宗教教育の先にあるもの

  • Vol. 1528 : 2017/09/09

聖園女学院中学校女子校

卒業生が後輩に残してくれた学校紹介ポスターを見ながら、教室に通っている子どもたちと「あこがれの中学校」についてよく話をします。
そんな時ふと感じたのが、最近、「お祈りとかある学校(ミッション校)はいや~」という子が多いなと思います。
大分昔になりますが、私が小学生の時分は、当時はやっていた少女漫画の影響もあってか、キリスト教の学校といえば女子のあこがれ!というイメージがあったもの。
そんな私の感覚からすると意外な反応だなと感じましたが、でもよくよく考えてみますと…
日本で普通に生活していたら宗教の、とくにキリスト教の宗教儀礼にはなじみがないもの。
子どもたちにとっては未知の世界。
自分をとりまく「当たり前」から勇気をもって積極的に飛び出さなければ触れることができない世界なのかもしれません。

だからこそ二の足を踏むこともあるでしょう。

先日、神奈川にあるカトリックの女子校、聖園女学院を訪ねてまいりました。
朝礼では2週に一度(中・高で隔週)、有志の生徒が聖書を朗読する特別な時間があり、
先生と共に聖書のことばに耳を傾け、その時々の内容に基づき静かに考えます。
高3まで必修の週に1度の宗教の授業では、キリスト教の内容だけではなく、他の宗教についても触れ、時代背景や思想について、または生き方について考えます。

ミッション校は様々ありますが、聖園女学院は特に宗教行事について大切にしている学校の一つではないかと思います。

宗教の授業でTAもしていらっしゃる校長先生のお話では、
「信者ではない生徒が宗教を学ぶということは自分で問題提起をすること、言われたことを覚えるのではなく自分で考えることを大切にしてほしい」
とのことでした。

あれ、「自分で考える」って今まさに日本が目指している教育じゃないでしょうか!?

ともするとミッション校は、その宗教の世界に縛られるような印象を持たれがちではないでしょうか。
しかし、学校が宗教の授業で伝えたいことは自分で考える、いわゆるリテラシーを育むことに一部は間違いなくあるのです。
それをミッション校は伝統的に続けてきたということになります。

宗教を学ぶことが、宗教に触れることが、未来の子どもたちに求められるチカラをはぐぐむことにつながる…。
一見大層な表現ですが、まぎれもなく真実なのだと思います。


そんな視点で見てみると、子どもたちが勇気をもってミッション校に踏み出す価値は大いにあるのではないでしょうか。

sicc

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