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親と子の栄冠ドラマ -中学入試体験記-

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5年夏から受験勉強。栄東(東大)合格で油断して連続不合格も、なんとか明の星に。

  • 年度:2023
  • 性別:女子
  • 執筆者:
日能研なしには浦和明の星女子中学校に合格できなかったので、感謝と、後輩の方に役立ててほしいと思い、山や谷ばかりの受験経験を投稿します。

娘は5年夏から日能研に入塾し、夏期講習終了後からMクラスで過ごしました。
算数はいい時で偏差値70を超えていたものの、国語は苦手で、良くても偏差値63で、常に50代前半をさまよっていました。理科、社会は、通塾時間が短くインプット量が少ないことの影響か、偏差値は60代前半、算数が得意なので、理科の物理や地学の計算問題だけは得意という状況でした。
算数の問題は趣味のようにずっと解いているものの、なかなか受験のスイッチが入りませんでした。

小6の夏、理科と社会のメモリーチェックが配布されるも、放置していました。焦るのは親ばかり。娘と何度もケンカをし、メモリーチェックを一周終えてのご褒美をちらつかせ、夏期講習中には、理科、社会のメモリーチェックを2周終えられました。
それまで雙葉日特へ通っていましたが、理科、社会の偏差値があがり、希望の女子学院日特へ通うようになりました。
女子学院中学校の算数の問題を解いて楽しそうにしているものの、目標にしていた女子学院日特に行けたことで、燃え尽き現象が起こり、冬期講習もなんとなくスイッチが入らないまますぎました。

そして、12月、最後の日能研全国公開模試。偏差値は5~6落ちて、59・・・。これにはさすがの本人も青ざめ、ようやくスイッチが入りました。1月10日までの2週間、寝る時間以外、勉強。栄東中学校を受験したところ、
東大コースでの合格となりました。
ところが、親も、本人も、安堵し切ってしまい、以降の埼玉は連続不合格・・・
本人も、やる気を喪失してしまい、常に、放心してすごしました。

そんな様子を日能研の先生に伝えたところ、とりあえず、教室にきなさい、と説得してくださり、なんとか、
1月後半は通塾を再開しました。そんな中、理科最後の日、お迎えに行ったところ、本人が大きな包み紙を持って、ニコニコして立っていました。理科の先生が、成績や結果ではなく、今まで宿題や課題を頑張った人順に表彰してくれたとのこと。結果を受け止められず、落ち込んでいた娘にとって、5年の夏からだったにも関わらず、2番目に努力してたみたい、となにか、自信を取り戻せたようでした。

そして、迎えた東京入試。御三家、豊島岡女子学園中学校は、本人は全力を尽くしたものの、やはり、壁は高く、不合格でした。今までスイッチが入らず、感情を表さなかった娘は、初めて、豊島岡の合格発表をみた時に、現実を認識して、嗚咽を漏らしながら泣いていました。
東京受験は都内に2泊していたため、その日は、レストランで美味しい食事をし、買い物をして、思いきり気分転換をしました。
そして、本命の明の星を迎えました。受験後、校舎から出てきた娘は満面の笑みで、絶対に受かった、と自信満々でした。そして、合格発表の日、「合格、おめでとうございます」の文字に、抱き合って叫び、泣きました。

失敗したとき、日能研の先生が何度も声をかけて応援してくださり、
また理科の先生が努力量を褒めてくださり、自信をもらえなければ、きっと志望校には受からなかった
と思います。
中学受験で、他の受験生のレベルの高さを知り、高い壁があることを実感したので、中学入学後は、
コツコツと勉強すると意気込んでいます。
挫折を味わったことも、とてもよい経験だったと思います。
日能研に通塾して本当によかったです。日能研を信じて、自分を信じて頑張って、自分の納得する結果を勝ち取ってください。
今後も寄せられたドラマを、各カテゴリーに随時アップしていきます。
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