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親と子の栄冠ドラマ -中学入試体験記-

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我が家の中学受験プロジェクト

  • 年度:2019
  • 性別:男子
  • 執筆者:
自宅から楽に通える明治大学付属明治中学校に行けたらいいねという想いで、新4年生になる1月から始めた中学受験プロジェクト。
日能研と他塾の入学テストを受け、ご縁のあった日能研にお世話になることにしました。
勉強するのは当然息子。
お弁当作りや健康管理は妻。
成績やスケジュールの管理は私。
きれいな役割分担です。

まだまだ精神的に幼い息子。あまり早い時期からビシバシやってもと思い、4年生、5年生と、基本的にはあまり干渉せずに、日能研全国公開模試やカリテの結果をチェックしてフィードバックというサイクルでやっていました。
途中一度だけクラス落ちがありましたが、何とかMクラスにしがみついて、息子にも「Mクラスに居ればクラス内の順位は気にしなくていいよ」とずっと話してきました。
やる気スイッチが入らないようなら6年生になるタイミングで・・・と考えていました。

その中で、1回目の転機になったのはそのタイミングの直前、5年生の12月にあった2回の公開模試でした。
11月頃から明らかに勉強に集中していない様子で、結果も2回続けて今までよりマイナス10近い偏差値でした。
そして当然のように、新6年生はクラス降格でのスタートとなりました。

このタイミングで、初めて強く喝を入れました。
「やる気がないなら今すぐ受験なんて止めなさい」
「最初の入れ替えでクラスを戻せなかったら中学受験は止めさせる」

この喝が効いたのか、勉強に取り組む姿勢が変わりました。
毎朝学校に行く前の勉強にも真剣に取り組むようになり、6年生最初の入れ替えで無事にMクラスに復帰し、その後もしっかり結果を出せるようになりました。
中学受験、特に男の子にはある程度の早熟性が必要と言われますが、ギリギリ間に合ったかなと感じました。

そして、2回目の転機は6月の公開模試のあとの学校説明会でした。
青山学院大学の講堂での説明会を何校か聴いての帰り道、
「渋谷教育学園渋谷中学校受けたい」「次からの志望校登録は渋渋第一志望にして」と息子から言ってきました。
もちろん名前は知っていましたが、偏差値はR4どころかR3にも届いていない学校でまったく情報収集していなかったので、慌てて情報を集め、飛龍祭に申し込み、Nフレンズでも最初に渋渋のブースに行きました。
話の内容もさることながら、1歳年上の生徒さんたちがとても大人に見えたことと、息子が自分の名前をカードに書いてもらうために書いてみせたその字がものすごくきれいで、成長したなと感じたことをよく覚えています。

そして、そのメッセージカードを書いてくれた生徒さんと、飛龍祭でばったり再会しました。
このときに「ひょっとしたら」と思いました。
ただの偶然ですが、これもひとつの縁かもしれないと親の私は感じました。

その後も相変わらず公開模試の成績は現状維持が精いっぱいで、なかなかR3にも微妙に足りない状態ではありました。
過去問をやっても渋渋だけはなかなか合格者平均点に届かない状態が続きました。
それでも、秋からの渋渋日特にも頑張って通い、優秀なクラスメイト達に刺激を受けて楽しく勉強しているなと感じることができました。

息子も「渋渋と明大明治どっちにも行きたい」と言っていて、甲乙つけ難いようです。
親としては、渋渋と明大明治の問題傾向がまあまあ似ているということもあって、渋渋を目指して、明大明治に十分届くくらいまで学力が伸びてくれればよしと考えて見ていました。

そして年が明け、いよいよ受験本番。
「渋渋か明大明治どちらかに合格できるように」
ということを考え、1月校は「合格という結果を得る」「高い壁にぶち当たる」それぞれを体験できる学校を一校ずつ選びました。
2月の受験日程も渋渋、明大明治、どちらにも行きたいという息子の意思を可能な限り叶えられるよう、各二回ずつ受験できるように組み、1日と3日には午後校も準備しました。
一方で2日午後は、どうしても自分の目で渋渋の合格発表を確かめたいという息子の意思を尊重し、受験予定は入れませんでした。

