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親と子の栄冠ドラマ -中学入試体験記-

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5連敗後の2連勝

  • 年度:2023
  • 性別:男子
  • 執筆者:
息子が日能研に入塾したのは5年生の2月からで入試まであと1年、というタイミングでした。本人はずっと栄光学園中学校、浅野中学校に行きたい、だめなら逗子開成中学校と言っており、逗子開成日特、栄光、浅野特別講座を受講していました。ところが、偏差値は54~57をうろうろ、しかも国語と理科は40台、算数もそこそこ、得意の社会で何とかカバーする、という状態が続き、お試し受験で落ちたら栄光は受けさせない、と本人に伝えました。

迎えた12月4日の日能研全国公開模試で何とびっくり、偏差値が前回54から65にジャンプアップし、その勢いで埼玉受験を特待で合格しました。苦手の国語、理科が得点源になってきたのはひとえに日能研の先生方のご指導のおかげだと思います。算数は苦戦していましたが先生のご指導のおかげで徐々に上がってきました。
ただ、今思えば埼玉受験を合格した後、本人にやや慢心が感じられたのが本番に出た感があります(事前に日能研の先生からも注意されていましたが、現実になってしまいました)。

迎えた2月1日、逗子開成で算数は失敗したものの、本人の得点計算では多分大丈夫、午後の抑え校も本人の手応えは抜群に良かったということで、自信を持って2日の栄光に臨みました。しかし、逗子開成、抑え校共に結果は不合格。午後に前日と同じ抑え校を受験したものの前日より手応えが悪く、その夜、3日に初志貫徹で浅野を受験するか、先生のアドバイス通り、逗子開成2次を受験するか、の選択に迫られました。親も悩んで夫婦で話し合った結果、親が諦めさせたら本人に一生悔いが残る、もしだめたったら大宮に通わせようと腹を括り、最後は本人に決めさせることにしました。試験後、お店で大好物の肉を食べさせながら、浅野と逗子開成のプロスコンスを考えさせ、「どちらを受けるか、最後は自分で決めろ。」と言いました。息子の人生初めての自らの決断です。長考の末、息子が一言「やっぱり浅野を受けたい!」。その場で日能研の先生に自分で電話しました。

3日の朝、浅野の正門を入って「ここまで来たら入りたいという気持ちが強い奴が受かる。頑張ってこい!」と送り出し、お迎えを母にバトンタッチしましたが、終了後本人は晴れ晴れとした顔で「受けて良かった!」と言って戻ってきたようです。(結果は2日、3日共に全落ちでしたが)。

ここからコンチプラン発動で、4日に第四志望校、5日逗子開成(3次)の準備に取りかかりました。とにかく算数をどうにかしなければならないと、計算からやらせたところ、冬休みからずっと難問ばかりチャレンジしていた影響か、計算、基礎問題が危なくなっていました(計算、基礎問題は反復学習が大切だと思います)。ただ、浅野を受験して吹っ切れたのか、本人のスイッチが(遅まきながら)ここで入りました。かなりの量の問題をこなし、漢字も復習して迎えた4日、受験場から「出来た!」と言って出てきて帰った後の夕方の合格発表。合格者の受験番号を発表する形式で上から順番に見ていき、息子の受験番号を見つけた時、苦しんだあげく4日目に勝ち取った合格に、親子3人涙を流して喜び合いました。

受験最終日の5日、息子がずっと行きたいと言っていた逗子開成3次です。ただ、前日合格を取った余裕なのか、やるべき準備をして臨んだという自信があったのか、試験終了後の表情は1次の時とは全然違いました。点数の読みも具体的だったので、多分大丈夫だろうと思いました。翌6日の朝、難産でしたがようやくミライコンパスの桜を見ることが出来ました。

今振り返ってみるとジェットコースターのような受験経験でしたが、本人が苦しんで悩んだあげくに自分の意思でチャレンジして、第三志望でも本人が希望していた中学校に進むことが出来たので「終り良ければ全て良し」だと思っています。
ここまで息子が頑張ってこられたのは、ひとえにずっと寄り添ってご指導頂いた日能研の先生方のおかげです。本当にありがとうございました。
今後も寄せられたドラマを、各カテゴリーに随時アップしていきます。
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