【受験校数】
1月受験1校
2月受験6校予定(実際は4校で終了)
第一志望:A学園女子(過去問演習:第一回入試・第二回入試x過去6年分)
第二志望:B学園(同:第二回入試x過去3年分)
第三志望:C高校中等部(同:第三回入試x過去3年分)
第四志望:D女学校(同:第二回入試x過去3年分)
第五志望:E女子学院(同:第二回入試x過去2年分)
第六志望:F学園
【合格校数】
1月1校
2月3校(A学園女子、B学園、E女子学院)
※残念ながらD女学校はご縁がなく4勝1敗で全日程終了。
【所感】
・日能研の教室の先生からのZoom励ましの会は娘にとっても心強いアシスト。ぜひ積極的に活用するべきかと考える。
・当日体調不良になることもあり、学校に向かう際には余裕をもった時間配分を。
・通学している日能研の教室の先生方の力を最大限かりて学力を伸ばすことが出来る。当日まで学力は伸びるので最後まであきらめずに。
・受験当日の控室は気もそぞろになるが相当手持無沙汰となった。落ち着かない気持ちもあるが、受験パターンや学校までの経路はすでに調べつくしており、時間つぶしのうまい方法が必要。
【新6年生になってからの頑張り】
・試験終了を待つ間にここ3年の娘の頑張りを思い出す。親子でガンガンに言い合い喧嘩したことも多々あるが、親のひいき目から見ても、負けず嫌いの娘はよく頑張ったと思う。
・特に6年生になった当初の2-3月は学習内容の高度化・学習のサイクルが掴めずに成績は急落、その後徐々にペースをつかむと成績も上昇していった。私立学校の個別説明会や体育祭・文化祭等のイベントに参加しながら、志望校を絞り込んでいったことも本人の頑張りにつながったと思う。
・夏期講習については、本当によく頑張ったとおもう。自分の小学生時代と比べると考えられないぐらい勉強にがんばっていて、日能研の教室へほぼ毎日のように朝から自習に通い、それこそ一日中勉強していた。苦手な算数も共通428題に積極的に取り組み、わからない点を先生に質問してクリアにしてくるなど、努力を重ねていた。また、夏期講習中から開始したこととして、「取組ノート」を自分で作成し、今日やった勉強内容と明日取り組むべき課題を1日1ページで書きだし、実際にやれたかどうか、やれない場合は積み残しとして翌日以降の課題として記載し、取組を視覚化して自信につなげていた。
・秋以降も体調をくずすことなく日特や過去問演習に忙しく対応し、特に過去問演習についてはだんだん点数が取れていくことに手ごたえを感じていたと思う。重要だったのは解いた後の振り返りでなぜ間違ったのかを本人なりに突き詰めていった。冬期講習が始まっても体調管理に注意をしつつ、終日日能研で勉強を続けていた。
・1月受験の前受校も過去問演習で合格点は出ていたものの、蓋を開けると基準点ギリギリでの合格で、親子共々、大いに肝を冷やした。本人もギリギリでの合格は意外な結果であったことから、より頑張ろうとしていた矢先、なんとインフルエンザに罹患して1月中旬の追い込みシーズンに4日間を寝込むことに。小学校でインフルエンザが流行っていたこともあり、そこで感染してしまったか。ここまできたらと腹をくくり、逆にゆっくり休んで体力回復させる時間として過ごす。感染症が流行している学校を1月中旬より休ませたこともあり、結果として娘の取り組み姿勢にさらに真剣味がかかり、昼は家庭で学習、午後から日能研の教室での自習+先生質問タイム、を行うことで過去問とその振り返りを重点的にこなせるようになっていたかと思う。
【受験当日の詳細】
・2月1日
2024年2月1日午前5時45分起床。東京受験の当日が始まる。いよいよ3年間の努力を試す時がやってきた。当日の天気は好天で、悪天候にならなかったことを感謝。簡単に朝食を済ませて、第一志望のA学園女子の試験会場に向かおうとしたとき、娘が突如言い出した「おなか痛い・・・」の言葉に騒然となる我が家。
前日もいつも通りの生活を送り、前夜も早めに床について眠ったのだが、やはり有形無形のプレッシャーがかかっていたのだろう、おなかが痛くなってしまったようだ。カイロを張り付けておなかを温めてしばらく様子を見る。大丈夫、試験時間まではかなり余裕をもっているから、と妻が娘に言い聞かせる。そのうち少しマシになったので、娘と二人で家を出発し、電車で学校へ向かう。学校が近づくにつれ、受験生の数が多くなり、娘の緊張が高まるのがわかる。このまま送り出すのはよくないと思っているとき、日能研の教室の先生からのZoom励ましの会があるのを思い出した。学校の最寄り駅に着く前にデバイスを設定、学校まで徒歩で向かう際に、娘にイヤホンを装着させてアクセスさせる。Zoomを通していつもお世話になっている先生たちからの励ましの言葉をいただくと、みるみるうちに娘の緊張気味の顔に笑顔が戻ってきた。10分程度の間であったが、これにより緊張がほぐれ、おなかの痛みも緩和され、非常にありがたい後押しになった。コロナの影響で学校近辺での先生方の激励がなくなったが、こうしてZoomで対応いただくことは心強い。校門をくぐり、元気よく教室に向かった娘の後ろ姿を見送り、試験終了まで控室にて落ち着かない気持ちで待機。
