2/7 8:58 予約していた通院のため玄関で靴を履こうとしたところ
携帯電話が鳴った。すぐに取り出し画面を見ると「香蘭女学校中等科」の文字
「はい」「〇〇 〇〇様の保護者様でよろしいでしょうか。香蘭女学校ですが、お嬢様の繰り上げ合格が決定しました。つきましては、入学の~」「是非、お世話になります。」
この後の会話は興奮であまり覚えていないが手続きの話を聞き洩らさないようにリビングに戻り、封筒にメモをとった。
一通り確認した後、お礼を言って電話を切った後、家族3人で抱き合って喜んだ。
第2回入学試験結果発表から長い4日が過ぎた日、中学受験が本当に終わった。
日能研へお世話になるきっかけは、小学校2年の時に、当時の娘のクラスが騒がしいクラスだったらしいこと。
先生の話を聞きたいのに聞き取れないことがあって、ストレスだという話をしていた。
親としては軽い気持ちで、「先生の話をみんなが聞いている場所があるよ。でも試験を受けて合格できたら入れるんだよ」と誘ったところ「行ってみたいから受ける」とのこと。
その後、日能研全国公開模試に申し込みをして、受けさせた。その間に保護者会があり、教室長から中学受験への簡単な説明と、何より「小学校の試験とは違い、問題用紙と答案用紙が分かれていて、答案用紙に答えを書くだけでもすごいことであり、褒めてあげてください」ということが、目から鱗が落ちる思いであった。また、その教室長の朴訥な話術にすっかりファンになった私は、帰って妻に3年から通わせようかと言っていた。
実は私自身、中学受験は未経験、公立の中学、高校に通学した田舎者であり、妻は中学受験経験者で最初は中学受験は不要であると考えていた。
しかし、この日を境に中学受験沼へ誰よりもはまっていった。
<小学校3年>
娘は習いごとをしていたので、算数、国語の2科のうち算数1科だけ受講していた。
まだまだ先なので、成績は気にしていないつもりであったが、マイファーストテストもそんなに悪くはなかった。
親としては人見知りで場所に慣れることに時間がかかる娘に、早くから塾に通うことで高学年になっても日能研に行くことが苦にならないといいなという思いもあった。
とても印象的で忘れられないのは、算数の授業で2進法が出てきた。宿題がわからないということであったので、いろいろと例を出したりしながら教えていたが、どうしても理解できないことに娘は悔しくて涙を流した。
さすがに大人でも理解していない人がいる2進法について、小学校3年生で理解しなければいけない中学受験って何なんだ。これは教育虐待ではないのかという葛藤があったことを明確に記憶している。
<小学校4年>
受講科目が4教科に増えた。この頃も育成テストや日能研全国公開模試でそこそこの点数であったが、この頃から単元によって算数や理科でつまづくことが多くなってきた。
共通問題は何とかできるものの、応用部分でなかなか得点できなかった。
しかしながら、典型的な国語女子である。国語に関しては応用問題でもそこそこの点数をとってくるので、親としてはこの時点で国語に関する口出しはやめた。
せっかくのセンスをつぶしたくなかったのだ。小さいことから本を読むことは大好きで、親としても本は好きなだけ読ませていたことがよかったのかもしれない。
宿題と育成テストの前にテスト範囲の復習は親も一緒に付き添った。また育成テストは趣味で私も試験時間を10分程度短くして解いた。当然、満点などほど遠く娘の国語のほうが成績がよかったりした。あとは社会については前日に総ざらいして受けさせていた。
「模試や育成テストに一喜一憂して復習はせず」の典型的な悪い親である。
また、この頃から学校説明会や文化祭、体育祭に多く行き始めた。娘も連れて行ったが、娘は明確に記憶していないようだが、むしろ親はここで多くの学校の雰囲気、教育方針がいろいろ聞けたのは本当に良かった。
<小学校5年>
いよいよ本格的に授業数も多くなり、テストもほぼ毎週となる。
季節講習も6年の準備となる。本人は少し前の学年との違いに戸惑っていたようだ。
全体的に4年の時と成績の乱高下はなかったが算数と国語の差が大きくなってきた。
また、何より自分の自由時間と宿題をやらなければならない時間とのギャップをうまく受け入れることができず、妻と時間の使い方について衝突することが多くなってきた。
大人でいえば会社に2つ行っているようなものである。多少は大目に見ることはできるが、あまりに目にあまる時が2回ほどあり、「中学受験をやめていい」と本人に伝えたことがあった。娘は「中学受験はしないけど、日能研には行く」と言っていた。
