※この記事は、保護者の投稿内容の一部を抜粋して掲載しております。
「2021年2月5日、入試五日目の朝」
その日の天気は晴れ。まだ朝の目を覚ますテレビはつけてはいないがラッキーカラーはきっと青色なのだろう。窓の外は空の色だった。空気を吸い込むと充分に寒い。私が知っている2月の空気だ。閉めることの無いカーテンからのぞき込む。カーテンを閉める時は、きっと全部の為すべきことが終わって、安寧の朝を迎えたい時だ。
昨晩から今朝にかけて眠れたかどうかではなくて、眠らないことが気持ち悪いくらいに慣れてしまってることに目眩がする。何日にわたって睡眠をまともにとれていないのか。そして、目覚まし代わりに使っているスマホのアラームが、私より寝坊してその体を震わした。
彼、すなわち息子が眠る寝室を訪ねる。
まだ起きるような気配をしていないところを見ると、どうやら息子はよく眠れたらしい。大した神経だ。尊敬するぞ。きっと大人になってもその図太さは最後の最後で活きてくる。成功した人間の条件棚に列挙されている要素の一つである。鈍感力ともいう。
そっと起こしても起きないのは判り切っているので、はじめから威勢よく叩き起す、なんてことはしない。
起こし方は、振り子のように揺れるブランコと一緒だ。だんだんとこぐスピードを強める。
疲れてるのだな、疲労のピークはとっくに過ぎている。だからこそ、ゆっくり漕ぐように起こす。その姿は非情な悪魔なのか、それとも親としての優しさなのかはわからないが、すぐに起こすと、ここまで耐えに耐えて運ばれてきた大切な何かが、その勢いで壊れてしまいそうなのだから、とにかくゆっくり起こす。そうすると、自分の為にすべきことを知っている少年は、その為にすべきことの重要性を知っているからこそ、目を開けて、しっかり今の布団の居場所を確かめて、枕元のメガネを手に取りいつものメガネの少年となる。
数週間前から私は息子と寝室を取り替えている。別に私の寝床が良い匂いとかクッション性が高いとか、そんな父性的な理由ではない。そもそも私は厄年を迎えた男性だ。匂いなんか好きになれる人は一人もいない。ただ、息子は世界で一番の愛をくれる存在の隣で眠りにつきたいのだそうだ。
小学6年生は12歳だとかという年齢は偽りだ。受験生だからしっかりしているとか、それもガセな情報だ。
せいぜい、四捨五入すれば10歳である、程度の目印だろう。
私の少年時代と比べても仕方の無いことだが、彼は私の感覚的には幼い。決して弱いと言ってる訳ではない、少年と大人はどちらが立派か?というような本質のない問いと何ら変わらない。単純に今は幼い。
だから、親に甘えるとか、寝床を近づけるとか、そんなことが必要ならいくらでも与えるべきだ、と最近気づいた。どうせいずれ大人になるのだ。今だけだから。
眼鏡をかけた少年は、隣に愛すべき母親がいないことに気づく。
妻は、すでに起床して1階のリビングに居たのだ。普段見慣れない服を着ていた。
ラッキーカラーの色に合わせていたからだ。ちなみに青色は昨日のラッキーカラーだったらしい。
私の占いは大いに外れた。さすがに昨日に続いてて2日連続で同じ色を出す占い師なんて聞いたことがない。
色はおぼえていたはずなのに、気が付けば同じ色を口ずさんでいたのだ。私はこういうところが抜けている。
自分でもトンマだと思う。
妻のコーディネートにふと目を戻すと、服装だけでなく、ハンカチや小物アイテムにもカラーに気を配る。すがれるものはすがる。徹底してる。実際に入試期間中に入ってから私よりも彼女の方が日に日に受験に望む姿勢が強くなっているような気がする。ひしひしと彼女の行動からそれが伝わってくるのだ。
私は息子を受験にチャレンジさせるためのコーチとして3年の間、信頼関係のもと一緒になって勉強してきた。文字通り私も勉強した。大人としての教え方を学んだ、なんて上品な言い方ではない。つるかめ算なんてやったことないから、純粋に中学入試勉強を学んだ。だけれど、その私の努力の結晶はまったく役にたっていない。入試本番は私が学んだ分は全くの「からきし」だった。だから、4日目から妻に託した。譲って願った。妻なら連れて行けると。私たちが片腕を失ってもいいと思えるぐらい、命に代えても手に入れたいと考えてしまうぐらい、切望する合格というゴールテープの向こう側へと。
