子供の中学受験が始まったのは新小4の2月からでした。
教室に入ったときに広がっていたピンクの短冊たち・・・それがわが子のものになるのは長いようであっという間の出来事だった気がします。
我が家はフルタイムの共働き。始まった当初から勉強については本人に任せきりでした。ゲーム等は見守り設定で一日1時間(6年生は30分)、その他タブレット等端末はパスワード管理するなどしていましたが、そのほかは基本的に本人に任せていました。よかったことは本人と勉強に関するけんかをしないで済んだこと。尤もそのままにできたのは本人が成績をずっと上位でキープしてくれたおかげです。
「本当に中学受験の時期ってくるのかな」と思っていた1年前。そこから今年の1月までふわふわした気持ちを抱えつつ、日々を過ごしていました。
1月のS中T大特待を危なげなく合格、その足で翌日の関西N中入試に向かいました。脇から見ていても、又本人談からも、第一志望校対策を優先した結果、関西のN中対策をする時間は正直限られていました。結果はと言えば、2点差での惜敗。ただ得点開示のおかげで、何が敗因だったのか、どう次につなげるのかという自己理解につながりました。
そしてその一週間後にSM中受験。
前泊したホテル室内では親ひとり子ひとり、正直集中できる状態ではなかったと思います。実際最後まで詰め込んだというより、何より体調を崩さないことに気を配った前日でした。
当日の試験終了後、比較的明るい表情で出てきたと思ったのもつかの間、帰宅後に本人の得意科目の算数が壊滅的な出来であることが自己採点により判明。その時の子供の涙を見たときに、「なんでこんなことを子供にさせてしまったんだろう」と親のメンタルのほうが崩壊寸前でした。
翌日は気持ちを上げるために、一度も行ったことの無かったRN中の下見を父親と共に済ませ、その足で日能研へ行くことに…。
RN中受験前日は、本番と同じ時間に同じ科目順で過去問を回し、その日の午後はSM中の合否結果へ…。怖すぎて個人認証ログインでは直視できないと思たので、WebにUpされた合格番号のファイルで確認することに…。
果たして番号は…「ある、ある、あった!」。
在宅で仕事をしながら結果をWebで確認したものの、親の涙腺は完全崩壊、そのまま一日が終わった感じでした。
このSM中の合格、そしてRN中の合格は本人にとっても、家族にとっても大きな自信と安心、学びを与えてくれました。SM中の試験後に初めて自ら「書く」といって書いた方略カードは学びの宝庫でした。得意科目で崩壊することがあること、ある意味初めて他の科目で救われたこと、何が今回の崩壊を招いたのか自己分析等々…。
その後の慢心が怖かったので、3年間で初めての親の介入により、午前午後同じ時間で、想定受験パターンの学校の過去問を回すことを3日間やったところで、何とまさかの体調不良。最後の追い込みもここまでかと、後はひたすら回復に時間を使いました。
そして迎えた1週間後の東京入試。合言葉は「いつも通り」。そして結果は…全勝。
正直こんな結果を迎えられると思っていなかった(思えないくらいの布陣だった)ので、本当に感心しましたし、子供への尊敬でいっぱいでした。
子供は受験期間中もずっと「xxくんは受かったかな」「xxくんはどうしてるかな」と塾のお友達のことを気にかけていて、彼らが子供にとって戦友・力になったことは疑いようがありませんでした。ここまで子供の気持ちと実力を引き上げてくださった同じクラスのお友達、先生方、ありがとうございました。
我が家の勝因は、ひとえに中学受験が自分事になっていたことだと思います。
SS中を第一志望に決めたのは5年生のとき。5年生のときはとにかくいろんな学校の体験授業・学祭に連れて行きました。(このときがある意味一番の親の貢献だったかも)
子供はやりたい部活を決め、最後はとても贅沢な選択肢の中で「だってずっとここを目指していたから」とぶれずにSS中への進学を決めました。本人のまっすぐなその意思にもすがすがしさとこの3年間の成長を感じました。
中学受験はあくまでもゴールではなくスタート、始まりです。これからの6年間で、将来の自分のやりたいこと目指すことを、いろんな考え方を持つ学友たちから刺激を受けて、見つけてほしいと母は切に願っています。
さて我が家はこれから入れ違いで下の子の日能研生活が始まります。
お兄ちゃんとは全く違う性格・得意科目の中で次の3年間もハラハラドキドキ、日能研で過ごさせていただきたいと思います。
最後に。難関校対策について、世の中にはいろんな情報が出回っていますし、正直迷った時期もありました。でもうちは日能研で最後まで完走できて本当に良かったです。ありがとうございました。
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