これを聞いた時、私自身としては嬉しかった。日能研で行くことで知的好奇心は満たされており、もっと新しいことや知りたいことがあるということ。もちろん口頭では「日能研に行きたいなら、できる宿題はやろう。難しいのはやらないでもよいから、その時間を自由時間にしよう」と言い聞かせた。
恐らくこの辺りから6年の秋くらいまでが中だるみだったのかとも思う。
親の準備としては秋くらいにほぼ志望校と日程について決めていた
<小学校6年>
いよいよ最終学年である。5年から心配の種であった算数、理科が苦手になってきたように思えた。親としてもテストや宿題が多くなってきており充分な伴走はできていなかった。しかしながら日能研の友達や先生方の助けもあり、天王山と言われる夏期講習となった。
ここで我が家は完全にTVのアンテナ、電源を切った。娘が勉強しているのに親が何の制限もなく自由にしているのは違うと思ったからである。
しかし、娘のエンジンはなかなか本気モードにはならなかった。算数の428も1周程度だったので、基礎的(AとB、C)なものにだけを取捨選択してやらせた。
日特について我が家は前期日特はほぼ欠席である。なぜかというと、6年前期までは育成テストの単元毎の復習を重視でよいと考えたからである。
また、後期、本人は難関校日特に行きたいようだったが、受験予定の過去問がある合格力完成日特に行くよう説得し、先生にも協力していただいた。
渋々行ったものの、クラスでの点数がよいとやはりうれしそうであった。
友達もいない中、行かせるのは少し酷であったが、すべては最終的に合格するため、受験予定の過去問を解く時間と解説を聞く時間が日特でできれば、時間短縮になると考えたことであった。この考えは今も正しかったと思う。
秋を迎えると範囲のない毎週のテスト、順位に伴う席順でクラスでの自分の位置が明確になってしまう状況であったが、宿題、過去問を解く毎日であった。
幸い過去問を解くのはなぜか好きなようで、点数で合格者平均との差を妻とメモしていた。
この辺りから私自身も仕事が忙しくなり、妻に伴走を任せていた。
いよいよ冬期講習が始まり、終了すれば埼玉、千葉入試が始まる。
12月くらいから算数については新しいことは一切やらず、合格力育成テストで正答率50%以上で誤った問題を何度も解かせた。また、香蘭女学校の日特はなかったため、特化した通信教育テストを購入、そのテストでできなかった算数の問題を何度も解かせた。
結果、1月下旬にはほぼ回答できるようになっていた。
1/10 埼玉・埼玉栄中学校
初戦かつ遠方であるということで近くにホテルをとり、妻と娘で前泊。私は朝ホテルに迎えに行き、付き添った。
電車の中はほぼ受験生と親、駅から学校まで人の列に圧倒された。
娘には「今日の目標は、人の多さに慣れること。今後これ以上の人を見ることはないから」と言い聞かせた。親としては何としても人生初の受験は合格が欲しかった。
☆医難関特待合格をいただくことができた。
1/12 埼玉・大宮開成中学校(特待)
初戦同様に遠方であるということで近くにホテルをとり、妻と娘で前泊。私は朝ホテルに迎えに行き、最寄り駅から20分ほど歩いてみた。
バスもあったが人込みで気分が悪くなることを避けた。
娘には「今日の目標は、香蘭と同様のレベルであるので練習」ということ。親としては不合格をもらうことを想定していた。
☆一般合格をいただくことができた。
1/21 千葉・国府台女子学院
東京受験最終の前受けということで、仮想香蘭としてとらえていた。東京受験と同様に朝早く出て、受験することを目標と娘に話をした。親としてはここは香蘭の前に合格が絶対にほしかった。
ここが不合格であれば、和洋国府台女子中学校を受ける予定としていた。
☆合格をいただくことができた。
1/31 受験前日
いままで何度もやってきた算数の見直しと理科(てこ、電気、滑車)について、1日かけて復習した。娘はもう勉強は飽きたと言っていた。
2/1午前 香蘭女学校
いよいよ本番である。学校説明会やヒルダ祭で行きなれた道を通って、開門前に到着。待っている私も他の学校より早く時間が過ぎた気がした。出てきた娘は「算数が難しかった」と言っていた。
2/1午後 昭和女子大学附属昭和中学校
三軒茶屋へ移動した。妻がパン屋のイートインで待っており食事をしたが、娘は食欲がなく、頭が痛いとのこと。急遽、薬を飲ませ休ませた。幸い1時間半程度の余裕があったので、何とか復調した。
できはまあまあとのこと。
2/1の結果は2/2午前の共立女子中学校が終了してから見ることとしていた。
