シカクいアタマをマルくする。~未来へのチカラ~

中学入試問題は、子どもたちの“未来へ学び進むチカラ”を試しています。
そこには「こんなチカラを持った子どもを育てたい」という各中学のメッセージが込められています。
この「シカクいアタマをマルくする。」中学入試問題の新シリーズでは、そんな子どもたちの“未来へのチカラ”を問う入試問題から、その出題意図(アドミッション・ポリシー)と、子どもたちへのメッセージを探っていきたいと思います!

出題校にインタビュー!

普連土学園中学校

2024年06月掲載

普連土学園中学校の国語におけるアドミッション・ポリシーを聞いてみました。

1.言葉の意味や使い方が変わるのは日本語の特性であり、一つの文化

インタビュー1/3

言葉のやり取りには微妙なニュアンスがある

この問題の意図からお話いただけますか。

冨澤先生 「言葉を読み取る力」や「伝える力」が国語力だと思います。特に最近は学習指導要領の改定によって「正確に何かを読み取る力」「正確に相手に伝える力」が重視されてきている中で、言葉のやり取りには微妙なニュアンスが必要であろう、と考え、接頭語・接尾語に着目しました。使い方によって意味付けができるか。相手の意味付けを受け取れるか、を確認したい、というところが出題意図になります。

受験生が実際に使っていないとわからないと思うので、シチュエーションとして難しい「こむずかしい」は「例題」としました。この言葉は「こむずかしい人」と言うときなどに使います。「問題がむずかしい」「テストがむずかしい」という時には使いません。そういうシチュエーションも含めて問いたかったのですが、そうすると少し大きな問題になるので、意味づけをして「その範囲内でこういう言葉を使えるかな」という感じで問いました。

ここに載らなかった言葉もありますか。

冨澤先生 最初は接頭語と接尾語を混ぜてみようかな、と考えていました。接頭語の場合、丁寧に言いたい時に使う「お」「み」「ご」などがあります。「お」は、どういうときに使うのか。丁寧な言い方をしたいときに使う。だとしたら「み」は?というように、シチュエーションを問いたいと考えていましたが、国語科で問題を検討したときに「難しすぎるのではないか」という意見が出て、まず接頭語は接頭語、接尾語は接尾語、だけに分けました。その上で、意味を提示し、判断できる問題にしていこうということになりました。

国語科/冨澤 慎人先生

国語科/冨澤 慎人先生

ひらがなで答えてもらったのは濁る場合があるから

言葉の違いを子どもたちと話せたら楽しそうですよね。

冨澤先生 そうですね。実は「ど」や「どん」は関西起源の強調表現なので、「どん底」は出したのですが、「ど真ん中」もあります。それらを関東だとどう言うか、というと、「まん真ん中」がもともとの言い方なのです。
「ご」は音読みにつくとか、「み」は神仏関係につくとか。それはちょっと難しいですよね。そこまで広げていくと、私たちのほうでも対処のし方が難しくなってしまうので、一般的なところで例はないかということで考えました。

「細い」に「か」をつけると「かほそい」ではなく「かぼそい」となりますよね。

冨澤先生 それがあるので、常用漢字なのですが「ひらがなで答えてください」としました。「そこ」も「どんぞこ」と濁りますよね。濁る濁らないは普段使っていないとわからないと思いますので、そこも含めて判断しよう、ということになりました。

正答率はおおよそ70%前後

正答率はいかがでしたか。

冨澤先生 1番できていたのは「こころ(まごころ)」で80%以上。1番できていなかったのは「ふとい(ずぶとい)」で63%でした。ちなみに問2の接尾語よりも問1の接頭語のほうが少し正答率が高かったです。

