小学生の間はほどほどに勉強をして、あとは友達とたくさん遊び、人とのコミュニケーションや社会性を身につけてもらいたい。そして、受験は高校からで十分だと夫も私も考えていました。
息子も伸び伸びと小学生らしい毎日を送っていたのですが、5年生の後半、突然「受験したい」と言い出したのです。最初は正直戸惑いましたが、大好きだったゲームをやめるというのを聞いて彼の本気度が伝わり、私も全力で応援したいと思いました。
入塾当初、ここに入れたらいいなとなんとなく考えていた学校は、当時の偏差値より30以上も上の難関校でした。そこを目指すには、まずはクラスを上がっていく必要があるということで、ここから息子のクラスアップを目標にした闘いが始まります。
息子は、かつてない難しい勉強に必死に向き合い、栄冠と毎日格闘しながら、まるでゲームでもしているかのように学力のレベルアップを楽しんでいました。
一番下のクラスではありますが、その中で順位がどんどん上がって行き、ついにはトップをコンスタントに取れるようになり彼のやる気が日に日に増していくのを感じました。
日能研の先生方はどなたも個性的でユーモアがあり、いつも楽しい授業をしてくださいます。「勉強は楽しい」と思わせてくれた事が伸びにつながったのだと思います。そんな先生方を息子はとても尊敬し、憧れていました。帰宅した息子の塾での話を聞くのが日課になり、それはいつのまにか私の最大の楽しみになっていました。
後期のクラス審査では、次のクラスまであと2点足りない結果となり、残念ながらクラスアップを叶えることはできませんでしたが、一時は悔し泣きをしてへこんだものの、その後モチベーションが下がるようなことはありませんでした。
夏期講習も終わり、いよいよ本格的に学校を決めていく段になると、当初の志望校はやはりあきらめるしかありませんでした。そうした中で行きたい学校が見つかり、第一志望が確定すると現実味も出てきたのか、その学校に通う自分を想像して、さらにやる気になったようでした。
1月の地方受験では見事に合格を勝ち取り、2月の本命校を目指してラストスパート。
親の緊張をよそに、本人は入試を心待ちにしており、期待でワクワクしている様子でした。
入試当日も割と落ち着いた様子で、きちんと実力も出せていたようなのですが、第一志望の学校からは残念ながら合格をいただくことはできませんでした。
初日の合格発表ではかなりショックを受けたようでしたが、すぐに持ち直し、翌日の入試対策をして気持ちを切り替えていたので、我が子ながらすごいなと感心しました。
第二志望、第三志望と合格を頂き、親の私たちが密かに一番推していた第二志望の学校へ入学を決めました。
そう決まると本人の切り替えも早く、その学校に通えることをとても喜んでいました。
「もっと早くから日能研に通わせてあげていたら難関校も目指せたのかもしれない。」頑張る息子を見て、私も欲が出てそんなことを思ったこともありました。でも、「受験したい」と自分が思った時に始めたのが息子にとってはベストなタイミングで、努力が凝縮された濃い1年になったのだと思います。そしてここからが本当のスタートなのだと思っています。
興味のなかった勉強を面白いと感じ、賢くなることは何よりかっこいいと思うようになった息子。
今の息子の目標は、日能研での学びを忘れずに6年間たくさん勉強をして、諦めなければならなかった最初の志望校、その大学に入り、考古学を学ぶことだそうです。
こうやって自分の意思で道を拓いていく息子がとても誇らしく、ここまで成長してくれたことが嬉しくてなりません。
1年前は、小学生には受験なんて必要ないと思っていた私たちですが、今は受験をさせて本当に良かったと思っています。
塾の話題や、共通の目標が親子の絆をさらに強いものにしてくれました。学校見学や模試で毎週のように息子と共にした時間は、私の中でこの先ずっと大切な思い出として残っていくと思います。そして、本番の入試に限らず、日能研で得られた受験までの数々の成功体験は息子にとって生涯の宝物です。
1年と少し、短い時間ではありましたが、貴重な経験をさせて頂いた日能研と先生方に心より感謝いたします。
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- 今後も寄せられたドラマを、各カテゴリーに随時アップしていきます。