この日、2月5日は会社に行く日だ。普通にアポを入れてしまっている。断れないアポだった。
客先でもなく、私の会社の上司だ。しかも上司の立場は代表取締役である。
こんなペーペーの私が会えてしまう会社はさぞ小さい企業なんだろうと思いきや、5000人を超える大企業である。今はプロジェクトリーダーを任されていて、社長直下で動いている為、社長が直属の上司になってしまった。
こんなことになるのなら、アポイントを翌週に設定しておけばよかったが、そんなことはどうでも良い。
今は、ただ息子の受験が、3年間の親子の形が、何らかの形として実ることを願う事なのだ。
だから例えば社長への報告内容が多少気まずいものだとかは、本当に些細なことなのだ。宇宙空間の塵のように些細だ。だから社長との打合せは、貯金箱の中の1円のごとく、アルミニウムの冷たくない金属のように手の平の上にひらべったく乗っかる、乗っかったかどうかもわからないような簡単な1円数グラムの用事に思えた。
私は願う。息子の成功を。妻は信じてる。息子の可能性を。そして息子は分かっている。
これが最後のチャレンジになることを。
だから、全員が全力を出す。
会社への出社は8:00だ。この1年ですっかりテレワークも慣れたものだが、この日は社長と会う。
我が家は神奈川県の相鉄線住まいだから、東京の会社に通うには、本当は6:30には家を出たいところだ。しかし、今日はそうはいかない。会社には遅刻する旨は前日に伝えてある。ただ理由は言わない。
私には家族として大切な用事があるのだ。言わないことが、何かのおまじないかのような気がしたし、言うことによって神様に変な言い訳を用意しているようで、とてもじゃないが「息子の人生がかかってる日なので、、、」みたいな邪険な言い訳は言わなかった。
あと10分で妻と息子が覚悟の一日を迎えるため、出かける。そこで私は昨日から用意してあったおにぎりを二人に持たせる。おにぎりは、初日に息子がひと口食べた際嘔吐しそうになった。だからそれ以来一度も口にはしてないが、それでも持たせる。お腹がすいたら食べな、無理だったら残しな。海苔はいるかい?もう、この5日間で慣用句にでもなったような言葉だ。
二人は支度を済ませて出かける準備が整ったようだ。侍の戦に向かう姿とは似ても似つかない、ベンチコートとネックウォーマーで自身の身を温めている。寒いより暑い。暑ければ脱げば良い。そういう寒暖のコントロールは大人には簡単にできても、子供には意外とできないものだ。これも、この受験で学んだことなのだ。だから、厚着をさせる。使い捨てカイロも持たせた。
彼にとっての刀は何なのか。鉛筆なのかな。しっかり削ったのか?何本持ったか?五日目のベテランの侍に聞くのはもはや失礼だ。すでに支度は完了してるのだ。
体温を測る。平熱だ。受験票に記録する。学校によって何も書かなかったり、形式は様々変わるが、この各校の受験方式にもさすがに慣れてくる。事前に検温するのはこの学校だけだ。忘れ物なんかないはずだが、きちんと確認して二人はマスクをつける。この時代はマスクをつけることに、何も感じない。本当に生活の一部になってしまった。
私の大切な家族へできることは、彼らを駅まで事故なく送り届けることだ。駅まで歩いて10分。本当は歩いた方が、脳も起きるし空気も吸えるし、きっとその方が良い。時間は十分にある。それでも駅まで送り届ける理由は、彼の疲労を10000分の1でも、蓄積させないことだ。
この日まで、たくさん歩いたのだし、今日もたくさん歩く。積み重なってこぼれはじめた少年が味わうには早すぎる疲労感は、折り紙のように幾重にも折られ曲げられて、もはや折り鶴なのか紙ヒコーキなのかも判別できないくらい、独特な顔つきをした表情に浮かび上がっている。
それでも、信じられないくらいに執念の灯火はメガネの奥の二重の奥の、脳髄の中にあると思われる信念の中にチラついていて、それはその折り鶴みたいな疲労感を打ち負かして、表情としては笑顔が優って映し出されている。
