1月11日の合格発表、不思議と涙は出ませんでした。
とにかく娘の努力が報われて欲しいとずっと思っていましたが
この日、ついに夢かと思いましたが夢が叶いました。
5年のGW頃から開智中学校に行きたいと言い始めました。
通う教室のA2クラスの生徒がほぼ全員受ける開智中、
娘は自然と周りの雰囲気から志望したんだと思います。
エンジンがかかったなと思ったのは女子としては一般的だと
思うのですが、6年のGW頃です。
そのあたりから、勉強量も格段に上がり、徐々にですが
成績が上がってきていると父子で感じ始めました。
ただ猛烈に算数の共通問題をやり込んだ、夏休みが終わり、
10月、11月の日能研全国公開模試は言うほど悪くはありません
でしたが、思うように伸びず、12月の2回の公開模試は
過去最低の数値を連発する状況で、過去問の出来も厳しい
状況と、苦しい12月でした。
開智R4合格ラインは偏差値54必要でしたが、結局、年間平均は
偏差値47と厳しい状況でした。
それでも12月25日を過ぎ、いよいよ残り15日を切ったあたりから
開智中の出題分野への対策の準備に集中し、色々な角度から
食塩水、速さ、平面図形、規則性の分野を過去問からピックアップ
したパターンを4周行い、社会、理科も繰り返しメモチェを訓練しました。
娘は公開模試よりも育成テストの方が得意で、入試は公開模試的
だとは思うのですが、出来る限り得意な土俵に持ってこようと、
範囲限定して、育成テスト直前のような練習を繰り返しました。
1月10日、初日にして最大の大勝負となりました。
正直一緒に伴走する父親ですら、初日10日は不利だと思っていました。
前年の23年の10日開智は算数の難易度が高く、算数が得意で国語が苦手な
娘には点差をつけ辛く、今年も同様の傾向であれば厳しい戦いになる
と思っていました。一方で、10日直前の情報では開智所沢中等教育学校受験者もいることから
少し易化するかともいわれており、良い風が吹けばいけるかもしれない
と思っていました。
当日、易化した算数で20点合格ラインから差をつけることができ、
苦手の国語が合格ラインより5点低い点数と粘り、
4科合格ラインよりも30点高く、無事合格できました。
本人は10月の頃は厳しい、受からないと嘆いていましたが、
クリスマス頃から、いけそうな気がすると言っていました。
偏差値では届いていなくても、本人の感触はいける
というものでした。最後は落ちた偏差値を気にすることなく
ポジティブに努力し続けた娘を向いた問題が出題されました。
偏差値47から54を受ける伴走者の方々、諦めない子に
寄り添ってあげてください。公開模試や実践テスト、育成テスト
で良い点数が取れなくても、その子に向いている分野、
向いてない分野があります。バランス良く出来るに
越したことはありません、そんなことは分かっているのですが、
娘も人間、好きな科目があり、苦手な科目がありました。
その特徴を理解し、作戦を親と娘で練った日々は一生忘れない
ものとなりました。
落ちたら全責任は父親にあったと思うのですが、すくってくれたのも
娘でした。諦めの悪い、チャレンジャー、応援しています。
同じタイプの方々、応援しています。
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- 今後も寄せられたドラマを、各カテゴリーに随時アップしていきます。