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親と子の栄冠ドラマ -中学入試体験記-

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日能研が心の支えになった

2勝12敗の大苦戦の中学受験

  • 年度:2024
  • 性別:女子
  • 執筆者:
娘が日能研にお世話になり始めたのは、まだ低学年の時の算数教室から。
母親である私も校舎は違えど日能研生だったのもあり、縁を感じて入室。
娘は塾の先生や友達が好きで家でも何度も話題にあがった。
ただ、学年が上がるにつれて肝心の成績が上がらなくなり、帰宅後も復習で手一杯で宿題には手が回らず、塾だけが原因という訳ではないが、睡眠時間も足りず、少しずつストレスがたまり、睫毛や眉毛が抜けてしまう抜毛症という病気になり、4年の夏に一旦、日能研を離れた。
離れている間も受験するか否かは別として、どう選択しても良い様に勉強は続けていた。
高学年になり、いよいよ受験の事を真剣に考えた結果、本人から日能研に戻って受験したいと申し出があった。
そして、5年の冬期講習から日能研に復帰。
ここからは怒涛の1年だった。
1年半のブランクを取り戻すのは修羅の道だった。
出来るだけ授業後は残って質問したり、問題を作ってもらったり、先生方にも沢山ご協力いただき、ありがたかった。
しかし、どんなに勉強しても偏差値は底辺のまま。
親子共々悩み泣かされた。
こんなに勉強しているのに4教科とも試験の結果は20点以下は当たり前。
何故?どうして?の繰り返しの毎日。
受験には向かないというか、性格が幼い娘にはそもそも厳しい事なのかもしれない。私は教育虐待をしてしまっているのかなと何度も思い悩んだ。
何度か中学受験を止める提案もした。
それでも、娘は諦めたくないと言って必死に授業に食らい付き頑張った。

そして、11月から人生初の入試が始まった。
結果はタイトルの通り。
連敗が続き、もうダメかと何回思ったか。
でも、娘は泣き言も言わず毎日、受験。
そして、1月下旬にやっと1校、合格をいただけた。
更に2月上旬、更にもう1校合格をいただけた。
最後に合格をいただいた都内の女子校に進学する事にした。

本当に毎日が綱渡りのような日々だったが、娘は周りの方々のお力添えもあり最後まで完走できた。
泣き言を言わずに黙々と目標に向かって頑張った娘を誇りに思う。
これから先もきっともっと大変な事があるかもしれない。
でも、大苦戦した中学受験を経験して成長した娘は踏ん張れる事だろう。
本当によく頑張った!
最後まで見捨てずに支えてくれた先生方に感謝の気持ちでいっぱい。
ありがとうございました!
今後も寄せられたドラマを、各カテゴリーに随時アップしていきます。
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