息子が入塾したのは、4年生の秋。3クラスの真ん中からのスタートでした。
親も子もあまり受験を意識せず、育成テストに向けた勉強も、振り返りもしていませんでした。結果、偏差値は50前後で、40まで下がったこともありました。
5年生になった頃から、ようやくテストの見直しを開始。算数でつまずいた時は、学校に行く前に母子で問題に取り組んだ日々もありました。
こどものやる気に火をつけてくれたのが、塾友でもあり、同じ小学校の友人です。Mクラスに在籍する彼の、「早くMクラスにあがっておいでよ」という言葉で、息子は上を目指すようになりました。
5年生の10月に、ついにMクラスにあがり、最初は最下位層に位置していたものの、6年生の夏頃からは、1列目にまであがれるようになりました。これも、友人に追いつきたいという一心だったように思います。この頃には、62まで偏差値を上げていました。
6年夏休み明けの9月の日能研全国公開模試には、漫画「2月の勝者」に描かれていたように、夏期講習の成果がすぐには反映されませんでしたが、その後秋には65弱まであげ、第一志望の早稲田実業学校中等部が合格圏内に入ってきました。それでも、過去問では合格最低点を取ることができず、不安な気持ちでいました。
年明けの1月は、これまで日能研全国公開模試で間違えた漢字を毎日20~30ずつ練習し、毎朝計算問題を解き、苦手な社会、特に地理の暗記に勤しみました。毎日の課題を表で見える化し、終わったらシールをはるようにしたところ、息子も目の前の課題に取り組みやすくなったようで、毎日シールがたくさん貼られるようになりました。
結果、栄東中学校は東大合格、第一志望の早稲田実業に、2日校の本郷中学校、そしてまさかの3日校の海城中学校まで合格をいただき、息子は自分に大きな自信を持てたようです。
振り返ると、日能研のアットホームな雰囲気のおかげで、息子は大変な受験勉強を乗り越えられたと思います。「今日、先生がおもしろかったんだよ」と、よく日能研での面白話を紹介してくれたりもしました。また、合格を報告したお電話では、先生が次から次へと変わり、お祝いの言葉を伝えてくれ、まるで親戚に電話をしているような気分でした。
息子は、日能研が終わってしまったのが少し寂しくもあり、もう一度受験をするとしても日能研が良いと言っています。そう思える塾、そして負けん気に火をつけてくれたお友達に、心から感謝しています。
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