シカクいアタマをマルくする。~未来へのチカラ~

中学入試問題は、子どもたちの“未来へ学び進むチカラ”を試しています。
そこには「こんなチカラを持った子どもを育てたい」という各中学のメッセージが込められています。
この「シカクいアタマをマルくする。」中学入試問題の新シリーズでは、そんな子どもたちの“未来へのチカラ”を問う入試問題から、その出題意図(アドミッション・ポリシー)と、子どもたちへのメッセージを探っていきたいと思います!

今月の額面広告に掲載されている問題はこれだ!

東洋英和女学院中学部

2015年11月掲載

東洋英和女学院中学部【国語】

2015年 東洋英和女学院中学部入試問題より

次の文章を読んで、後の問いに答えなさい。

(略)

これはもちろん、奇妙な癖の話である。自分が悩まされた経験について書いたのだけれども、私にだって他人の眼から見れば、ずいぶんといろいろ変な癖があるにちがいない。たとえば、私は、部屋を散らかしておくということができない。机にほこりが積もっていたり、窓が意味もなく曇っていたりするのを、長いことほっておくことができない。総じて雑然としたもの、うすぎたないもの、だらしのないかっこうというものに、嫌悪を感じずにはいられない。

だから私は、タネがガラスのケースにはいっていたりしないすし屋が好きである。ホテル・オークラの地下にある鉄板焼き屋のコックさんは、料理をこしらえるそばからかたづけて行く手順が水際立っていて、いつ行っても感心させられるが、そういう人を見ていると、つくづくいいなあとほれぼれとしてしまう。これはコックさんの心がけでもあろうが、また性分にちがいない。職業上の必要と性分とが助け合って、ほとんど芸術的な整とんの手順ができあがっているのである。

この職業的なほうからいえば、すし屋や鉄板焼き屋がよくかたづいているのは、それが他人の前でやってみせる要素のある商売で、いつもよそ行きのようなところがあるからにちがいない。逆に、あかじみたもの、だらしのないもの、散らかりっぱなしのものというものには、どこかよそに出会うのを拒否しているようなところがあって、たとえばヒッピイ※などという風俗は、その拒否を全身であらわしているのだと考えられる。

散らかっているほうが気が楽だ、落ち着いていい、というのが自分の家のなかだけのことなら、まあそれはそれでもよい。しかし、日本ではオフィスまでがよそ行きに仕上っていなくて、うちうちで雑然としている場合が多く、いつもよそ行きにツルリとしているアメリカのオフィスと好対照をなしている。これから国際化が進むにつれて、やがて日本のオフィスも次第にアメリカのオフィスに似てくるであろう。つまり国際化とは、おたがいによそ行きになりあうということだからである。

別の言葉でいえば、それはまた大人になることを強いられる、ということでもある。ヒッピイの例からもわかるように、よそに出会うのを拒否するというのは、いつまでも子供でいたいという甘えの表現でもあるからである。

※ヒッピイ……社会一般の考えに反発し、日常的でない行動をとった若者たち。長髪ときばつな服装が特徴。

江藤淳『夜の紅茶』〈牧羊社〉(出題の都合上一部を書きかえました)

(問)―線部「よそに出会うのを拒否するというのは、いつまでも子供でいたいという甘えの表現でもある」とありますがこれはどういうことですか。自分の言葉で答えなさい。

中学入試問題は、子どもたちの“未来へ学び進むチカラ”を試しています。
そこには各中学の「こんなチカラを持った子どもを育てたい」というメッセージが込められています。
では、この東洋英和女学院中学部の国語の入試問題には、どういうメッセージが込められていたのか、解答・解説と、日能研がこの問題を選んだ理由を見てみましょう。(出題意図とインタビューの公開日については更新情報をご確認ください。)

解答と解説

日能研による解答と解説

解答例

他者の目を意識して自分を適応させていくのが大人になることだが、それを拒否するのは、自分が気楽な状態にいられるように内にこもっていることを良しとする子どもであるということ。

解説

この問題では、――線部分の「よそに出会うのを拒否するというのは、いつまでも子供でいたいという甘えの表現でもある」という表現を具体的に説明していきます。問題文に「自分の言葉で答えなさい」とあるので、文章中に使われている言葉を使って具体的に説明するだけでは、問題に対応しきれていないといえるでしょう。文章中に書かれていることがらは、あくまで手がかりです。その手がかりをもとにして、――線部分に書かれていることがらを、自分のこととしてとらえて具体的に説明したいところです。

文章中に書かれている寿司屋や鉄板焼き屋、外国のオフィスの例をふまえると、ここで使われている「よそ」とは「他者」を表していると考えられます。この「他者」との出会いを受け入れることができると、人は、どのようなことが得られるのでしょうか。一方で、「他者」とのやり取りを拒むという「甘え」をすると、人はどのような状態になってしまうのでしょうか。

「よそとの出会い」とは、つまり、「他者」との出会いであり、「他者」の目を意識することと考えられます。また、「いつまでも子供でいたい人」とは、現在の自分を大事にしようとする人と考えられます。それぞれの人には、どのようなメリット、デメリットがあるのでしょうか。それらを自分なりに考えたうえで、筆者の考える「甘え」がどのような表現であるといえるのか、自分の言葉で説明していきましょう。

日能研がこの問題を選んだ理由

この問題では、「よそに出会うのを拒否するというのは、いつまでも子供でいたいという甘えの表現でもある」という表現を「自分の言葉」を使って具体的に説明することが求められています。

この問題では、――線部分の表現を、文章中に書かれている具体例を手がかりにして、どのようなことがらを表しているのかをとらえていきます。そして、自分がとらえたことがらを、「自分の言葉」に変換したうえで、記述していきます。

文章中に書かれていることがらをふまえたうえで、自分なりに言い換え、答えをまとめていく。この過程において、「特殊」と「一般」の関係をとらえることが試される問題だといえるでしょう。

「特殊」と「一般」の関係をとらえる力は、これから先もずっと使い続けることのできる力です。そんな入試だけにとどまらない、今後生きていくうえでも大切な力が試されているという点に魅力を感じました。

このような理由から、日能研ではこの問題を□○シリーズに選ぶことに致しました。