■通塾、そして、TMに
初めて我が子が中学受験を意識したのは3年生になってから。クラスの半分近くの子どもが受験する環境で「○○君はS塾に通ってるよ」「△△さんは日能研だよ」、そんな声が徐々に聞こえてきました。
父母ともに中学受験を経験していたこともあり、まずは体験教室にと日能研へ。日能研を選んだのは父も日能研経由で麻布中学校に進学していたから。今は合格実績ではS塾の後塵を拝していますが、25年前は中学受験といえば日能研、だったはず……。
体験教室が楽しかったこともあり、近所のX校に3年生の2月に入塾しました。入塾時から麻布を第一志望にしていたものの、当初は成績もなかなかあがらず、親は勝手にやきもき。勉強しているようなしていないような。宿題やっているようなやっていないような。課題は文字を書くスピード、計算のスピード。丁寧に書こうとしすぎて最後まで辿り着かない、時間があれば解けるのに、そんなことが続きました。
ただ、先生方の指導や毎週のテストでの経験の積み重ね、そして何より「塾が楽しい!」という想いで、少しずつ成績も上昇しました。最初はAクラス、そして、Mクラスにあがり、6年になってTMクラスに。TMクラスのお誘いの際には少し不安がっていたものの、「電車に乗っていけるよ」の一言で即決。そこからは2駅分電車に乗ってTM通いの日々でした。
TMクラスでは、いつX校に戻されるかと毎月の日能研全国公開模試のたびにドキドキしながらも、日々の授業で刺激を受け、また、電車好きの友達もでき、新しい生活のリズムにも慣れていきました。麻布対策の日特ではJRで行ったり、地下鉄で帰ってきたりとルートを楽しみながらいつの間にか沿線の駅や乗換路線を丸暗記。あまりのマイペースな様子に、いつモードが切り替わるのかと親は気が気ではなかったのですが…。
年末が近づき、徐々に受ける学校を考えます。自由でリベラルな校風がいい、ということで、麻布を第一志望としつつ、2月2日は渋谷教育学園渋谷中学校、3日目は海城中学校。実力的にどこも確実とは言えないので、2月4日には芝中学校。何なら6日は近所の広尾学園小石川中学校にと、志望校を決定。
1月受験では、祖父の母校である愛光中学校のみとして、埼玉と千葉の学校は受けないことに。1月受験をどうするかは父母でバトルがありましたがそれはここでは割愛しましょう笑
「TMクラスの子は第一志望に落ちない」とか先生に言われたとか言われなかったとか・・・。本当かよと思いつつ、いざ本番へ。
■始まった入試、そして、怒涛の展開へ
1月上旬の愛光は東京の会議室での受験。ふだん女子がいる環境での試験が少なかったらしく、斜め後ろに女子がいたと、落ち着かなかった様子。とはいえ無事に合格。愛光の国語の問題の文章を読んで、その主題に親は心をうたれる。いい学校だな、もう受験終わってもいいんじゃないかな。合格通知をもらい本人は大満足。湯島天神のお守りと一緒に机に飾りました。
1月中旬と下旬は埼玉と千葉を受けないため、通塾しつつ、麻布以外の受ける学校の過去問を、本番と同じように時間をはかって解いていく。終わったら採点して間違えたところを見直す。合格最低点はこえるものの余裕があるわけではなく。本番は緊張するだろうしテンパるだろうからもうちょっと取らないと。国語や理科はいつも時間が足りなくなる、長文記述は何が何でも書こう、算数で途中点くれる学校は式だけでも書こう、難しい問題でも(1)は必ずわかる、そんなことを繰り返しました。この方法でいいのか、もっと違うことしたほうがいいのか、なかなか正解がないなかでの緊張感の高い日々でした。
1月中は学校を休まず、普段の生活リズムで、インフルの予防注射だけ早めにうけて・・・。入試の前後の1週間は父母ともに有給をとり、事前に送り迎え等の段取りを決めて準備万端。いざ本番へ!
