●志望校の選定
本人のいきたい学校と通学時間や偏差値を天秤にかけて、非常に悩みました。
自分の知らない人ばかりの学校でいろんな価値観に触れてみたい、学んでみたい、という本人の希望もあり、日特のコースも1人だけ違う校舎。知っている友達はもちろんいません。
この日特に1人で通えなければ、受かっても学校についていけないよ、志望校を変えることも考えなくては、と話しましたが、本人の意志は固く全ての回を通いきりました。小学6年生で朝早くにお弁当を持って、1時間以上かけて勉強をしに行く、という日特の経験は非常に精神力が鍛えられたようです。
●波乱万丈の成績と勉強法
試験3か月前の模試。精神的にも、目標は見えているけれど成績が届かない、結果が出せない。算数は150点満点中30点台をたたき出していました。
何か理由があるなと思い聞いてみれば、良い点でももっとこうすれば、悪い点でもここは落としちゃいけない!等、良くても悪くても親に何か言われる。だったら今回の範囲は諦めて、次の試験に向けて勉強した・・・と。無勉強であれば、この点数も納得。復習に力を入れようね、と話しました。恐怖から勉強させている実態にも問題あり…の状態でした。
12月頃から周囲の子が猛勉強し始める姿を目の当たりにし、本人もマズいと感じた模様。
あの子がやってるなら、私もやらなければ・・・!と触発されたようです。
塾の仲間にも恵まれ、問題を出し合ったり、考えたり、討論したり、人生について語ってみたり(笑)・・・していたようです。成績が少しずつ上がり始めたのもこの頃です。
そこから、彼女なりの勉強スタイルが出来上がってきました。
もともと運動が苦手で、体力がない娘は、学校から帰ってくると、一休みと称しておやつと長めのお昼寝。時間が来たら、塾へ向かって最後まで勉強。
親としては、寝ている暇も惜しいと思いましたが、体力がないなりに最大限勉強する時間を自分で編み出したのだから・・・と見守りました。
また、勉強も冬だというのに夏期講習で解き切れていない部分を解いていました。
周りはどんどん先を解いているけれど、焦らずに自分の今のレベルではこれを解くべきだと取り組んでいた行動力・精神力は目を見張るものがありました。
●お試し受験と本番までの過ごし方
1月中旬。レベル相応校とチャレンジ校を1校ずつお試し受験。連日試験になることと、勉強量が足りていない、と感じていたので、チャレンジ校で痛い目にあった方が良いと思っていました。が、まさかの2校とも合格。
このまま、追い風に!と思った矢先にメンタルの波。
入試本番から数えて、2週間前までは学校に行く、という約束だったのですが、このままだと受からない!と必死に泣いて懇願してきました。(この時期は、卒業制作や合唱の練習等で学校生活も覚えること、決めることが多くハードです。そのうえ、受験勉強をするということが相当プレッシャーだったようです)できれば、学校は休ませたくなかったのですが、この精神状況では、本人を苦しめるだけだと判断し、早めに休ませることに。1月は過去問ばかり解いていました。
学校に行く時間も睡眠時間にあてる、という昼夜逆転の生活が続きましたが、本人にとっては「睡眠」がとても重要だったようです。朝ご飯だけは一緒に食べるように、というルールだけ設けました。入試まで日がないので、喧嘩する時間がもったいない、本番に頭が働いていればよいと割り切りました。
●入試本番
迎えた本番当日。算数で大問2問、全く手がつかなかった、という報告に、ここでやはり現実は甘くない・・・と感じました。理科・社会はできた。国語も記述は書けたと思う・・・という言葉に、算数の痛手をどこまでカバーできるか次第だなと諦めていました。
不合格を前提に、即気持ちを切り替えて、どうしたら1点でも多くの点数を勝ち取れるか?先生方にPRできるか?を午後入試への移動中に一緒に考えました。
全く手がつかなかった算数の問題も(1)で答えが出ないなら、(2)の自由記述で、(1)の答えを使って、こういう方針で求められるのでは?というところまで言葉で書いてみよう、と方略を相談していました。
初日の夜、明日の試験も受ける準備をして結果発表。
第一志望校「合格」の文字。
成績に一喜一憂しながら、この勉強方法でいいか悩んでいた娘。
そこから自ら課題を見つけ、取り組んでいた娘。
そして自ら「合格」を手にしました。
悩みながら決める、実行する力は本当に塾のおかげで身についたと思いますし、進学後も必要な力だと思います。
体力面・精神面ともに、最後まで寄り添ってくださった本科の先生方、日特の先生方、個別指導の先生方、スタッフの皆さまに感謝いたします。
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- 今後も寄せられたドラマを、各カテゴリーに随時アップしていきます。