たしかに、接尾語は馴染みがないような感じがしました。

冨澤先生 古文では「がる」が出てきます。私が高校生に古文を教えるときには、例えば「ときめく」が出てきたら、「『めく』は『はるめく』も一緒だよ」と言うと、そこで「あっ」と気づきます。「がる」も同じです。古い言葉で、実はこういう言葉が名詞につくということがわかるのは高校生の古文の学習からです。小学生に語句の起源までたどることは難しいと思います。それが接尾語の正答率が低かった理由のひとつではないかと思います。接尾語をつけている、という概念があまりないのかもしれませんね。

正答率の数値をどのようにとらえましたか。

冨澤先生 おおよそ70%前後ですから、狙いどおりといえると思います。

普連土学園中学校 校舎

普連土学園中学校 校舎

問題を作る上で自身の経験がベースにあった

この問題のどういうところにおもしろさを感じたのか、教えていただけますか。

大井先生 主に題材と問い方です。正しく読み取る問題や、自分の考えを説明する問題はよくありますが、正しい言葉使いを問う問題はあまり見ないことと、「接頭語」や「接尾語」が加わることで変化する意味を考えながら解けるように設計されているところがおもしろいと思いました。

ありがとうございます。日本語の豊かさですよね。

冨澤先生 私は東京出身ではなく、地方の出身なんです。上京した時にショックを受けたことがありまして……。その体験が問題を作る上で、根底にあったかもしれません。
東京では、昨日、今日、明日、明後日(あさって)、明明後日(しあさって)、やの明後日(やのあさって)の順ですが、私の出身地ではやの明後日(やのあさって)と明明後日(しあさって)が逆なのです。故郷で暮らしていた時は知らなかったというか、それがあたりまえでしたが、大学進学に伴い東京に来て、(友人と自分がイメージした)やの明後日の日にちが違うことに気づいて調べたら、日本国語大辞典に「一部この地域で順序が入れ替わる」と書いてありました。その地域がまさに私の出身地だったのです。ゼミでその話をすると非常に盛り上がった覚えがあります。そのような経験をしたことによって、日常のやり取りの中で、お互いにどういうニュアンスで伝えたらいいのかということは、教員になってからずっと考えています。

大井先生 言葉のやりとりの中でニュアンスを伝えるのは難しいですよね。

古文の「いみじ」と現代の「やばい」に共通点

大学入試も変わりつつあるなかで、生徒さんの言葉の感覚はいかがですか。

冨澤先生 よく「語彙が少ない」という話は出ますが、「語彙が少ない」というよりも、自分たちだけで通じる言葉で喋っているような気がします。例えば相手が教員であればこういう使い方をしよう、という気づかいは、我々の時代と比べると少し希薄なのかな、という気はします。コミュニティの中だけで通じる言葉で伝え合うというか。低学年ほどその傾向が見られるので、そういう意味では、小学生のころから言葉づかいはそれほど変わらず、転換しないできている感じはありますよね。パンデミックの影響もあるのかもしれません。家の中でずっと家族と過ごしていて、会話が広がらなかったでしょうから。

一時期、若者はなんでも「かわいい」と言うので、「ボキャブラリーが少ないのでは?」と言われていましたが、最近、あまり聞かなくなりました。

冨澤先生 古文の授業をしていて、例えば「いみじ」という単語が出てきたときに「今の〝やばい〟と一緒だよね」という話をします。「いみじ」という言葉は「恐れ多い」の意味で、「触れてはいけないもの」の意味で使われました。それが「触れられないほどすばらしい」の意味を持ち、「触れたくないひどいもの」でも使われ、最終的に「とっても」という意味だけで使われるようになりました。「やばい」も同様で、例えば何かを食べた時に「やばい」って言うじゃないですか。それはおいしいという意味でも、危険という意味でも使われますよね。若者が、と言われがちですが、古文は現代語の鏡で、言葉の意味の変化は大昔から起きているのです。

なるほど。それは昔も今も変わらないのですね。

冨澤先生 変遷としては全く同じです。「なんでも『やばい』って言うけど、それは強調表現であって古文も同じだよ」ということに気づくと、生徒は古文が読みやすくなります。「『かわいい』も『趣深い』と同じ。つまり『おかし』と同じだよ」と言うと、生徒は「なるほど」と納得します。そう考えると、言葉の変遷は日本語の特性というか、文化なのだと思います。こういうニュアンスを問う問題を評価していただけた、ということに喜びを感じています。

