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親と子の栄冠ドラマ -中学入試体験記-

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勉強しない娘とパパの中学受験体験記

  • 年度:2024
  • 性別:女子
  • 執筆者:
2024年2月3日。
それまでの3年にわたって私の頭痛の種であった娘の中学受験が終了した。振り返れば、自ら受験を志願しておきながら「中学受験はしたい」「でも勉強は全然したくない」という、まるで、水と油、ピン子とえなりを重合するような現代科学技術を以てしても解決が困難な二大大方針を掲げる娘と私の長い戦いであった。
はじまりは3年前のこの時期、長女が小学校3年生のころだった。「わたしも中学受験をしたいな」と娘が急に発したことだった。それまで学業にまったく興味を見せなかった娘の発言に驚いたことを私は今も鮮明に覚えている。
「あなたが目指したいなら応援するけど、お勉強大変だよ。できる?」とまだ幼さの残る娘に問うと、まっすぐな瞳をした娘から「うん、がんばる!」との返答があったことで私も腹を決め、近所の都立受験を専門とする塾へ入塾させることにした。
入塾試験も終わって通学が始まったところで大きな問題が発覚した。
娘はとにかく算数が苦手であった。

簡単な計算問題はまだなんとかというレベルであったが、口が開いたまま閉口してしまうくらい文章問題が解けない。賢いお子さんであれば当然のように可能な、あれこれ考えて図や式を書くという「手を動かす」思考実験がまずできない。手元にあるヒントから筋道をひく数理的思考能力がとても乏しいことが判明した。
さて、そこから2年ほど都立受験専門の塾に娘を通わせるも、同じ塾に通うどこの中学でも合格間違いなし!と先生に太鼓判を押されていた他所の家のお嬢さんがまさかの都立受験に完敗したことを契機に徐々に危機感が募り始めた。

都立受験は原則2月3日の一発勝負。その日の試験に落ちてしまえばどこの都立中学にも通えないという非常に狭き門である。都立受験と同様の受験方法であるいわゆる「適性検査」で受けられる私立校も限られており、我が娘の学力に鑑みても、お世辞にもレベルが高いとは言えない学校しか受け皿がない。
毎月重課金をしているのにもかかわらず、相も変わらず娘の学力に一切の成長は見られず、算数の偏差値はほぼ人間の平熱レベル。調子が良くてもインフルエンザ罹患レベルの体温とまったくの期待薄。これが携帯ゲームであればとっくにスマホをへし折っているところだ。
塾の先生に相談すれどもさらなる課金を求めてくるのみだし、なにより娘自身一切勉強する姿勢を見せない。今思い返せば、このタイミングが中学受験の成否を分けた分岐点であった。

そこで緊急家族会議を招集し、意を決し勇気を出して大きく戦略を変更することにした。
6年生への進級目前で、都立受験を諦めて私立受験に切り替えた。まさにギャンブルだった。
また、思い切って受験科目も4科目から2科目へ切り替え、それに加えてある裏技を使うことにした。
「英検利用受験」だ。
娘は5歳まで海外に住んでいた白亜紀帰国子女。受験の3年以内に帰国という帰国子女資格こそないが、私の駐在時代に彼女をインターナショナル幼稚園に通わせていたという、昔とった間も無く朽ち果てそうなほどの杵柄で、小4までに英検3級を取得していたことに目をつけた。
娘を受け入れてくれる学校はないものかと、もう目を有田焼の皿のようにして調べたところ、グローバリゼーションの波に乗って、私が子供の時分には存在していなかった「英検利用受験」という名の英検保有級に応じた点数をくれる制度をとっている学校をいくつか発見した。
具体的には、英検保有級に応じた点数(英検3級なら70点、準2級なら90点などの点数をつけてくれる)+国語or算数のうち点数の良いほうを採用し合否を判定するといった具合だ。また、この制度をとっている学校の中には偏差値60に達するような学校もいくつか含まれている。
「これだ!」と思い私はこの制度の利用に賭けることとした。
偏差値微熱娘にもひと筋の微かな光が差した。

