「勉強がイヤだ」「勉強は楽しくない!」。子どもの頃、そんなふうに感じていた大人の皆さんは少なくないのではないでしょうか。そもそも「勉めを強いる」と書く「勉強」。言葉からして楽しそうではありません。(日能研は勉強という言葉を一切使いませんし、そのような概念で子どもたちとつきあっていません)
では子どもの頃「学ぶこと」がツライ、イヤだと感じた一番の理由はなんでしょう。
ひょっとして、いまの大人のみなさんはこんなモデルで学んできたのではないですか?
学ぶことはとにかく知識を覚えること。覚える量が多ければ多いほど優秀で、そのことを「詰め込み型教育」なんて名づけられたりしました。知識を覚えること、そのものは悪いことではないのでしょうが、その量があまりにも膨大なために「根性」と呼ばれるような精神力が必要とされました。「いいから覚える」「とりあえず覚える」。出会った知識に興味を抱きながらも、深掘りすることは二の次。これで「学びが楽しい!」と言えること自体、あり得ないでしょう。
日能研ではこういった学びの方法(勉強方法?)を「末端モデル」と名づけています。
学ぶ方法としては最も原始的な手法で、それだけに一般に広がったのではないでしょうか。問題はこれが「過去の遺物」ではなく、現在も平気で支持され存在していることです。学びがツライ!?と感じたままで、子どもたちは「さらに学びたい」とは思ってくれません。では、どうしたら「学びが楽しい!」という構図をつくることができるでしょう。