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親と子の栄冠ドラマ -中学入試体験記-

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倅は『二月の勝者』になれたのか?

  • 年度:2025
  • 性別:男子
  • 執筆者:
倅は“二月の勝者”になれたのか?
結果、第一志望校に合格したので、一般的には勝者になれたと言えるかもしれない。本人は大満足の様子で、最近、10ヶ月休んでいたサッカーチームに復帰した。
一方父親としては、本人が受験の意思決定をしたこと、自分で目標を立てたこと、その達成に向けてやるべきことを決めたこと、決めたことを投げ出さずにやり切ったこと、そして、受験を楽しんでいたことに拍手を送りたい。合否に関わらず、それまでの過程や経験にこそ価値があると考えているからだ。受験を通して考えたこと、感じたこと、自分を律して行動したことは、今後の人生において何かしらのチカラになるはずだ。その意味で、親バカかもしれないが、二月の勝者のひとりになれたのかなと思う。

【中受の動機】
我が家の次男(末子)が、「パパ、ここに通いたい」と日能研への通塾の意思を示したのは、まだ少しあどけなさが残る3年生の秋、興味本位で受けさせた全国テストの帰り道のことだ。その年に放送されていたドラマ『二月の勝者』や『ドラゴン桜2』に影響されたのかもしれない。もしくはただ単に、定期的にバスや電車に乗りたかっただけなのかもしれない。サッカーとスイミング、学習教室で忙しいはずなのに、何を思っての発言なのか気になったので聞いてみた。

「ここがどういうところか理解してる?私立の中学校を受験するための塾で、勉強するところだよ」
「わかってるよ。中学生になったら髪を染めてバンドをやりたいんだ。そして東大に行く」
「ふ〜ん。パパは、中学高校は公立で十分だと思っているけど、やりたいことはやらせてあげたいし、勉強することはマイナスにはならないから反対はしないよ。でも、髪を染めていいくらい自由なのは麻布くらいしか知らないなぁ。日本で一番レベルの高い学校だからこその自由であって、私立は公立よりも校則が厳しいのが普通だよ」
そんなやり取りの末、3年の冬期講習から日能研の教室に通うことになった。動機は何でもいい。しっかりと向き合って熱中できるかどうか、途中で辛くなって投げ出さないかどうか、小さな背中を見守ることにした。

【高い壁】
入塾当初からMクラスには入れなかった。圧倒的に国語が苦手だった。
それもそのはず。言語発達に遅れが見られ、直前まで「ことばの教室」に通っていたからだ。耳から入ってくる言葉をうまく語彙力に変えられなかった。活舌が悪く音読は途切れ途切れ。加えて、左利き。漢字の止めはねはらいが物理的に難しい。鉛筆の流れが悪くてぎこちない。だから汚文字になってしまい、漢字を書いて覚えるのも得意ではなかった。
中学受験においてこのハンデは大きい。結局、国語が最大のネックとなり、3年間Aクラスのままだった。次第に自分の立ち位置がわかるようになったのか、6年の夏ころには、“麻布”が口から出てこなくなった。頑張ってもMクラスに上がれない。偏差値も60台に届かず、夢見た麻布は雲の上の存在‥。12年間の人生で初めてリアルな高い壁の存在を知る。

【追い込み期】
ほかの中受生同様、6年の2学期からギアが一段上がった。「男子校 and/or 東大合格実績があるところ」という本人の希望は、当初からのもの。9月に学園祭に行った攻玉社中学校を第一志望に決めたようだ。なかなか安定しない偏差値には一喜一憂せず、目の前のやるべきことに向き合い続け、理科は得意科目になっていた。通っていた後期の日特を、思い切って途中から攻玉社日特に変えさせてもらった。この変更がモチベーションの維持・向上に大きく影響したものと思われる。ご多聞に漏れず何度も過去問のコピーを頼まれたのだが、2025年度版では足りなくなって、2022年度版をメルカリで探して購入。過去6年分をしっかりこなしていた。また秋以降、受験直前まで、自習室を積極的に活用していたことが強く印象に残っている。大丈夫だ、戦う顔になっている。

【前哨戦の1月入試】
埼玉で3校を受けることにした。点数や順位が出るというチカラ試しの栄東中学校(59-60)、お守り代わりの城西川越中学校特選(47)、間隔が空くことで中弛みしないようにとの立教新座中学校(60)。
結果、予想どおりの城西川越特選のみの合格。ここの試験日は栄東と同日の午後だったが、大宮会場にしておいてよかった。時間的に余裕を持って昼食を取ることができ、落ち着かせることができたからだ。栄東は受験者数が多く、試験終了から出てくるまで、かなりの時間がかかる。もし、試験会場が川越の校舎だったら、駅からタクシーでの移動になっていただろう。すぐに捕まえられなかったり道が混んでいたらアウトだ。

