シカクいアタマをマルくする。~未来へのチカラ~

中学入試問題は、子どもたちの“未来へ学び進むチカラ”を試しています。
そこには「こんなチカラを持った子どもを育てたい」という各中学のメッセージが込められています。
この「シカクいアタマをマルくする。」中学入試問題の新シリーズでは、そんな子どもたちの“未来へのチカラ”を問う入試問題から、その出題意図(アドミッション・ポリシー)と、子どもたちへのメッセージを探っていきたいと思います!

今月の額面広告に掲載されている問題はこれだ!

明治大学付属明治中学校

2024年01月掲載

明治大学付属明治中学校【国語】

2023年 明治大学付属明治中学校入試問題より

次の文章を読んで、あとの問いに答えなさい。

「人間中心主義」批判について、もう少し立ち入って考えてみましょう。この手の批判でひんぱんに見受けられるのは、一方に「人間」を置き、他方に「自然」を対置させる、という二元論です。つまり、「人間」と「自然」はそれぞれ独立に存在すると前提され、「自然」から切り離(はな)された「人間」が、「人間」から切り離された「自然」を破壊する、とイメージされています。しかし、こんな二元論は、そもそも正当なのでしょうか。
まず、「人間」の方に焦点(しょうてん)を当ててみましょう。「環境保護」のキャンペーンでは、しばしば「人類」や「人間一般(いっぱん)」に責任があるかのように語られます。しかし、じっさいに土壌や水質を汚染しているのは、企業(きぎょう)や個人といった具体的な人々です。たとえば、「水俣病」で責任をもつべきは特定の企業であって、「人間一般」ではありません。このとき、「水俣病」の原因は「人間による自然支配」だといえば、一笑に付されるでしょう。
もともと、個々人はさまざまな社会関係を取り結んでいます。こうした多様な社会関係をもった個々人が、環境にかかわっています。したがって、人間によって環境が破壊されるとしても、それを引き起こしたのは「人間一般」ではありません。むしろ、一定の社会的関係のもとにある特定の個々人が、環境を破壊するわけです。この点を無視して、あたかも「人間」が環境破壊の原因のように考えるとき、解決すべき問題を隠(いん)ぺいすることになるでしょう。

(岡本裕一朗(おかもとゆういちろう)『十二歳(さい)からの現代思想』より)

(問)ーー部「あたかも『人間』が環境破壊の原因のように考えるとき、解決すべき問題を隠ぺいすることになるでしょう」とはどういうことか、答えなさい。

中学入試問題は、子どもたちの“未来へ学び進むチカラ”を試しています。
そこには各中学の「こんなチカラを持った子どもを育てたい」というメッセージが込められています。
では、この明治大学付属明治中学校の国語の入試問題には、どういうメッセージが込められていたのか、解答・解説と、日能研がこの問題を選んだ理由を見てみましょう。(出題意図とインタビューの公開日については更新情報をご確認ください。)

解答と解説

日能研による解答と解説

解答例

特定の個人が環境を破壊している点を無視することで、環境破壊の原因が曖昧化されてしまうこと。

解説

――部で述べられていることを具体化します。具体化にあたっては、――部の少し前から、――部に至るまでの展開を押さえる必要があります。というのも、――部のすぐ前の「この点を無視して」という部分に、少し前の部分を指している「この」という指示語があり、――部で述べられていることに深く関連しているという見当がつくからです。

そこでまず、――部の少し前に目を向けることから始めます。――部の少し前で、環境を破壊しているのは「人間一般」などではなく、「一定の社会的関係のもとにある特定の個々人」だと述べ、このことを、――部のすぐ前で「この点」と受けています。そして、「この点を無視(する)」ことが、――部で述べられている状況につながっているとわかります。すると、――部で言おうとしているのは、そもそも特定の個人が環境を破壊している点が無視され、環境破壊の原因がうやむやにされることだと考えることができるでしょう。

日能研がこの問題を選んだ理由

「あたかも『人間』が環境問題の原因のように考えるとき、解決すべき問題を隠ぺいすることになるでしょう」。こんなふうに言われると、「環境問題を引き起こしているのは、自然を破壊している人間じゃないの?」という疑問がわきます。

環境保護運動では、「人間は、自然破壊につながるような過度の利益追求をするべきではない」といった言説が、往々にして語られます。環境問題の責任が「人類」や「人間一般」にあるかのような語り口です。しかし、よくよく考えると、実際に自然を破壊しているのは、「人類」や「人間一般」のように抽象化された人間ではありません。さまざまな社会関係を取り結んでいる、具体的な企業や個人です。環境問題の責任を「人類」や「人間一般」に帰すると、環境問題の原因を見誤ってしまいかねないというのが、この問題が設定されている文章の筆者の主張です。

2030年までに持続可能な世界を目指すSDGsの、12「つくる責任 つかう責任」や13「気候変動に具体的な対策を」に関連した課題に取り組むうえで、大きな手がかりになりそうです。子どもたちがこうした課題の見方を確立しようとするとき、この問題は重要な示唆を与えてくれる問いだと考え、日能研ではこの問題を『シカクいアタマをマルくする。』シリーズに選ぶことにしました。