「第一志望」とはいえ慶應義塾普通部は事実上のチャレンジ校だよ、と息子には何度も言い聞かせてきました。実際、併願校のなかにも行きたい学校はありましたし、挑戦者のつもりで挑めばいいと思っていました。
息子はどちらかといえば幼いタイプで算数が得意な一方、国語がかなり苦手。社会の時事問題や一般常識もやや弱点でした。また、中学受験は本人が希望したものの「ジブンゴト」にはなっていない、ふつうの男子でした。偏差値は70を超えたり(1回だけ)60を切ったりと乱高下。「志望校を変えようか」「日特を変えようか」と本人に問いかけましたが、本人は「変えたくない」と粘りました。6年生の平均偏差値は65でしたが、親としてその実感はありませんでした。
実感がわかない理由のひとつが過去問でした。慶應義塾普通部は合格ライン非公表で7割できないと合格できないともいわれていますが、過去問をやってもそこまではいきませんでした。理科はなぜか取れるのですが、得意の算数は相性が悪いためかなかなか超えませんでした。社会も難しく感じられ、国語は想定通りの厳しさでした。他塾の志望校別テストでも合格可能性は五分五分の感じで、なかなか光が見えないまま本番を迎えることになったのです。
2月1日。息子は普通部の試験に臨みました。朝、電車内でスマホを手に日吉校の先生たちの応援を食い入るように見ていました。恥ずかしながら夫婦で普通部まで付き添い見送りました。終了後に出迎えると息子から出た言葉は「算数以外はできた・・・」。全体的には手ごたえを感じたようですが、親としては「算数頼み」でしたので、それではちょっと厳しいかとショックを受けました。
息子は、2日の二校も「算数がダメだった」という感触でした。「算数は本番だとダメなのかなあ・・・」と言い、本人も不安を感じたようでした。夕方、塾に電話で相談させて頂きました。先生からは「君ができないならほかの子もできないはず。自信を持ちなさい」と叱咤の言葉を頂き、息子はメモをとりながら聞いていました。ふだんは見たこともないような表情でした。先生に励まされ、とても勇気づけられました。そして夜になって、2日の二校の合格がわかり、とりあえず「あと一日がんばろう」と気持ちがつながりました。
3日は浅野中学校でした。浅野中は普通部以上に問題との相性が良くなかったため事実上対策をほぼやめていました。それでも前日の合格をバネに元気に試験に臨めました。3日目の朝も同じようにスマホで先生から応援をいただきました。
そして、その日の午後、普通部の合格がわかり、わが家の受験は終わりました。
「やる気スイッチみたいなものはとうとう最後まで入らなかった」と夫婦で冗談を言っていたぐらいでしたが、それでも、自宅に持ち帰った、ある学校の問題用紙を見たときに思ったことがあります。確認のために設問にひかれたシャーペンの強い筆圧の線、〇、書き込みなど。ものすごい勢いのあるものでした。息子は受験本番でかつてない集中力を発揮し、実力を最大限に出し切ったのではないかと感じました。また、幼さゆえに普通部の面接もとても心配でしたが、最終盤に自宅でひとり練習をしていた姿も思い起こされ、息子なりにひそかに力をつけ成長していた面もあったのかなと思いました。
結局、浅野中も合格し、息子は1月を含む五校すべてで結果を残すことができました。中学受験は「最後で伸びる」と言われ、それはどういうことなのかずっと疑問でしたが、息子の体験を通じて、少し理解できたような気がしております。
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