本当に私の息子はこの入試期間中に逞しくなったのだ。運転する前にぐっと鼻の奥でこらえるべきものを堪えた。もう、涙は流さない。
まだ、冷たい車中にみんなが乗り込む。エンジン音は乾いている。車は走り出してから気づいたようにエンジンに熱気を伝えようとしているが、そんな車の調子につきあうこともなく、けっきょく会話は弾むことなく、ものの数分で駅に着いた。二人は車から降りて、行く妻はなぜか残る私を励ます。
「がんばってくるね」
私の目は前を見ていたが、妻と息子を見つめ直してこう言う。
「がんばってな」
二人は階段をあがって駅の入口の方へと消えていった。二人が去った車のシートの跡には温もりすらなく、私の口から吐き出された、肺にこもった冷たい空気が車中を淀ました。そして思い出した車は、今頃になって車中を自慢のエアコンで温め始めた。
「がんばれ、、息子よ」
願いは届く。信じれば届く。そう、冷たい空気が声にならずに叫んでいた。
私のもうひとつの大切な家族の仕事は、これだ。
2階の寝室から、ちょっとだけ外出し帰宅した私を迎えるようにパジャマ姿の少女が階段を丁寧に踏んでおりてくる。彼女に普通の朝食を与えて、学校に行くのを見届けるのが大切な仕事なのだ。
目覚めたばかりの私の小学3年になる娘は父親にヤボなことは聞かない。とても気が利く娘だと思う。こういう時、「お兄ちゃんは?」「ママは?」とは決して口にしない。聞いてきたことは、至ってシンプルだった。
「パパ、今日は大切な日だね」
私は気づいた順番に反応する。
「おはよう、起きてたんだね。」
娘は不思議な反応をするように、急かしてくるように聞いてきた。
「ねえ、パパ。今日は大切な日だよね。」
私は、ようやく娘が質問してきたことに気づいた。あいかわらず私はトンマな対応だ。いつもズレてるとか、天然とかバカにされるが、それは私の個性なので、自分の人生の一部として受け入れて認めている。治すことをあきらめたのではなく、共に生きていくことに決めた性格だ。
私は今度こそ正しい反応をする。
「そうだね、お兄ちゃんの一番大切な受験日だね。」
そう答えた私に娘はびっくりしてこう答える。
「ちがうよ、パパとママの結婚記念日だよ。」
私は本当にトンマだ。だから、そう言った娘をただ抱きしめる。
「2021年2月1日、入試一日目の朝」
よく眠れた。布団から目覚ましのアラームと競い合うように抜け出して起き上がる。隣の部屋でもアラームが鳴っている。息子の目覚ましだ。
「5:30、予定通り」
息子を起こしに行く。すくっと起きる。彼の得意技だ。よく寝てよく起きる。目覚めが素晴らしい。いつもと同じ我が息子だ。何も心配ないはずだ。いつもと同じ実力を出し切れば、何も不安はない。がんばれ。
そう、心に繰り返される曼斗羅のような言葉が聞こえてくるくらい、自分を鼓舞する。
顔を洗う。
着替える。
雨戸を開ける。
新聞を読む。
いつも通りだ。そう信じる。
息子はどうだ。私は彼の挙動、言葉、歩き方や素振りまでじっと見つめている。
すぐに、目につくようにその彼の形の異物や突起物を確認した。
とても簡単な幼児向けの間違い探しゲームをするかのように、すっと目の前の我が家の風景を眺めて手に入った情報だ。
いつもの様子とはちがう、どこかの少し隣にいるような彼だった。少しだけ、ほんの少しだけ早回しになったコマ送りのような、そういう早さがあった。そしてすぐに理由がわかった。あせっているのだ。本人は気づいていないだろう。ただ、早口なのだ。
「体温計は?」
「着替えは?」
「ごはん、いらない!」
そうだ、緊張してるんだ。入試本番をはじめて迎えて、平静でいられるものか。そう思った私は、より冷静でいられるように常に笑顔を心がける。
ここが私の仕事なのだろう。親としての、これまで3年間をブロックを高く積み上げるようなゲームを支え続けてきた、そのロジックを享受してきたサポーターである私の役割がまさにこのタイミングだ。私は平静を努め、彼にとってのベストパフォーマンスを引き出すことに徹するのだ。
私は彼にその目的の一つめとしての意図のあるセリフをかける。
「今日は調子よさそうだな。」
