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親と子の栄冠ドラマ -中学入試体験記-

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新しい暖かな風

  • 年度:2025
  • 性別:女子
  • 執筆者:
3年間、娘は日能研で学んで、中学受験に挑みました。

姉が5年前に日能研で学んで中学受験をしたことが、今回の受験につながっています。
「Nバックを背負って塾に行きたい」という娘の言葉でスタートしました。
親はこれから茨の道、6年生の後半はまるでブラック企業のような状態の勉強になることは知っていたので、彼女が辞めたいと言ったら辞めさせるつもりでいつもいました。

5年生の時には、多くの学校に見学で訪れました。その中で、本人が行きたいと思う学校と文化祭で巡り合うことができました。その後、その学校を志望校として、合格を目指して勉強をしていくとこになりました。
姉の受験の5年前とは各学校の偏差値が大きく変わっていて、5年間でこんなにも変化が起きるものかと親はびっくりしました。

目標が定まったまでは良かったのですが、残念ながら成績は上向かず、逆に下降気味状況となっていきました。
志望校には届かない偏差値が続いたので、受験自体を諦めるか、志望校を変更するか、本人と何度も話し合いました。しかしながら本人は、受験は諦めない、志望校も変えないの一点張り。親としては不合格で辛い思いをしてほしくない思いがあったのですが…。

決して勉強をやっていなかったわけではなく、毎日毎日コツコツと遅い時間まで頑張っていたのですが、6年生の最後の日能研全国公開模試でも志望校合格には届かず、押さえも校も難しいという結果でした。それでも我が家では、志望校を受験することにしました。

もうこの時点では、口にこそ出してはいなかったのですが「全て記念受験になるのかも」と思っていました。ただ、コツコツ最後まで諦めないで努力している彼女を信じて、受験に挑むことにしました。

1月受験は1勝1敗。志望校に近い偏差値の学校は合格できませんでした。
やっぱり無理なのかなと、一瞬頭をよぎりましたが、絶対言葉に出すことも態度にも出さないようにしていました。
本人もあくまでも平静を、装っていました。

そして、2月の本番。
力強い足取りで受験会場に向かう娘の姿に、この3年間努力してきたパワーを感じました。
「楽しんでおいで」と声をかけていざ受験会場に…。親はあとは何もできません、ただ祈るのみ。

受験を終えて試験会場から出てきた娘、素晴らしい笑顔で帰ってきました。
「なんか、簡単だった。できた。」

これで合格をいただけたらいいなと思っていました。そんなに甘くないこともわかっていながら…。

午後は第二志望の受験を終えて帰宅しました。娘はかなり疲弊している様子でした。

当日夜、合否結果を娘自身でみる為、パソコンの前に座ったのですが、なかなかクリックできず、1時間が過ぎました。

「見るのが怖い」…そりゃそうですよ。厳しい戦いということは本人が一番わかってるんですから。でも、意を決してクリックを…

「合格おめでとうございます。」

娘の歓喜の叫び「受かった!!!」家族も歓喜です!!大逆転の合格でした。奇跡なんかじゃない、実力で合格をいただいたんだと。

娘はこの直後泣きながら言っていました。
「努力は報われるんだ…」押しつぶされそうなプレッシャーの中、それでも志望校に行きたくて最後の最後まで必死で努力をしていた結果が合格だったのです。

こんなことも言っていました。
「私が合格できるチャンスは2/1午前しかないと思っていた。これ以降はどんどん偏差値が上がっていっちゃうから。だからチャンスはこの1回しかないと思って全力でぶつかっていった。」

最後にこんなことも、「試験の時にいた在校生の制服を見てね、やっぱりあの制服着たいって思った。」

娘は、いろんなことを考え、感じていたのです。
この中学受験を通して、勉強もそうですが、大きく娘の心が成長していたことを知りました。
親として、合格したことも嬉しいですが心の成長がそれ以上に嬉しかったです。

この経験がこの後続く娘の人生の糧になってくれたらなと思っています。
中学受験はゴールではなく、新たなスタート。これからは少し後ろに下がって応援をしていこうと思っています。

新しい暖かな風を家族に与えてくれてありがとう。
今後も寄せられたドラマを、各カテゴリーに随時アップしていきます。
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