少し前に浅野に行って来ました。
この日はいろいろな授業を見せていただきました。
先生にお話を聞かせていただくなかで、書道の先生の言葉が印象に残りました。
書道では高校1年生の2学期に空海の行書などを模写したりするそう。
書道で大切にしているのは「好きな言葉を書きましょう」というよりは「古典の意味がとれること」。
じつはこの「模写」や「意味を知る」にはねらいがあるようでした。
先生いわく
「よく『個性』ということを言いますが、よいものに触れること、よいものを知ることからスタートしなければ『個性』といっても、それを表現するのは難しいんじゃないかと」。
なるほど、「個性を大切にする」まえに、すべきことがある。
「よいもの」といわれているものに触れることで、改めて自己の「個性」というものを考え直してもいいのでしょう。
この書道の先生の言葉から、骨太な教育で定評のある浅野の学びの「筋」のようなものを感じました。
各個人の考えの「根幹」になる基礎部分をまずはきっちり大切にするのが浅野の教育なのですね。
そしてさらにこの考えは、「どうしたら自分らしいか」といった悩み多き若者の、世代的な“焦り”の特効薬にもなるのでしょう。
そんな浅野学園のなかで、地に根をおろした一人ひとりの個性が、しっかりと未来に向けていま、少しずつ育っているようにも感じました。
進学情報室/O