当日昼過ぎに解散となり、集合場所の校庭で合流。おなかの痛いのはすっかり良くなっており、午後受験に向けて、一旦帰宅して簡単な昼食をとることに。出来はどうだったかはあえて聞かず、全力出し切れたのかを聞くと「過去問演習を通して教科ごとの解答注意ポイントを事前に纏めていて、休み時間にチェックしてそれを励行できた」と娘が答えたので、本人なりに手ごたえがあったと判断。しばら家で休んで、午後入試の学校に向かう。
午後入試の学校は、第二志望のB学園であったが、実はもともとは第一希望の学校。12月上旬の全国テストのR4偏差値からするとちょっと届かず(持ち偏差よりも5ポイント程度上の学校)、第一志望と第二志望の順位を入れ替えた経緯がある。また、本番までに過去問演習3年分はきっちり対応するも、算数・理科がやはり難しい内容であり、合格者平均までは叩き出せていない先であった。親子共々、正直厳しい戦いになるものと考えていた。全力で頑張れと送り出し、飲み物購入の為に近くのコンビニに行く。イートインコーナーでは他塾に通う女の子と保護者が漢字のテキストをギリギリまで広げて勉強しているのが目に入り、こんな直前まで、と一瞬引くが、それほどこの午後入試の学校にかける気合がすごいのだろうと思い直す。
学校の控室に戻り、またも落ち着かない気持ちで終了まで過ごす。数時間後、ようやく解散となり、校舎内の体育館で合流。多くの受験生がいて、受験番号順でリリースされる方式であったことから、合流するまでに20-30分ほどかかった。合流後、全力出し切れたかと聞くと「難しい問題もあったけど、最後まであきらめずに記述部分も書ききった」と全力を出し切った様子。とはいえ、4教科受験を午前・午後と行っており、さすがに娘も疲れている様子であり、電車移動でのタイムロスを考慮し、タクシーで帰宅。2月1日の結果は2日に発表ということもあり、早めに就寝。
・2月2日
2024年2月2日午前6時00分起床。本日午前中は第五志望のE女子学院へ。昨日おなかが痛くなってしまったこともあり、かなり余裕をもって移動する。幸いなことにおなかの痛みもすっかりなくなっていて、この日も好天に恵まれ、電車の遅れも発生せず、試験開始50分前には学校に到着。昨日同様、最寄り駅から学校までの道で、日能研の教室の先生からのZoom励ましの会に参加。やはりなじみの先生からの励ましの言葉は本人にとってもうれしいようで、また笑顔が見られた。この学校の場合、試験会場の教室の席まで保護者が一緒に入れるようになっていて、座席で娘と別れる。別棟の教室が保護者控室となっており、控室で終了まで待つ。
1日午前中のA学園女子の入試結果が2日12時から発表されるということだったが、2日の午後の試験が終わるまでは結果を見ないと決めていた。不合格だった場合に本人へ伝えるタイミングを考えると、2日午後入試前に本人に伝えるメリットはないし、また不合格だった雰囲気が親から伝わるのもまずいかなと考えたからである。
午後になって解散となる。E女子学院の場合、学校到着順に教室に振り分けられるので、教室事に解散となる。解散開始からややあって娘と教室の廊下で合流。この学校も自宅から近いこともありタクシーで帰宅。E女子学院は持ち偏差よりも10ポイントほど余裕のある学校であるが、過去問演習も2年分はきっちり対応した先だった。過去問演習で注意すべきポイントをおさえつつ、全力で取り組みができたと娘のコメントあり。2日目の昼食も自宅で食べ、しばらく休憩。
2日午後入試のD女学校も自宅から近く、電車での移動を考えたが3日以降の体力温存も考えてタクシーで向かうこととした。このD女学校は志望順位こそ第四ではあるが、学校の雰囲気も素敵であり親子共々ご縁があればよいと考えていた先である。R4偏差は届いており、過去問演習も3年分で合格者平均が出ていた先であり、手堅く合格を得たい先であった。ただ、付属の大学へほぼ全員が進むことができるようになると直近で発表されたこともあり人気・倍率が上がりそうな点は懸念点と考えていた。学校に到着し、校舎入り口で娘と別れ、保護者控室となっているホールへと向かう。D女学校の午後入試は2教科であり、2時間程度の待ち時間となったが、やはり落ち着かない状況。