こんな言葉で果たして良いのだろうか。我々の準備はだれも遮ることなく、たんたんと進んでいく。
妻がおにぎりをむすぶ。息子の好きな筋子や昆布を具にしてくれる。唐揚げも用意してくれた。卵焼きもある。
今日のスタメンは、投手が息子でキャッチャーは私だ。妻はベンチワークに徹する。
ちなみに、私は有給を2月3日まで申請していた。
私の仕事にはほとんどルーチンはないので、3日くらいは有給がとれるだろうと思っていたし、
私は有給を普段取らないようにしているので、加えてかなり前から職場の仲間には「この日は休みますよ!息子の受験なんですよ!」と、はいはい、とみんなが呆れるように刷り込んでいたので、普通に違和感なく休みをとる事が出来ていた。
ただ、私には大切な日報報告業務があって、それは毎日の新サービスの契約件数の報告を社長にメールするというルーチンだけは残ってたのだ。
有休中にこっそりパソコンを立ち上げて、メールで報告することも考えたけれども、ホワイトな働き方を目指している昨今であるから、それはやめた。代わりに、勇気をだして社長に、中学受験対策で3日間お休みもらいます、とメールにて伝えた。
私は上司への報告は昔から苦手としていたが、この年になって正直に良いことも悪いことも伝えることの大切さを知った。それは私自身が部下を持つようになってから気づいたのだが、やはり報告の一番大切なことは事実を知ることなのだ。そして、それを誰から聞くか、ということ。
やはり、その仕事を全うしている担当者本人からだということ。
そのため、新サービスの開発責任者兼担当者である私が報告することに意味があるの思って、勇気をだして3日間報告できない旨を伝えたら、了解との返事とともに応援のような応援でないようなメッセージが似つかわしくなくついてきていたので、そこは安心した。
社長は憎たらしいくらいに記憶力は良いので、これで大丈夫だろう。
有給を3日にしたが、息子の受験が最上の結果でまとまればそれで足りるから大丈夫なのだけれども、
もし4日目や最悪の5日目で延長するのなら、その時は妻がキャッチャーとして出番を迎えるようになる。
世の中は、コロナ禍による緊急事態宣言中のため、妻の仕事が今はなく、そういう柔軟な対応が可能となっている。
思えば、コロナ禍が中学受験に与えた影響はどのくらいだってのだろう。
私立校に受験応募者が増えて倍率が上がった、みたいな行動予測の話ではなくて、勉学の習熟度への影響を考える。
私の予測としては、3~5月にかけての休講期間中に学力をつけた子供が多かったのではと思う。
シンプルに家にこもる時間が増えたのだから、そうなのだ。
我が家にとっては、私のテレワーク生活がプラスに作用したと思う。
息子の監視役として勉強が進んだのではなく、我が家の受験体制が私と息子の二人体制で進めると3年前に決めたことが、今となっては息子の応援団として、時にはわからない問題に答えたり、時には家で仕事をしてる横で彼が集中して問題を解いていたり、と、彼が勉強を促進できる環境が、父主導の受験体制にとっては、たまたまコロナ禍によって少しプラスに作用したのだ。
妻が笑顔でこれから駅に向かう我々を見送る。なぜか塩を振りかけてくれた。清めてくれたのだろう。
私のカバンはパンパンだ。おにぎりに加えて、念の為の上履き。寒さよけのひざ掛け。
待ち時間に勤しむ会社のパソコン。そして、私たち親子の絆のグローブとボール。
私たちの入試の戦略はこうだ。
一日目に、本命の逗子開成中学(一次)と、併願校である山手学院を受ける。
二日目に、二次志望校の鎌倉学園(二次)を受ける。この時点で、一日目の結果が出揃う。
もし、一日目の二校が落ちていたら、二日目の午後は再度山手学園のB日程を受ける算段だ。
そして、もし本命の逗子開成が合格してるなら、三日目に憧れの浅野学園をチャレンジして入試日程を終える。少なくとも、二日目までの三校四試験の一つぐらいは受かるつもりで臨んでいるのだ。
息子の偏差値は決して低くない。9月以降の模試結果の平均は55だ。最高で60。なので、偏差値59の逗子開成は射程圏内だし、鎌倉学園は合格する自信があった。
