「中学受験をしたいから○○塾に行きたい」
我が家の中学受験の旅は娘のこの言葉から始まり、2023年2月1日に第二志望校に合格、2月2日に第一志望校に合格、そして2月3日にチャレンジ校を受験し終わりを迎えました。とてつもない旅でした。
日能研さんのサイトなのにこんなイントロで申し訳ありません。
私も妻もその親戚一同も、誰も中学受験を経験したことがありませんでした。私はなんとなく中学受験にはネガティブな印象を持っていましたし、何より娘には向いていないだろうと考えました。娘は小学校の算数でCを取ったことがあるくらいでしたから。
○○塾さんの入塾テストに二度も不合格となるも、めげずに娘は日能研さんのドアを叩きました。そして、夏期講習後に日能研に入室しました。入室テストの点数は基準点ぴったり、つまりギリギリでした。入室テストの合格を知ったときの娘の嬉しそうな笑顔は今でも忘れられません。
しかしそこからは苦労の連続でした。『計算と漢字』、『語句のたしなみ』、『栄冠への道』、育成テストや日能研全国公開模試の解き直し、『白地図』、『メモリーチェック』、過去問への取り組み等々。何ひとつ満足にこなせませんでした。娘が自ら始めたはずの中学受験でしたが、それらに意欲的に取り組めるような子ではありませんでした。
そして娘はとても頑固な性格で、算数の問題の効率的な解き方、有効な計算スペースの使い方、ノートを取るときのコツ、勉強をするときのコツ、そういった話をいくらしても、自分のやり方に固執する子でした。私はそれを娘の短所ではなく個性と捉えていますが、それでも幼い小学生が挑む中学受験という場では不利になる個性でした。
もちろん成績もまったく向上しませんでした。「娘は向いていない」と思っていたはずなのに、そこは親の贔屓目でしょうか、始めた当初は「偏差値50が最初の通過点」等と考えていました。しかし6年生の最後まで、2科でも4科でもついぞ日能研全国公開模試で偏差値50の壁を突破することはありませんでした。
伸びない成績と呼応するように、進学先への親の期待もどんどん下がっていきました。「あんな学校に入れたら」が「頑張ればあそこくらいは」に変わり、それがやがて「せめてここくらいは」になり、最後は「娘を受け入れてくれるなら」となっていました。
娘は娘で友達から良い話を聞いたという大学付属校に憧れを持ち、志望するようになりました。その学校のあまりにも高いR4偏差値と娘の現状の差に親は途方にくれました。それに一歩でもその学校に近づこうと努力を促しても、上述のように娘にはそれは出来ませんでした。「諦めなさい」と言えばいいのか、それとも玉砕覚悟で最後まで応援するのか、とても迷いました。この学校は結局、自然と受験することは止めることになりました。
「頑張りたくないなら中学受験は止めなさい」
「受験するのはパパじゃない」
「パパは中学受験をしてくれなんて頼んだことはない」
「私立中学は勉強がしたくない子がわざわざ行くところじゃない」
何度こんなことを言ったか分かりません。娘も自分が努力できていない現状を理解していたのでしょう。家族に対してイラつきを見せることも多くなりました。下の子に当たるようなことも多かったです。下の子には只でさえ娘の受験で色々と我慢をさせているのに、こんなことでは家族が崩壊するのではないかとすら心配になりました。そのことで怒鳴ってしまった事も何度もありました。
そして娘の中学受験をサポートする最中、自分の胸の中にある嫌な自分を垣間見るのも辛かったです。「元気に育ってくれれば」、「(勉強はできなくても)何か好きなこと見つけてくれれば」、そのように考えて子育てをしてきたつもりでした。しかし中学受験というパンドラの箱を開けてみると、自分の中に潜む虚栄心や嫉妬心に気が付かざるを得ませんでした。私は娘に勉学で優秀であって欲しいと願う人間でした。
それでも親としての仕事もあります。重要な役割のひとつだと思っていたのが、娘の学力でも無理なく狙えるであろう、そして娘も家族も気に入るであろう学校を探し出すことです。幸運なことに、そのような学校をほどなく探すことができました。学校見学や体験授業を通して、徐々にその確信を深めていくことができました。この学校は後に第二志望校として2月1日午前に受験し、合格を頂くことになります。
第一志望校には、近所の共学校を設定しました。娘はここの制服を気に入っていましたし、伝統校ながら自らを改革しようとしている姿勢に私は好感を持ちました。R4偏差値が50近辺と、娘の現状から見て目標とするのに適していたことも重要でした。そして、この学校に新設された娘にぴったりの入試形態に狙いを定め、娘は2月2日にこの学校に合格することになります。
娘がようやく受験生になれた、ようやく自ら勉強するように動き出したと私が感じたのは、本番の2週間ほど前だったと思います。それでも「がむしゃら」とか「死に物狂い」とかそういう形容詞が当てはまるような様子ではありませんでしたが、娘なりに目標の為に前進しようと試みているのは伝わりました。とても慕っていた算数の先生の助言に従って、夏期講習のテキストを精力的に解き直したりもしていました。間違いなく、この頑張りが合格を勝ち取った最大の理由だと思います。
中学受験の親を経験して私は多くの事を学びましたが、一番大きかった学び、それは「愛する娘そのままをこれからも愛する」という至極当たり前の事でした。受験期間中、雑誌やネットで紹介されるようなキラキラした合格体験記を目にするのが本当に苦痛でした。だったら読むなという話ですが、読んでしまっては自分の中の嫌な感情に向き合うことになりました。
そういった経験を乗り越えて、「娘が娘のままでできる最高の中学受験を目指せばいいんだ」、そう思えるようになりました。そしてそこからは色々なことが前向きになっていったような気がします。「キラキラした中学受験じゃなくてもいいんだ」、そう思って中学受験に親子一丸と立ち向かえた気がします。
でも最後だけ、本当に最後にちょっとだけ、娘が第二志望校、そして第一志望校と合格を勝ち取ったとき、我が家はきっとキラキラしていたんじゃないかと思います。そういう瞬間が、縁あってこの文章を読んでいる中学受験家庭にも訪れることを願っています。
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- 今後も寄せられたドラマを、各カテゴリーに随時アップしていきます。