娘が小学校6年生となり、これまで4科目に分散させていた勉強時間の半分を英検準2級取得の時間に充てさせることとした。一般の英検試験は何ヶ月かに一度の頻度でしか試験が開催されないが、インターネットで受験するS-CBT試験であれば毎週必ずどこかの会場で開催されているため試験チャンスは十分確保できた。
6年生の夏休み前までに英検準2級を取得することを当面の目標に、オンラインの英会話学校や通信教育のアプリを利活用し、数度の不合格を経てなんとか受験開始前年6月に準2級を取得した。
しかし、英検合格後に娘に異変が起きた。
気の緩みだ。
英検合格は手段であって目的ではないのにもかかわらず、娘は英検に合格した途端にまるで受験が終わったかのような喜びようで、明らかに地に足がついていなかった。仮免取って教習所を辞めるようなものだ。
より一層勉強をしなくなった娘の成績は、優秀な陸軍兵士のほふく前進のように美しいまでに地を這うこととなり、定期試験のあとに行う日能研のT先生との面談は毎回まるで肉親に不幸があったかのような雰囲気だった。受験前の1年のうち、無言で瞳を見つめあったのは間違いなく妻でなくてT先生だ。
あいも変わらず微熱のような偏差値を取り続ける娘に何度となく「勉強したくないならやめたっていいんだよ、パパは強制しないよ」と伝えても「私はやめない、受験する」の一点張り。そのクセ、家では隙あらばYouTubeを見たり、漫画を読んだりと学習の姿勢を見せず、ピン子とえなりが並び立っていた。

そして、いよいよ受験生の正念場と言われる夏休みに突入した。蚊取り線香の夏、課金の夏。夏期講習の費用で福澤諭吉が集団離反を起こしていった。
が、驚くべきことに娘の勉強に対する意識は、まったくなんの盛り上がりもみせることなく、夏が過ぎ、風あざみ、塾の支払いにさまよう、机の上に残された、娘の成績雨模様〜♪。とパパは井上背水としてデビュー間近のところまで来ていた。
手応えや成長をまるで感じさせぬまま、あっという間に夏が過ぎ去り、秋口頃から徐々に学校見学・学校説明会がはじまった。
綺麗な学校の校舎や、現役学生さんを見れば娘のマインドもチェンジするか?と淡い期待を抱くも、オシャレに全振りしたフランス映画の如くなんの展開も見られなかった。先輩の体験談では「勉強9:息抜き1」の割合を教えられるも、娘はこれ以上抜いたら気圧差で肺が潰れるよ、というくらい息抜きしかしていなかった。
秋も暮れ冬になり、いよいよ受験が間近に感じられる時期になると、日能研の講座も本気を出してくる。
授業のない日に「苦手科目克服講座」があったり、「受験本番と同じ時間帯に頭が回るように」という理由で、オンライン会議システムを用いた早朝授業など、空いた隙間時間を勉強で埋めるようなメッシュの細かいサポートがあった(もちろん、有料)。
大量の諭吉が全力でラインダンスを踊りながら清水の舞台から飛び降りていく。

1月になって学校の授業参観があるも、35名のクラスで実に14名が欠席。成績上位クラス組は学校にきているわけがなかった。一方、うちの娘は皆勤賞で学校に通った。なぜなら、どうせ休ませても家でYouTubeを見るだけだからだ。
周囲の親からは「学校に行って感染症になったらどうするの?」と問われるも、「抗体得るため学校に行かせています」とかわす日々。ちがうの。うちの子は勉強しないの。そして、とうとう受験前日まで娘は自主的に机に向かうことなく、本番に突入することになった。

依然として我が娘の偏差値は微熱レベルのままであり、私はもはや全敗を覚悟していた。ええい!ままよ。もうなるようにしかなるまい。
2月1日。都立受験初日、二校三試験。
2月2日。二校二試験、
2月3日。一校一試験の受験を申し込み。しめて14万円也。
下手すると全敗だってありえたが、なんと奇跡的に初日初っ端の試験の倍率が、1.5倍程度と低倍率になったこともあり、無事に娘は合格を獲得。合格発表の画面を見て思わず私も安堵で涙が出たことはこの先一生忘れることはないだろう。
そして、驚くべきことにここから初めて娘にスイッチが入る(遅い・・)。

3年前に受験を決めてから、初めて娘が自主的に机に座ったのを見たのは受験真っ只中の2月2日だった。冷静に分析するに、娘自身もこれまで自分を信じておらず、ひとつの合格をとって初めて自己肯定感を得たようだった。やはり受験序盤に受かりやすい学校を受けておくのは、子供のために良いものだと学んだ。
娘は本番に強いのか、ただただ運が良いのか。その後も問題が自分の趣味にハマったといい、倍率が8-10倍を超える試験まで次々と合格し、気づけば3校に合格した。娘の成績を思えば大金星。英検利用受験においては英検準2級までとっておけば用を為すようだ。あらためてありがとうございますと日能研と英検に言いたい。
ここで受験を控えるお子さんを抱える親御さんにアドバイスとしてお伝えしたいのは、我が家のようにコロコロと戦略を変えるのは極めて悪手である一方、英検やプレゼン受験など、子供の特性と得意を見据えた出口戦略を調べて用意しておくことはかなり重要だということだ。得意で勝負すること以上に有利なものはない。ビジネスで用いる戦略は受験にも生きる。

私と娘の経験を反面教師に、ぜひ合格を勝ち取ってほしい。

今後も寄せられたドラマを、各カテゴリーに随時アップしていきます。
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