小学校での人間関係に悩んでいた我が子に、居場所になるような塾を選ばせたい。そう思って、あちこち見学に連れて行った結果、「見に行った所じゃなくて、前に実力テストを受けた日能研がいい」と言われた所から、我が家の中学受験は開始しました。
最初は正直「まいったな」と思いました。中学受験は未知の領域で、あまり積極的に考えていなかったからです。「楽しく通えて勉強できるならいいか。受験はどっちでもいいや、偏差値があんまり良くないならやめればいいし、追々考えよう」という、今思うと失礼なくらい軽いノリのまま、通塾を見守っておりました。
学年が代わり、小学校の人間関係が改善すると、偏差値が転がるように下がり始めました。潮時かなと思い、「受験やめてもいいよ?塾も変えて良いし」と声をかけたところ、拒否されました。新しい仲良しグループが、中学受験予定の子ども達だったのです。自分の覚悟の甘さに気付き、慌てました。予備知識がなかったので、日能研の先生に相談し、進学雑誌に目を通しました。また、昨年の校舎の合格実績を参考に、公立進学する際の中学校も含め、二十校ほど見学に行きました。コロナ禍で予約が大変でしたが、実際に見に行った事は非常に大切だったと思います。我が子の手が届きそうな偏差値でも、魅力ある私立校を、複数見つける事が出来ました。
実際に受験できる学校は限られますし、進学先は一つです。本人に見学させたのは、素敵だなと思った学校の中でも一部のみ、受験した学校は更に少ないです。でも、偏差値に関わらず沢山の学校を見た事は、親である自分の心の余裕に繋がったと強く感じます。6年生の夏の終わりに、突如偏差値が跳ね上がった時も、受験直前に偏差値が信じられないほど下がった時も、落ち着いて受験校を提案出来ました。子に合格をくれる良い学校は必ずある、本人の出来る限りを受け止めよう、と腹を据えたため、余計な口出しはせず、応援に徹する事が出来ました。結果として、チャレンジ校のつもりでいた第一志望校に、最後の最後でご縁を頂く事が出来ました。
受験前の冬に、インフルエンザで1回、コロナで1回と立て続けに家族全員が倒れたり、受験直前に親族が他界し、家中がドタバタしたり、予測不能なトラブルが多発しました。親の心の乱れが一番の障害になるだろうと、自分自身を律する事に必死で、手を掛け気に掛けてあげられなかった部分が多かったと思います。それでも頑張り続けた本人への感謝と共に、どうやら併願作戦に成功できたらしい事に、心から安堵しています。
ただ、合格を頂いた幾つかの学校への辞退が本当に本当に辛かったです。一生懸命悩んで選んだ、素晴らしい学校ばかりでした。感謝の気持ちを一生忘れないと思います。
また、最後までご指導頂いた塾の先生方に、心から感謝申し上げます。学校選びについての様々な視点からのアドバイス、楽しい塾生活、目標を諦めない粘り強さをご指導頂き、本当にありがとうございました。
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- 今後も寄せられたドラマを、各カテゴリーに随時アップしていきます。