逗子開成は問題のレベルはとても高い。はじめて10月に過去問にチャレンジした時は、まったく太刀打ちできなかった。
対して鎌倉学園は、相性が良かったのか過去問の成果はとても良かった。確率的には5回受けて4回は合格点に到達していた。
逗子開成と鎌倉学園の問題の傾向は、まずは社会の難易度が違った。
逗子開成は、癖のある問題で、とにかくさまざまな文章を、がさっと団子にしたような設問を用意してきて、いま、地理を回答したと思ったら、次の問では歴史を聞いてくる。そして、次は公民を聞いてきて、また次は地理に戻る、そんな回答構成になるため、回答者のやる気を削ぐ。難易度が高い所以だ。解けたとしても時間切れを狙ってくる、そんな玄人向けの社会教科。
対して、鎌倉学園は地理、歴史、公民の順番にスタンダードに問題を用意しているのでとっつきやすい。
ただ、息子の一番の得意科目は社会なのだ。平均で偏差値は60を超えている。
そのため、いかに社会でミスなく稼いでリードを広げられるかは重要なのだ。
国語は、今ではすっかり確実に平均点を稼げる科目となった。
問題の質は違えど、そんなに慣用句や漢字、敬語に重きを置かず、文章読解を大事にする傾向はどちらも同じだ。そのため、大勝もないが大負けすることはない科目。それが国語だ。
理科は、二校の傾向は全く異なる。逗子開成は、とにかく試験ごとに傾向は様変わりするのだ。
そのため理科のような範囲の広い科目では、点数の取れる時と取れない時の差が広がる。
息子は良くも悪くも、私と同じく物理系が苦手なのだ。もう、滑車問題が出ないことを祈るしかない。
そして、計算問題も。
対して鎌倉学園は、とにかく暗記系の出題が多く選択問題ばかりなので、逆に高得点が狙える。
算数は、鎌倉学園は逗子開成よりある意味難しい。逗子開成は、途中点を稼げる仕組みになっており答えが導かれきれなくても、計算の格闘した跡が見て取れれば実は途中点が取れる。対して鎌倉学園は完全回答に限られる。そして、難易度はおなじくらい。
逗子開成は、問題に恵まれれば30~50%の確率で合格すると思っている。チャンスは一次が一番可能性が高く、二次試験、三次試験になるごとに倍率は高くなるため、初日の一次試験に全てを注ぎたいくらいだ。
鎌倉学園は、算数で失敗しても他の科目で十分に挽回できると思っている。それくらい問題と息子との相性が良い。
二日目の二次試験での合格確率は75~85%ぐらいと踏んでいる。
山手学院は過去問で100%の確率で合格点数を突破していた。まずは安全圏の範囲内だ。いわゆる併願校に設定している。
息子は男子校を希望しているが、併願高に合致する良い併願が見つからなかったので、授業の質と進学率が高いと言われるこの学校を選択したのだ。
あとはメンタルマネジメントが当日普通に整えば、まったく不安のない入試日程になるはずだったのだ。本当にそう思っていたのだ。だからグローブは、そんな気晴らしに使いたかった。
「では、言ってきます。」
絶対合格するんだ、そういう気持ちが息子よりも大きな声で、彼の出かけの挨拶をかき消すように上塗りしてしまった。
そして、まだ暗く道のりの先が見えづらい道路のアスファルトの上を月曜日なのに履いているスニーカーが踏み出す足音が、ダメ押しのように息子の決意の音を締め出した。世の中は暗い。朝6時は日の出前だ。
「少し家を出るのは早いかな」
歩き出した息子は心配そうに私に声をかけてきた。
月曜日はリサイクル資材の回収日なので、ゴミ捨て場にたんまり溜まったビール缶の空き缶が入ったゴミ袋を握りしめたまま、私は応えた。
「早い分には問題ないよ。」
「そうだよね、一本早く電車乗れるかもね。」
息子は安心そうに返事を返した。
私はゴミ捨て場に握りしめたままの鬱憤を追い払うかのように、捨ててきた。
先週はいっぱいアルコールを飲んでしまったなと思ったのもつかの間、ふと、心配になった。
ほかの大切なものを同時に捨ててしまってないか。
しかし、足早に歩く息子を追いかけるように、捨てたゴミをあさり出したい気持ちを押さえ込んで、歩みは止めない。このまま勢いよく駅まで向かおう。
息子と一緒に学び続けた、3年間を信じよう。空を見上げる。もう、東の空はそこまであかりが届いてきている茜色だった。