なぜなら、メンタル的に夜見てしまうと結果はどちらにせよ興奮して睡眠に影響があることは避けたかったからだ。また、どうしても2/1の昭和女子大附属、2/2共立女子は合格が欲しかった。
さらに昭和女子大附属に娘を送り込んだ後、2/1の結果がどうあれ、妻と2/2午後は香蘭女学校を再度受け、後悔のないようにさせることで決めた。
2/2午前 共立女子中学校
国府台女子学院受験以来の朝1時間程度の移動、かつ平日ということで、できるだけ空いている電車を選んで早めに到着した。娘は少し口数も少なく緊張しているように見えた。
解散が到着順なので、早く行ったが2番めの教室となった。出てきたところで手応えを聞くと「まあ半々かな」とのこと。「算数の失点を3科目で埋められれば大丈夫」とのことだった。
妻が付近で予約していたレストランで食事をした。食べ終わった後、妻の携帯電話で合格発表を見る。
「昭和女子大学附属から見るよ」と言って妻と娘が携帯をのぞき込む。
ピンクの画面だ。
昭和女子大学附属合格
次は香蘭女学校だ。再度、妻と娘が携帯をのぞき込む。
「・・・だめかぁ」なんか難しかったんだよね。
香蘭女学校不合格
妻と一緒に、「もう一度チャンスがあるから受けに行こう」と話をして地下鉄に乗り込んだ。途中、娘は「もういやだ、帰りたい」と何度も言っていたが、「もう、これが最後の受験だから行ってみよう」と言いきかせて連れて行った。
最寄りの駅に着けばもう受験生である。
校門を入り、保護者と受験生で別れるところではこちらを振り返りもせず歩いて行った。12歳女子にここまで試験を強いなければならないのかと厳しさを改めて感じるとともに、娘の堂々と歩いていく姿に成長を感じた。
2/1と同様に保護者控え室の礼拝堂に向かった。
挨拶してくれる先生方や在校生が醸し出す、この学校の雰囲気を改めて感じ、「娘を通わせたい、親として再度ここに戻りたい」と心から思った。
試験終了後、出てきた娘は「1回目よりできた。特に国語は自信ある」とのこと。
とりあえず「よくがんばった」とねぎらい、帰りの電車は座れたので隣を見ると、娘は疲れ果てていた。その瞬間これで受験は終わろうと思った。
2/2 19:00 共立女子発表
本人が見ると言ってきかないのでみることとした。
今日は休んで、明日香蘭女学校の発表と一緒に見るのでよいと思っていたのだけど。
家のPCで確認した。合格だった。
私の目標であった「娘に進学する学校を選ばせる」ということが叶った。
2/3 7:00 香蘭女学校
翌朝、家のPCで確認した。不合格だった。
念のため、繰り上げ対象者を見てみようということで見てみたところ、対象者となっていた。
第2回合格者は19:00までに入学金を払い込む必要がある。
辞退する人は払い込まない。その集計は明日以降だろうということで、連絡も明日以降と想定した。
昭和女子大附属より合格者書類が到着、改めて合格を実感した。
2/4から待ちの時間である。
また、当日は共立女子は学校で入学書類を受領し、入学金を払い込む必要がある。私は電話を待ち、妻は共立女子に行くこととした。妻と話をして、昭和女子大附属を辞退させていただき共立女子へ進学する方向で進めることを確認。娘に伝えたところ、最初からそう思ってたとのこと。
2/5午後 日能研挨拶
お世話になっていた先生が異動とのことで最終日に挨拶に行った。
繰り上げ待ちであることもあり、何か明るい気分にはならなかった
教室の壁に、仲のよい友達が第1志望校に合格した短冊を見つけた。
なんとなく見ていたものの娘と早めに失礼した。
いろいろと待っている間には考えることが多かった。
受験プランは正しかったのか。もっと他にあったのではないか。もっと伴走できたのではないか。そうすれば2/1にすんなり合格できたのではないか。自分を責める悪い方向になってきたので、2/6の17:00で共立女子へ切り替えることに決めた。
ふり返ってみれば7戦6勝という信じられないような結果で終わることができた。
これもすべて日能研の先生方のおかげである。
算数の宿題がわからず電話で私が質問した時も丁寧に教えてくださった。
模試が終わった帰り道に娘といろいろ話をしながら帰ったこと、国語の文書がこんな内容だったとか、授業でこんなことがあったとか、友達のことを話してくれる、徒歩15分程度だがよい思い出の時間である。
決して優秀ではない親子であったが、これ以上ない結果を残すことができた。我が家の体験が少しでも参考になれば幸いである。
- ※
- 今後も寄せられたドラマを、各カテゴリーに随時アップしていきます。