最後の日能研全国公開模試の時、私は、第一志望校の合格の可能性は5%でした。
私はその時、このままじゃ受からないんじゃないか、という不安とあと二ケ月しかないという焦りで頭がいっぱいになりました。
それでも第一志望校を変えなかったのには理由があります。それは、他の学校には変えられないほどの輝きが第一志望校にはあったからです。そこから冬休みが始まり、冬休みの間は過去問やテキストの問題を解いて頭に入れることに専念しました。ですがそれが大きな間違えだったと冬休みが終わって気づいたのです!!
私は暗記が大の苦手で一回覚えたとしても一ケ月後には忘れてしまっていました。そんな知識不足の私が社理の過去問を解いても歯が立たない、、、過去問を4科目続けてやるとしても一日の半分の時間を使ってしまう。それなら問題を解くよりも一日社理の暗記をしていた方が自分のためになると気づいたのです。
2月の入試の二週間前ぐらいからは、朝から夜までインプット、インプット、インプット、、、の繰り返し。自分にとって悔いのないように毎日を過ごしました。
そして迎えた2月の入試
ちなみに1月は埼玉入試、千葉入試と自分と同等レベルの学校を受験し第三志望の学校の合格をもらえていました。それなので2月は、第一志望校、第二志望校のみチャレンジすることにしました。しかしどちらも自分の偏差値よりも10以上高い学校でした。。
2月1日午前第一希望(一回目) 午後第二希望(一回目)
2月2日午前第一希望(二回目) 午後第二希望(二回目)
2月3日午後第二希望(三回目)
2月4日午前第一希望(三回目)
2校に絞るスケジュールを立てました。
2月1日手ごたえは全然なく、やはりどちらも不合格
2日は、社会が昨日よりもできたと思い、ちょっと結果に期待していたのもありましたが、どちらも不合格。両校ともかなりのチャレンジだとわかっていても不合格が続くと正直、私のメンタルはもう限界に近い状態、、、。
それを見越してくれていたのか、日能研の先生は
「2月3日の午前が空いているのなら、少し偏差値の低い学校を受けてみれば?」とアドバイスをもらい、2日の夜に3日の午前に追加で自分の実力と同等の学校を受けることにしました。3日の午後は予定通り第二志望校の学校(三回目)を受けました。
1日、2日の入試に比べ、3日の午前の安全校の入試は時間にも心にも余裕を持って受けることができて、なんと合格!!本当に自分が行きたいと思う志望校じゃなくても合格っていうことがこんなにうれしいことなんだということを実感しました。
しかし同日の夜に出る3日午後の第二志望校(三回目)の結果は見ずに寝ました。
なぜなら翌日は三回目の第一志望校、しかも私にとって本当に最後の入試。
父と母に「たとえ合格だとしても今日見ることにいいことはない。受かっていたら明日の最後の入試は油断するし、落ちていたとしたら気分が落ちるだけ。合否を見ても明日受けることは変わらないから見るのをやめよう」と言われたからです。
2月4日の午前の第一希望校の入試は1日、2日の入試とは違って、都立一貫校のような作文型の入試でした。この入試は5日の都立の入試に備えて練習として受験する人もいるんだろうなぁ~と思っていたので、この入試の対策に十分な時間を費やせなかった私なんか受かるはずがないと思いながらも、弱気を出すな!と自分に言い聞かせながら最後の受験を精一杯、頑張りました。
合格でも不合格でもこの2年間の受験勉強は終了、、、。
4日の夜最後の合格発表の時間。この2年間、お疲れさまでした!!と心の中で思いながら、パソコンとにらめっこしながら受験番号とパスワードを入力していく
せーの
ポチ
おめでとうございます!!あなたは合格です
の言葉が現れたのです。嘘かと思いもう一度、やっても結果は同じく合格。
うれしすぎてめっちゃ大きな声で叫んでいましたwww
第二志望校の学校も多分落ちてると思うけど念のため見ておくかと昨日の結果を確かめてみると
え~なんと合格。驚きました。
日能研全国公開模試の合格率も低く、不合格が続いたけれど「この学校に絶対に行きたい!」という強い意志があったからこそ先の見えない合格というものに向かって頑張れたんだと思います。
ここまで自分の行きたい志望校を気持ち折れずに受験し続けてこれたのは埼玉や千葉で第三志望校の合格をもらっていたからだと思うので、どこで何を受けるかを決めることはとても大切だと思うし、一つでも受かっているということが自分にとっても、お母さんや、お父さんにとっても心の支えになると思います。
そしてこれまで支えてくれたお父さん、お母さん、弟や妹がいる人は、テレビや家族でのお出かけをがまんしてくれていた弟や妹にも受験が終わったら感謝を伝えてあげてください。
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- 今後も寄せられたドラマを、各カテゴリーに随時アップしていきます。