「ほら、ごらん」
指をさして息子に促したが、返事はなかった。ただ、息子の目線を追う。
たしかに駅へ向かう遠くの明るい空気を見つめる瞳に、迷いなんてどこにもなかった。
ようやく寒さに気づいた素肌の手のひらは、自分のジャンパーの中にしまってあった手袋を見つけ出すとともに、騒がしいスマホに触れた。スマホのアラームが震えていた。
月曜日はいつもなら会社に行く日だ。だから、定時の起床時間である6時から震えてたが、厚手のジャンパーがそれを気づかせてくれてなかったようだ。
そっとアラームを消し去って手袋をゆっくりはめる。代わって戦いのアラームが心に鳴り響く。証明してみせるのだ。息子と共に。
「2021年2月1日、入試一日目の午前」
いつからこんなに冷える体になったのだろう。昔は、よく街で有りふれた姿、冬の風物詩と言っても過言ではない半袖少年とは、それは私のことだった。
寒さにはめっぽう強かったはずなのに、1月の埼玉受験に行った際、4時間ほど体育館の待合室で息子が受験してる間、バスケットやバレーボールをするわけでもなく、ただ冷たい板の上でひたすら体を温めるでもなくじっとして、少しの使い捨てカイロだけを頼りに我慢大会を行っていたが、まったく耐えられなかった。
例年であれば、体育館を閉め切ってくれたのだろうけど、コロナの影響で換気は常に行う必要があり、扉全開の中で体育館の隅に臨時で設置された4台の石油ストーブは、周囲1mを温めることしかできなかった。
何度も来なれた逗子開成中学に到着して、受付をそそくさすまし、本人確認と体温確認が完了したら、別れを惜しむでもなく息子は受験会場のある校舎へと消えて行った。
日能研全国公開模試の会場としてすでに二回、説明会での訪問で一回、本日は通算四度目の逗子開成なのだから、そういうドキドキ感はなかったのだろう。
去り際に気合を入れるための言葉とスキンシップを少し交わしたが、効果はないのだとはわかっていた。
この後、保護者はなすすべもなく、待合室で寒さとの戦いを強いられるのだ。子どもたちへの祈りは通じず、ただ待つのみ。石の上にも三年、いや、まな板の上の鯉が適切だろう
保護者待合室は、記念ホールだった。体育館よりかはいくばくこじんまりしてるせいか、埼玉で味わった強い寒さはなかったが、席に着いてみるとやはり冷えは地面から伝わってくる。今回は、ひざ掛けを用意してきたので早速試す。かわいいアニメキャラクターの膝掛けなのだが、こういうかわいいのは使いたくない!という恥じらいは、大人になって消えてしまった感情のひとつだ。
大人になると、それまで親と一緒に並んで外を歩きたくない、みたいな思春期の感情なんかなくなるし、寒さへの耐久性もなくなる。そして、ダサ可愛いものでも使うことへの恥じらいも消えさる。
様々な心の中と体の中の大事な何か事柄を消え去っていくことが大人になることなんだとさえ思えてくる。
そう言えば、逗子開成に向かう道には、たくさんの受験生とその親御さんがたくさん並んで歩いていたが、親を毛嫌いしている少年少女はいなかったことを思い出すと、まだまだ子どもなんだと再確認する。
それほど、受験までやってきたことが子どもっぽくないことの連続なのだから、無理もない。何でこんなに勉強させても、抗わずそれに猛進しているのかは、大人以上の努力と胆力を身につけている証拠だと、受験生に対して思っていたからだ。だから、やはり彼らは子どもなんだ。そしてもれなく我が息子も、子どもだ。ここまでの道すがら歩いては吐き出される白く温かい吐息がまだまだ、可愛かった。
ふと、足元から太ももまで味わったことの無い温もりが心臓まで伝わってきたことに気づく。やはりひざ掛けを持ってきて正解だ。
妻からスマホにメッセージが届いている。息子の心配する内容や、今のお互いの気持ちなどが綴られていた。
あわよくば仕事をしてみようとパソコンを持ってきてはいたが集中することができず、とてもパソコンを開く気すら起きない。妻も同じような感覚らしい。洗濯物もすぐ干し終わってしまったそうで、何をしてよいかわからない。
