長男の受験勉強の始めは、小4の2月。偏差値は、堂々と他の人に言えるような数字ではありませんでした。夫婦共に愕然とし、このまま受験させて良いものか、本当に悩みました。しかし、10歳で自ら「受験したい」と言いだした長男の人生初の決断を応援することにしたのです。そこで、本人には偏差値については触れず、勉強をスタートさせました。
それから2年間。本人なりに努力をしていましたが、日能研全国公開模試以外のテストは上下を繰り返し、公開模試は低空飛行のままで、時間だけが経過していきました。点数は、全体の45%しか取れないことも多かったのです。しかし、本人の性格上、叱咤激励したとしても、ただネガティブになるだけ。そう考え、ほめて伸ばす+一緒に考える作戦を最後まで続けることにしました。それでも、小6になってから、ストレスから片頭痛症状が出始めたのです。日能研も週に1回は頭痛や腹痛から休んでいました。
しかし、小6の12月末。もう、偏差値の出る模試も全て終了した頃、長男が言ったのです。「ママ、過去問解いたら、60%以上取れてたよ!」それ以降、どの過去問を解いても、全体の60%をクリアできるようになりました。そのまま1月入試へ。携帯画面で合格をみて、家族全員で叫びました。そこから、自ら勉強していることがさらに増え、「なんか少し楽しくなってきた」ということも出てきました。
受験までラスト1か月のこの時期、中学受験を控えたお子さんの多くは、小学校を休みます。しかし、我が家は一日も休みませんでした。コロナ、インフルエンザ共に流行の兆しが見え、休ませることも考えました。しかし、長男は泣きながらこう言いました。「受験勉強をしてきて、学校は何も考えずにいられる場所だった。受験までの時間をずっと家にいて過ごすことは、ずっと受験と向き合わなければいけないっていうことだよね。それは僕にはできないと思う。正直、コロナとかインフルエンザとかうつる可能性があるのは怖い。小学校に行きたい気持ちは70%。うつるのが怖い気持ちは30%かな。でも、うつって受験が出来なくなっても、仕方ないと思っている」。【ここまで来たら無事に受験させたい親としての気持ち】と、【そのストレスにつぶれないように必死にもがいている長男の気持ち】が天秤にかけられるものではないと分かっていながら、天秤にかけざる得なかった、最期の話し合いでした。
2月1日。受験1日目。風邪を引くこともなく、無事に受験を終え、会場を出てきた長男は、今までの試験の中で一番すっきりした顔をしていました。その顔を見た時、「もし落ちても、きっとこの子は、その現実を時間をかけても受け入れることができるな」と。19時。PC上で「合格おめでとうございます」という文字を見て、家族全員でまた叫びました。小4の2月の段階の偏差値と合格した学校の偏差値の差は、15。よく頑張りました。合格後、ようやく本人にスタート時に偏差値を伝えました。さすがに、本人も「それはやばい・・・」と引いていました。
受験結果も大切なのですが、何よりも受験直前に本人が小学校を休まないと宣言したその時の姿が、私にとっては一番の長男の成長だと考えています。自分のことを深く考え、自分の言葉で、第三者に伝える。中学受験を通して、長男は確実に成長したのだと思います。
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