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社会 問題2

887年、藤原基経は宇多天皇から正式に関白の地位をあたえられました。基経は太政大臣で関白という強大な権力を持って政治をおこない、天皇のあとつぎ問題にも口を出すほどでした。その基経の死後、宇多天皇は思い切って新しい人物を役人に登用しました。それが菅原道真です。
道真の地位はトントン拍子に高まり、宇多天皇の次に醍醐天皇が即位したときには右大臣となっていました。これをこころよく思わなかったのが、左大臣の藤原時平(基経の子)でした。時平は、「道真は、天皇の弟である斉世親王を天皇の位につけようとしている」と、醍醐天皇に申し出ました。そして醍醐天皇は、道真から右大臣の職をとりあげ、大宰府の役人に左遷したのでした。
大宰府でさびしい2年間を送った道真は、903年に病気で亡くなりました。道真の死後、京都では雷による火事があちこちで起こり、人々はこれを「道真のたたりだ」といっておそれました。
もしも死後の世界というものがあって、そこで藤原時平が菅原道真に会ったら、次のように話すかもしれません。

道真さん。あなたに無実の罪をきせて都から追放したことを、私は申し訳なく思っています。あなたはすぐれた学者であり、あなたの遣唐使廃止の意見が通るなど、あなたは短期間のうちに朝廷で大きな力を持つようになりました。このままでは、やがてあなたの力によって、藤原一族がおさえられてしまうのではないかと私はあせりました。祖父良房、父基経と続いた藤原一族の栄華を私の代で終わらせたくありませんでした。だからあなたを追放しようと思ってしまったのです。本当に申し訳ありませんでした。

【問い】歴史の中では菅原道真のように、無念のうちに亡くなった人物が大勢いたことでしょう。菅原道真と藤原時平のような、敵対する関係にあった歴史上の2人の人物をあげ、上の藤原時平のことばのように、悪事をはたらいた側がそれを受けた側に謝罪する文章を書きなさい。

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解答例 社会2

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