【いざ本番】
2月1日は、午前は攻玉社1回目(55)、午後は滑り止めにしたい東洋大学京北中学校の算理受験(53)。2月2日は、午前の攻玉社2回目(62)、午後は淑徳東大選抜(57)、でスケジュールを確定させた。
これまでの偏差値と1月受験の結果から、2月1日の攻玉社1回目が本番・本命と捉え、前日は目黒駅前のビジネスホテルに投宿するなど万全の構えで臨んだ。が、試験終了後の表情はあまり冴えず、「難しかった‥。漢字と語句ができなかった」とのこと。気を取り直して、昼食後に東洋大京北に向かう。算数と理科だけなら偏差値的には問題ないはず。「男子校 and/or 東大合格実績があるところ」という本人の希望には合っていないが、私がここの“哲学教育”を気に入っており、唯一、親の希望で受けさせたトコロ。
結果、攻玉社は不合格で東洋大京北は合格。栄東での科目ごとの得点と平均点との差、合格基準点との差から、正直、この展開はあり得ると覚悟していたものの、3年間の頑張りを思うと、ショックがなかったと言うとウソになる。
最後は、攻玉社2回目の“熱望組”にかけることに。偏差値は前日から7も上がり62になるが、両日同時出願・受験で多少加点してもらえる“熱望組”なる制度があると聞いていた(追加が何点なのかは公表されていない)。なので、もし、2日とも合否ギリギリの戦いができているのであれば、ワンチャンあるかと。よって、「終わったことは忘れよう。滑り止めと考えていた東洋大京北には、ちゃんと想定シナリオどおりに合格したのだから実力は出せているはず。明日の攻玉社2回目に集中しよう」と声をかけた。2日目は精神的にも吹っ切れたようで、持てる力を出し切れたみたいだ。

【歓喜の瞬間】
午後の淑徳東大選抜から帰宅したら18:30。19:00の攻玉社2回目の発表をドキドキしながら待つ。いざ、アクセスしようとすると、タッチの差で嫁さんが先に見てしまった。家中に響き渡る「ゴウカクゥ〜!!」の叫び声。思わず倅を強く抱きしめ、髪の毛がくしゃくしゃになるほど頭を撫でてしまった。俗に言う御三家や新御三家、早慶あたりを目指す子たちにとっては、滑り止めにするレベルなのかもしれない。が、自分で立てた目標に邁進し、結果を出したことに言いようのない感動を覚え、零れ落ちそうな涙を必死に堪えて、笑顔で何度も抱きしめた。紛れもなく“二月の勝者”になったのだ。

【2月3日】
もし、2日も不合格だったら、5日の攻玉社3回目(61)まで空いてしまう。ここまで偏差値60レベルに落ち続けたとしたら、最後の模試からの1ヶ月間に実力がそこまで積み上げられなかったということになる。よって、2日の夕方に翌日午前の成城中学校(55)にエントリーした。本人の希望は「男子校 and/or 東大合格実績があるところ」で変わらなかったからだ。
結果的に、2日夜の攻玉社2回目の合格発表をもって進学先が決まり、3日の成城は受ける必要が無くなった。が、本人は、「受験料を払ってくれたんだから、受けたい」と言う。そして、成城からの帰宅後、「あれ?もう受験勉強も受験もないんだ‥」と少し寂しそうに言う。「終わってみて、振り返ってみてどうだった?」と聞いてみたら、一言、「楽しかった」と。
これまでの3年間のテキストとノート、模試、過去問を積み上げて、日能研リュックと先生方の寄せ書きを手に持たせて記念写真を撮り、我が家の中学受験は幕を閉じた。

そう遠くないうちに反抗期がやってくる。身長も直にママを抜かすだろう。親よりもまわりの友達に影響されるようになる。親離れは時間の問題だ。受験当日、早起きしてあちこち一緒に出掛け、最後の抱っこや最後の手繋ぎを思い出しながら試験会場で見送り、試験終了までを待っていたこと。それは、パパにとってはとても貴重で幸せな時間だった。そして、もうパス・サインメールが来ないことに一抹の寂しさを感じるのだ。

追伸
日能研の先生方やスタッフの皆様には感謝しかありません。本当にありがとうございました。心より御礼申し上げます。
今後も寄せられたドラマを、各カテゴリーに随時アップしていきます。
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