私は、息子のここまでの道中についてメッセージを送ったが、妻に不安をかけないように少し省いたり、少し脚色したりして送った。
「笑顔で電車に乗ってきたよ」
「おにぎりは食べなかった、食欲の問題かな」
「去り際に背中叩いて、気合い入れてあげたよ」
妻はそれに対して反応をさけるように、息子への応援と神仏への願いのような言葉を返してきた。
息子の様子は、道中は決して良くなかった。息子は電車に酔いやすい体質だ。
車でも電車でも、長時間は、ちょっとつらい。
平日の朝の電車だけれど、緊急事態宣言中ということと、下り電車だという甘い考えから、きっと座って逗子駅まで行けるだろうと思っていたが、横浜駅からの京急線はそんなに甘くはなかった。
つり革にしがみつき、揺れながら顔色から表情が消えていく息子を私は肩から支えることしかできなかった。
金沢文庫で乗り換えた頃には、すっかり気分は悪くなっていて本調子とは程遠い状態になっていたようだ。
乗り換えてからは少しでも気分を回復させるに努めようと、二人で外の景色を眺めた。車内にはパラパラと同じNのカバンを抱えた少年や、母に連れられた少女が多くいた。
みんな同じ「ゴール」を目指してきた仲間というより同士ではあるが、同時に決まった数の椅子取りゲームを競う敵でもあるのだろうけれど、中学受験をこうやってやり抜くと決意して、ずっとがんばってきた息子や息子の仲間たちを見てきた私としては、そして一人の親としては、どうしてもやっぱり他の受験生たちのまっすぐな背中に抱えるカバンの重さを褒めたたえて、心から声援を送りたいという感情しかわかないのだ。
妻からのLINEがポツポツとくるが、私はそれにポツポツと返信をする。
しばらくすると、妻はじっとしてても辛すぎるそうで、思い切ってスポーツジムに行ってくるそうだ。とても大胆でびっくりしていたが、そういう所が私は大好きなのだ。
ようやく、息子の受験が開始する時刻になった。
「がんばれ」
何度となく口にしてきたこの4文字の言葉が、今になって無性に怖い。何か、叶わないおまじないの言葉のようなフレーズに聞こえてきた。それでも、そっと隣の人に聞こえないように唇だけ動かす。
待っている間、学校から徒歩3分の海に行ってみた。逗子開成の最大の売りは海洋教育である。
水泳をずっと習ってきた息子にとって、この学校には本当に惹かれた。運動神経は決して良くないのだが、水泳だけは人並み以上に泳げるので、彼の良いところを伸ばす意味でも逗子開成という学びの場は彼にあっていると思っていた。
海の上に淀んでいた曇り空は、冷たい空気を海と挟むかのように圧迫感を感じさせていた。私はそのプレッシャーの中、朝に食べられなかったおにぎりを口に運ぶ。座らず立ったまま。食べることは気力をつけること。だからこのまま食べないと受験期間に負けてしまうから、きちんと体力をつける。
とても美味しい。けれども、慌ててまた口に運び、そしてマスクをしては咀嚼を繰り返す。ずっとこの浜辺にいてはならないような脅迫をうけているようだった。
「あたなの息子さんは今がんばっているんですよ」
「おにぎりも食べられなかったんですよ」
「親御さんはせめて待合室にいるべきなんですよ」
「おにぎり食べられて良かったですね」
そう誰かと誰かが頭の中で思いをめぐらせてるうちに、雲の上の太陽を見るまもなく、あっという間に私の足を学校へ向かわせていたのだった。
どれくらい待ったのだろう。途中手持ちぶたさに何度も御手洗に足を運んでみたり、スマホをいじってみたりしたが、何の解決にもならず、どちらかと言うと頭の中で今後のスケジュールの想定パターンを想像していた方がかえって楽なことに気がついた。
スマホの中の時計をのぞくと、10時を過ぎたところだった。
まず、このあと一つ目の入試が終わる。
彼を迎えに行く。
次の港南台駅から徒歩15分の山手学園の入試開始時間は16:00だが、逗子開成の終了時刻は12:45だ。
かなり時間が空くから、その間はリセットタイムだ。例の秘密兵器を使おう。
そして海で、妻で作ってくれたおにぎりと唐揚げと卵焼きを食べよう。
それが終わってからゆっくり港南台駅に向かう。