そしてついに2月1日がやってきました。
渋渋の体育館から在校生に誘導されて教室へ消えていく息子の後ろ姿を見送りながら、涙が出てしまいました。
親としてやれることはやれたのか、結果はどうなるのか、色々な想いが交錯する中、4時間の待ち時間がとても長かったことを覚えています。
ここにたどり着くまでにも辛いことはいろいろありましたが、この待ち時間の辛さは一番のものだったと思います。

午後校も受験し、帰ろうと思ったら、息子が「明日の明大明治に備えて算数の勉強をしたいから、日能研に寄ってから帰る」と言い出しました。
校舎に着いたのは19時近くで、自習室の開放時間は19時までだったようなのですが、先生方のご厚意で30分ほど勉強できスッキリした表情で戻ってきました。
最後のやる気スイッチが入ったのかもしれません。

翌2日はもう一つの志望校である明大明治の1回目試験、会場には息子の大好きな社会担当のI先生が応援に来てくださいました。
握手していただいて息子の緊張が程よく解けたのを見届け、送り出しました。
「過去問3年分×2回、全部合格者平均点超えてたし、大丈夫」と言い聞かせながら、不安な想いを押し殺して長い4時間を過ごしました。

試験が終わり「算数が全然できなかった」という息子の話を聞き、動揺を隠しつつ「お前が出来なかったなら皆出来てない」と励ましながら渋谷へ向かいました。
すでに発表開始時間は過ぎており、悲喜こもごもの受験生親子と何組もすれ違い・・・体育館に入りました。
息子は自分で結果を見に行き、私は掲示板に背を向けて待ちました。

そして
「番号・・・なかった」
という息子の涙声が聞こえました。

2月5日の3回目を受験したいというので、出願手続きを済ませて帰路に付きました。

明大明治1回目は結果待ちですが、算数の出来の話を聞いてしまったので、明日の2回目試験までに気持ちを立て直させなきゃと思い、昨日に続いて日能研へ行きました。
先生方に心のケアと翌日に備えた対策をお願いしたのですが、戻ってきた息子はすっかり立ち直っているように見えました。

日能研から帰宅して、明日の準備を整えたら、もう21時。
「もしかしたらもう発表されているかも」と思い、明大明治のWebサイトにアクセスしてみると、合否照会ができる状態になっていました。
私が受験番号とパスワードを入力し、最後のワンクリックは息子に託しました。

すると、画面には
「受験番号xxxx番の方は、おめでとうございます。合格です」
の表示が!

今度は感動で泣くかと思いましたが、不思議と涙は出ず、息子と抱き合って喜びました。

3日、4日と組んでいた受験予定が空になったので、自習室でしっかり勉強し、5日の渋渋3回目にチャレンジしました。
当日朝、学校に向かう途中に呼び止められ、振り返ってみると、そこには室長のW先生の姿が。応援に来てくださったのです。
感動で胸がいっぱいになり、息子を送り出すまでは我慢しましたが、また涙が・・・

翌日の合格発表、やはり渋渋の壁は厚く、結果は残念でした。
親の感じた縁は結局はありませんでした。
しかし、5日に再チャレンジできる舞台を作ったのは、2日に明大明治の合格を勝ち取った息子の頑張りです。
納得できる中学受験の締めくくりに出来たのではないかと思います。

3年間、山あり谷ありで色々ありましたが、最後まで頑張り抜いた息子を誇らしく思います。
番号が無いという辛い経験もありましたが、それも今後の人生の糧になると確信しています。
息子の確かな成長を感じられ、中学受験を志すきっかけになった志望校の合格という結果も残せ、大成功の中学受験プロジェクトでした。

その大成功を支えていただいた、日能研の先生方にあらためて感謝申し上げます。
ありがとうございました!
今後も寄せられたドラマを、各カテゴリーに随時アップしていきます。
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