2月1日、麻布。広尾駅から有栖川公園の横の坂を上って角をまがると見えてくる・・・のはカタール大使館で、その横の小さな門が麻布。元麻布生の父が在校中に聞いた与太話では「狭き門より入れ」だとか、そうじゃないとか。今は試験前の体操はないらしく、中庭でバイバイ。「ハグしようか?」「え、恥ずかしいからやめて」「じゃあ気合注入のグータッチで…」一度も振り向かずにすいすい進む我が子。
麻布はお昼ごはんタイムがあり、午後に終了。迎えると、「国語は初めて時間が余った」「算数はできなかったところもあったが抑えるところは抑えられた」と好感触。過去問でも合格最低点を割ることはなかったので一安心。「この調子で明日も頑張ろう!」
2月2日、渋渋。小雨のなか再開発で別世界になった宮下公園を横目にキャットストリートの手前、大都会の学校。父の中学受験の時には多分、渋渋はなかった。校舎に入ると生徒がお手伝いをしていて、あたたかい雰囲気。公開模試の会場受験で渋渋は経験済み。「ハグしようか?」「え、しなくていい」「じゃあ気合注入のグータッチで…」一度も振り向かずにすいすい進む。よし平常運転。
お昼に迎えてスクランブルスクエアでランチ。「国語ができた」「算数はいつも通り」と好感触。過去問のできは一番微妙だったので心配だったものの一安心。「明日もあるから早く寝るよ!」
2月3日、海城。そして、この日は11時に渋渋の合格発表で15時に麻布の合格発表。海城に入ると学生がお手伝いをしていて学ランで挨拶の声も凛々しい。さすが元海軍予備校。本人を送り、父母で渋渋へ。結果は不合格。
「まじかぁ、本人好感触だったし見直しした感じでも受かるかなと思ってた」「麻布は大丈夫じゃないかなぁ」。
本人を迎えると不穏な一言。「理科が全然ダメで最初の浮力の問題が全滅かも」。何とも嫌な空気が流れつつも、麻布の発表へ。麻布は15時に発表といいつつ、はやめに校内掲示がおこなわれた模様で、到着するとすでに合格者が事務室に長蛇の列を作っている。「合格しててくれ」・・・。結果は不合格。
正直、そのあとの数時間、3人でどんな話をしたかを覚えていません。ダブル不合格がまさか、でもあるし、海城の不穏な感じもあり、全落ちもありかも、と。帰りの南北線で泣く我が子。帰宅後にTMの先生に電話し励ましてもらう。親ができることはメンタルケアとサポートのみ。背中をさすって「海城は大丈夫だよ、明日もあるから明日の芝も全力で行こう」。
本人がひとしきり泣いて寝た後、父母で作戦会議。ひたすら「繰り上げ合格」についてネットで探す。麻布の繰り上げ合格に淡い期待をしつつも海城に落ちたときのことを考えて芝に集中させよう。
2月4日、芝。御成門から東京タワーに向かって歩く。受験生多し。校舎についたら本人が一言「校舎から東京タワーが生えてるみたい」。大丈夫、いつもの我が子だ。
「ハグしようか?」「うーん、グータッチで」「じゃあ気合注入」。
海城の発表は12時ちょうど。オンラインで見ることができるので芝に迎えに行く途中で合否がわかる。電車のなかで12時になるも母は手が震えて画面を開けず。父が開くと「合格」の文字が。「君よ 豊穣の大海原へ漕ぎいだせ」とのメッセージ。思わず目頭が熱くなる。父母でハイタッチをしてお迎えへ。
「海城、受かってたよ!」「やったー!!」「芝はどうだった?」「増上寺とかやっぱり出たよ、どの科目もできたと思う」。よかった、いつもの我が子だ。
■ドキドキの繰り上げ連絡
海城は12時~16時に入学手続きの必要があり。とはいえ、ワンチャン麻布の繰り上げ連絡があきらめきれず、15時まで待とう、それまでに来なかったら海城に進学する、と方針を決定。移動中に電話が来て気が付かないといけないので、東京タワーでランチをすることに。
祖母にも海城に進学するよと連絡。「学ランだぜ」「何部にする?」など、頭は海城モードでいたら13時52分に母の携帯に着信が。母はうまくしゃべれずスピーカーフォンにして父が話す。
「繰り上げ合格です」「ありがとうございます。麻布に行きます!」
渋渋と麻布に落ちてどん底だった2月3日と打って変わって4日は海城に合格に麻布に繰り上げ合格、夜は芝も合格し、ジェットコースターのような2日間でした。泣いたり笑ったり、ハグしたり。本人の頑張りはもちろんですが、ゲームやアニメを我慢した妹も含めて、4人で引き寄せた繰り上げ合格かもしれません。正直、寿命が3年くらい縮みましたが。
繰り上げ合格をわがことのように喜んでくれたTMクラスの先生方、そして、TMに移ったあともいつも我が子のことを気にかけてくれていたX校の先生方にたくさん支えられました。
合格はあくまでスタートライン。ここからどう成長していくのか、どうこうの経験を彼が活かしていくのか、親としてもとても楽しみです。
そしてなにより、どの学校も素晴らしい。生徒を迎え入れる雰囲気も、環境も、そして問題文の主題やテーマも含めて、子どもたちへの愛にあふれていて、感動しました。今回うちの子が受けなかった学校も含めて、どの学校も、一人ひとりの子どもを本当に大事にしているんだなと感じて、とてもあたたかな気持ちになりました。
とはいえ、受験は残酷な面もあります。不合格の文字は本当に子どもたちには厳しい。でも、あらためて、中学受験は何が起こるかわからない。これから受験する生徒さんも、保護者のみなさんも、最後まであきらめずに、全力を出し尽くしてください!
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