普連土学園中学校 講堂

普連土学園中学校 講堂

問題に取り上げる文章は読み取りやすさを重視

問題全体の構成に関しては、国語科としてどのようにお考えですか。

冨澤先生 評論ではテーマが一貫していて主張がしっかりしているものを選ぼうとはしています。その主張に至るまでの思考の流れが明らかであるもの、独りよがりであってもしっかりと論拠を示しているものであれば良しという考えです。小説では主人公をはじめとした登場人物たちですよね。人間関係を通してどう変化していくか。成長していく過程が読み取りやすいものを選ぼうと心がけています。

大井先生 逆を言うと、そうでなければ問題が作れないのです。そこにこだわりがあるので、(取り出す)文章が長くなります。どうも最近は、心情が変わっていく様を明確に表現する文章が少なくなっているように感じます。変化のきっかけが曖昧で、なんとなく変わっていくような印象があります。

インタビュー1/3

普連土学園中学校
普連土学園中学校1887(明治20)年、キリスト教フレンド派(クエーカー)に属する米国フィラデルフィアの婦人伝道会により創設。当時米国留学中の新渡戸稲造の助言によるもので、「普連土」の漢字は「普(あまね)く世界の土地に連なる」という意味を込め、津田梅子の父・津田仙によりあてられた。
生徒一人ひとりにある「内なる光」を導き出し、育てることを教育目標とする。毎朝20分の全校礼拝や週に1回の「沈黙の礼拝」は、自らの“内なる光”に気づく機会でもある。また、フレンド派の創始者ジョージ・フォックスの言葉「Let Your Lives Speak」をモットーに、創立当初から少人数制主義を守り、1学年3クラスの規模とし、生徒の特性と個性を理解した教育を実践。全員参加の自治会活動を行うなど、広い意味での奉仕の精神と国際性の涵養にも力を入れている。伝統ある「小さな名門校」でファンも多い。
学園内に木々や草花が植えられ、都心とは思えないほど静か。赤い屋根、広いベランダが人気の校舎はモダンだが、机と椅子と床は木製で、自然のぬくもりを大切にしている。視聴覚設備を完備した音楽教室、蔵書3万冊の図書館、講堂など、施設は十分。
基礎をていねいに身につける面倒見の良いカリキュラムが特徴。英語は中1から週6時間。うち2時間の英会話はクラスを3分割し、外国人教師による指導が行われる。中3~高3の英語、高1~高3の数学、高2の化学、高3の古文では習熟度別授業を実施。中3英・数・国の補習が夏休みにあるほか、高校では大学入試対策を中心とした補習が放課後や長期休暇中に行われる。中3の夏休みには興味ある職業について内容を調べ、在校生の保護者の職場を実際に取材してレポートを作成する。高2から選択授業を豊富に取り入れ、高3では演習が増え、40%近い理系進学をはじめ幅広い進路に対応。大学合格実績では堅実な成績を収めている。
生徒同士の交流は家庭的な雰囲気であり、学校生活、クラブ活動においても温かな空気が流れている。クリスマス礼拝、収穫感謝礼拝など宗教行事のほか、ネイティブスピーカーの先生や留学生と英語で対話をしながら昼食をとる週1回のイングリッシュ・ランチ、白樺湖でのイングリッシュ・キャンプなど英語を楽しく学べる行事が多い。高1・高2の希望者が参加するジョージ・フォックス・ツアーはフレンド派の原点をたどるイギリス研修旅行。学校にはフレンド派に属する世界の識者や有名人が毎年のように訪れ、生徒たちと語り合う機会も多い。生徒会はじめ14の委員会があり、生徒はいずれかに全員参加。クラブは中高合わせて文化系が12、体育系が9ある。