもにとって相当な試練であると感じました。
若干12歳の子どもが、通知画面に無情にも映し出される不合格の文字を凝視して静かにポロポロ涙流し、その翌朝には泣き言も言わずにまっすぐ前だけ見て試験会場に再び入って行く後ろ姿に、こんなにも強い子だったのかと衝撃を受けました。12歳といえば、このような場面で挫けたり投げ出したりしたとしても全然おかしくない、まだまだ幼い子どもだと思います。周りにも同じ境遇の子は沢山いたはずですが、試験会場の前で弱音を吐いてる子の姿は見ませんでした。
中学入試の塾は、ただ勉強だけを教えてくれていたのではなく、思っていた結果が出せない中でも、諦めないで挑んでいくという強さを何年もかけて子どもに身につけさせてくれたのだ、ということに本番にして初めて気がつきました。そして、あの嵐のような試験期間、出願締め切りギリギリでの判断をしなければならない時に、夜遅くまで親身になって話を聞き、かつ的確なアドバイスで道を示してくださった先生の熱さとプロ意識に感銘を受けました。
第一志望校の合格を勝ち取った子はもちろんですが、どのような結果であれ、何度も自分の力で立ち上がって最後まで諦めないで試験に挑んだ子どもたちは皆等しく素晴らしく、この過酷な日々を挫けずに最後までやりきれたことには、合否を超えた価値があったのではないかと思います。
叫びたいくらいの喜びを得ることと、悔しさにのたうち回ること、その可能性は紙一重なんだな、と、中学入試の現場を見て実感し、それを12歳にして経験する重さと意味を考える日々でした。
中学入試を実際に体験する前まで、「私立中学=温室育ち」という思い込みがありましたが、このような経験を敢えて我が子にさせるというのは、中学入試とは思っていたのと真逆の獅子の子落としの世界だと思います。
「中学入試は親の入試」ということをよく言いますが、最初に思っていたのとは違う意味でこの言葉が自分の中で理解できました。
お友達に誘われてなんとなく始めた通塾からの中学入試でしたが、子どもにとっても、親にとってもかけがえのない経験となリました。もし今後、中学入試をすべきか否か迷っている方から相談を受けることがあるなら、「決して楽ではないけれど、挑む価値は確実にある」と迷いなく伝えたいと思います。
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