日能研に入塾したのは4年生。その頃は2科目で真ん中のクラスで席はだいたい最前列。偏差値は国語が45、算数が60程度で国語が苦手だった。
5年生になって4科目に変更した。クラスは上から2番目だった。この頃学校見学なども行き栄光学園中学校の学園祭に行ってこの学校に行きたいと思えた。
しかしなかなかハードで夏期講習を最後に日能研をやめた。なので5年の後期は一切勉強していなかった。
でも中学受験はしたかったので6年生になって再入塾した。5年の後期に勉強していなかったことは大きく、6年の前期は偏差値50台前半を行き来していた(国語は40台後半、算数は50台前半、社会は50前後、理科は50台後半くらいだった)。夏期講習前の志望校は神奈川大学附属中学校で持ち偏差値よりも5以上高かった。
そして迎えた夏期講習。5年の後期に勉強していなかった分、夏期講習までは応用問題を我慢して基礎を固めることした。4科目の中で特に算数に時間をかけることにし、午前中はほとんど算数の問題を解いていた。夏期テキストの428題では物足りなく算数の先生から応用問題をもらって解いていた。
夏期講習を終えて9月。病気にかかって入院した。まさかこんな時期に入院なんて思っていなかったし何より公開模試が受けられないことがショックだった。でも入院3日目くらいにはすっかり体調も優れて勉強もできるようになった(このときかなりメモリーチェックを進めた)。なんとか1週間もたたない間に退院することができた。退院後、公開模試を後日受験した。なんと結果は前期の偏差値より5程上がっていた。でもケアレスミスがあったのでまだまだ伸びると思った。志望校も変えてサレジオ学院中学校。そして夏期講習中に我慢していた応用問題にも取りかかった。過去問も取りかかった(このときは第一志望の算数の過去問だけ取りかかったが受験者平均くらいしかとれなかった)。それでも調子は絶好調で次の公開模試では偏差値が63。前期よりも12くらい急上昇した。国語は56、算数は67、社会が55、理科が65と全科目好調で特に算数と理科が絶好調(夏期講習中に特に力を入れた科目だからだと思う)。クラスも上がった。その後は社会が65を超えることもあり社会が好調(夏期講習で基礎を固めたからだと思う)で4科目偏差値は60前後を維持した。ここで熱望していた栄光学園と浅野を志望校の視野に入れた。過去問を全科目やり始めるようになった。神大附属の合格者最低点は取れるがサレジオ学院は取れない。
そして1月受験。10日に栄東と埼玉栄を受けた。緊張は一切しなかった。埼玉栄の合否は当日出る。安全校なので結果は合格。
しかし、その翌日か翌々日また9月にかかった病気にかかった。最大のピンチ。栄東の合否を確認できないまま病院にいた。なんとかこの日合否を確認できた。結果は不合格。正直病気にかかった辛さもあったしなんとも言えなかった。
でもなんとか運良く無事に栄東のB入試の前日に退院できた。翌日、手術の痛みで受験するか迷ったが受験できた。試験中はなんとか集中できた。
そして結果はなんと合格。順位もとても良かった。ピンチを乗り越え得た合格は嬉しかった。
合格をモチベーションに過去問を解き続けた。サレジオ学院の合格者最低点は余裕で超えた。この時期に栄光の過去問を解いたが以外に点が取れて余裕で合格者最低点を超えていた。
そして2月1日。午前にサレジオ学院を受験。かなりの手応えがあったので合格はできただろうと思った。
午後の神大附属。2科目なので算数で点を取るしかなかった。しかし算数の試験中いつもだったら絶対に解けるような図形問題が解けなかった。でもなぜか急に算数の先生がよく授業中に言っていた言葉を思い出した。「弧を見たら中心と結べ」。この言葉はまさにこの問題の解法であった。しかし他は自信がなかった。
2月2日。朝、神大附属の合否を見るとなんとか合格。驚いたが合格しなければ栄光学園を回避していたかもしれないので栄光学園を受けれる嬉しさでいっぱいだった。自信をつけて栄光学園を受験した。
受験が終わり帰宅するとまずサレジオ学院の合否を確認した。結果は合格。自信はあったものの夏期講習前からしたら信じられないことなので嬉しかった。
2月3日。最後の中学受験となった。受験校は浅野。大勢の受験生がいたが緊張はしなかった。
受験が終わると算数のケアレスミス、社会の記述が書き途中で終わったことに後悔した。帰宅すると栄光学園の合否を見た。結果は不合格。翌日続く浅野も不合格だった。ミスをしなければ合格できたと思いながらもしっかり切り替えサレジオ学院に進学することが楽しみになった。
文が長くなったけど後輩たちに伝えたいのは何があっても焦らず諦めないこと。どんな事があっても不撓不屈の精神で頑張れば桜が舞う日が来ます。
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- 今後も寄せられたドラマを、各カテゴリーに随時アップしていきます。