ここにきて1日午後のB学園の合格発表の時間となる。B学園は合格発表の時間が限られている特徴あり、こちらを先に見る必要があった。ホールで娘を待つ間に座席からモバイルでB学園のHPにアクセスして結果を見ることに。この学校の場合は合格者の番号を自分でスクロールして見に行くスタイルであり、娘の番号を目で追っていくと・・・あった。(まさかの)合格!にわかには信じられず、再度、娘の受験番号を確認し、B学園の合格者発表をチェックするが、やはり番号はあった!!が、周りは静まり返った待合ホールであり、D女学校の生徒の様子がスクリーンで流されている状況で、リアクションはできず、合格発表の画面をスクショして、妻にLineで送付して喜びを分かち合う。
こうなると1日午前のA学園女子の合格も気になるところ。余勢をかってA学園女子の合格発表をチェックすることに。こちらも合格者の番号を自分でスクロールして見に行くスタイルであった。娘の受験番号を確認し、合格者受験番号一覧を見ていくと・・・あった、合格!!この合格は、本当にうれしいもの。毎日おそくまで教室で質問に答えてくれていた先生方の顔が自然と思い出され、感謝の念とともに思わず眼がしらが熱くなるのがわかる。でも、周りは相変わらずD女学校の生徒の様子を流している静まり返った待合ホールであり、喜びを表すこともできず・・・。席を立ち、ホールの外に出て、すっかり日の暮れた空をみあげつつ、中学受験の大きな山を無事越えられたことに感謝する。その後妻に連絡を取り、娘には帰宅後に自分で受験番号をチェックさせるまでは何も言わないこととした。
やがて試験が終了し、校庭で娘と合流。受験番号の下一桁ごとに解散になるということで、全体の中盤ぐらいで合流できた。最寄り駅までは人でごったがえすことが予想されたので、タクシーで帰宅することに。
そして帰宅後ちょっと落ち着いたところで、自分で結果をチェック。まずは第一志望のA学園女子から。緊張しながらHPをみて自分の受験番号を見つけると、娘は飛び上がって喜んだ!「やったーやったー」と飛び跳ねて喜んでいる!!会心の笑みとはまさにこの笑顔。妻とも抱き合って喜んだあと、「そういえばB学園はどうなった?」と娘から聞かれたので、合格者受験番号一覧を差し出し、自分で受験番号をチェックさせる。ややあって自分の受験番号を見つけた娘はどこから出てくる声なのか「ギャー」と叫んだあとでうれし泣き!!こういっては何だが、本人にとっても(親にとっても)まさかのB学園への合格であったので、喜びもひとしお。
その後、日能研の教室へ連絡を入れ、合格をいただいたことをまずは報告。先生からもねぎらいの言葉をいただき、娘もご満悦。
喜びいっぱいで家族みんなで夕飯を食べて、この日も早めに就寝。3日はA学園女子の第二回受験を予定していたが、不要となったことから、4日以降の受験の方針についても午前中に決める方針とした。
・2月3日
2024年2月3日午前7時起床。娘と共に、2日に受験したE女子学院とD女学校の結果をチェックする。午前中受験したE女子学院は・・・合格!E女子学院は受験番号を入れると合格かどうかが画面にすぐに出てくるスタイルであり、すぐに結果がわかった。こちらは手堅く合格をいただく。次に午後受験したD女学校の結果を続いてチェックすると・・・残念、不合格。こちらも受験番号を入れると合格・不合格がすぐに画面に出てくるスタイルであり、残念ではあったが、第一志望のA学園女子、第二志望のB学園の合格をいただいているのでさほどショックとはならず。
ゆっくり朝食をとったのち、4日以降の受験方針をすり合わせる。第三志望のC高校中等部については、志望順位は第三なるも、理科系教育内容の充実と雰囲気のよい環境を本人も気に入っていたので、ご縁があったら進みたい先でもあった。受験するなら今日3日中にWeb出願する必要があったので、出願要否を話し合う。結果としては、第一志望・第二志望の合格をいただいたのでここで受験は終了することに。3年生の2月から日能研で始まった旅路もこれで一区切りとなった。
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- 今後も寄せられたドラマを、各カテゴリーに随時アップしていきます。