私は協力的な母だったのだろうか・・・。
6年夏休みの頃には「腹を決めた!」状態であっただろう。(遅いしかない。)
親のちょっとした出来心から、日能研のGEMSが楽しそうだと思い日能研にアクセス。
それが小2。
もうちょっとやってみるかと、小3は「科学者実験教室」に通わせた。
学力につながるのかわからないけど、息子は毎週楽しそうに通っていた。
小4を迎える頃、このまま本科に進むかの家族会議はあったかと思うが本人の意向で進むことになったと覚えている。
それが中学受験への一歩だった。
息子の「中学受験をしたい」
小4の頃は、日能研で先生に会うたびに「うちの子大丈夫ですか?」と聞くのが常であった。
たぶん、小4は通うことに価値があるようなことを言われたと思う。様子見しましょう、という感じのことを言われた記憶がある。
小5になってもその状態は変わらず、家では「日能研をやめろ!」という怒号が飛び交い、私は涙を流し、私の心は「受験、マジでするのか ???」という状態であった。
成績に関して言えば、息子は小4からMクラスであり小6の最後まで変動もなかった。小4の頃はTMの影もちらついたがいつのまにかなくなった。
ノートをもらう日もあれば遠ざかることもあった。
それはそれだ。
けど「あいつには、なぜか期待をしてしまう!」
我が子ながら、やっぱり期待してしまったりする。
「やっぱだめじゃーん」を繰り返す。
ほんと、そんなことの繰り返し。
「あいつは親に期待させるのだ。」
ただ、中学受験を終えれば第一志望校に合格し、併願校にも期待以上の合格をもたらした。
予想もできない状況に心の奥底では震えた。
「そんな気持ち。」それが正直なところだ。
途中経過で言えば、1月受験の合格をもらった時、今までやってきたことが間違っていなかった!という自信を親としては頂いたように思う。(それまでは自信は無かった。)
そこから、2月の本番に向けて自信をもって子供に力はついているのだろう、と接することができたと思う。
第一志望校に入学を決められたのは、本人の強い気持ち、であったと思う。
日特の先生のおかげもある。
日々のクラス担当の各教科の先生、室長先生のおかげもある。
私たち親のサポートもあったのであろうかとは思いたいが。
日能研の先生方は私達親以上に、息子を信じてくれていた。
最初から変わらず・・・。
それには感謝しかない。
その気持ちに触れる度、親も頑張れたのかなぁ・・・と思う。
日能研と二人三脚で最後まで駆け抜けよう!が私の振り返った中学受験だった。
この経験は、経験した人にしかわからない。
経験していない人にはわからない。
惑わされず信じて欲しい。
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