午後の山手学院は2科目だから、息子にとっての負担はいくばくか軽くてすむ。
午後入試が終わるのは18:30か、遅いな。帰ったら20:00前か。
お風呂入って、夕飯食べたら、息子は眠るだけだな。
私と妻には、23:00から今日の山手学院の結果発表がWebからわかるから、それを見てから眠るつもりだ。
山手学院が合格だったら、明日の山手学院B日程はなし。午前の鎌倉学園二次試験のみで終わり。
もし落ちていたら、明日の朝の9時に発表される、今まさに息子が受験中の結果次第で午後の山手学院B日程を受験するかしない。
ちなみに、逗子開成は、2月1日の本日の一次試験の他に、2月3日の二次試験、2月5日の三次試験まで、チャンスは三回ある。
ただ、あとに行けば行くほど、倍率は上がっていくため、できれば今日の一次試験でなんとか合格をもぎ取りたいのだ。それは本人も私も、そして妻もよく理解している。
そう、何度も何度もシミュレーションしてきたことを、また頭の中でなぞる。パソコンソフトをつかって作り上げたシミュレーション表を印刷してきたので、それをおもむろに手帳から取り出し、書き込めるよう平らな手帳の上に乗せる。
まるであみだくじのような、枝葉が別れた姿を真横に記したパターン表だ。
この学校が受かったらこの学校を受験する、落ちた場合はこの学校を受ける、みたいな分岐点だらけの表だ。
さも、これまでの社会人生活で培ってきたパソコンスキルを、誰にプレゼンするわけでもなく、自分自身の頭の中の整理をするためだけに、そして万が一の間違い(受験時間の間違い、合格した場合の振込期限の間違い、など)を無くすためのアウトプットとしての確認表として作られたそのパターン表、いや、あみだくじ表でもはや良い。それを左から赤字で進んだ日程分までなぞる。まだ一つ分しか進んでいない。
今日の逗子開成が合格すれば想定Sパターン。最良の結果だ。もし落ちればAパターンとなる。ただ、落ちる確率が高い以上、落ちたとしても、それは辛いことだけど必要以上に落ち込まないことを覚悟するためのあみだくじ表なのだ。
私のメンタルはこの薄っぺらい紙一枚で支えられるほど、ペラペラとしている。柔軟ではあるがか弱すぎる。
今、落ちたことを頭の中に想定したことが、まるで日本古来からこの列島に住まわれる神仏に気づかれていたとしたら、それをまるで「貴様の願いはそれか」と、勘違いされてしまって、「願いは叶えた、一年後に会おう」と決めゼリフまでしっかり言われてしまっては、息子や妻に会わせる顔がない。
「聞いたわよ、願ったのね、この人でなし」
「そうだ、僕が落ちたのは神様にパパが願ったせいだ」
私は慌ててこう言う。
「ち、違うんだ聞いてくれ。願っていない。ちょっと落ちたことを想像しただけなんだ。」
「私たちは、落ちる可能性なんて一粒も考えていなかったわよ」
「僕は絶対合格する点数は取れてたはずだ!」
二人は犯罪者を見る目で、非難している。
「いや、落ちるなんて思うわけないさ。受かっていると信じてたけど、万が一落ちた時ショックを受けないために、強めにイマジネーションしてただけなんだよ。」
妻はダメ押しのように、深くあからさまに聞こえるようにため息をついた。
「それを願うって言うのよ。」
「パパ最低だ!僕の合格をかえしておくれよ」
泣き出した二人を背中に私は逃げようとしたら、2階から隠れて聞いていた妹が突然現れて、「パパ大っ嫌い」そう蔑まれたのだ。
最後に願いを叶えたと言い張る龍の形をした神仏が出てきてこう言った。
「人間とは不思議な生き物だな。自らを苦しめる考えを頭に巡らすとは。それは自業自得である。」
謎のお説教をいただいたところで、私のシミュレーションは終わることを選択した。
落ちる想像はよくない。でも紙っぺらのメンタルに穴が空いても困る。早く、受験よ終わってくれ。
スマホの優秀な時計は10:06を刻んでいた。
ため息の大きさなら妻には負けないつもりなのだが。
保護者の皆さんもさぞ同じ気持ちなのかな。周りを見渡すと、みんな優秀なスマホの中の時計を覗き込んでいた。
終わりの時間が待ちきれず、終了時刻の10分前には待合室を逃げるように立ち去った。
当然ながら外の方が寒いが、情けないかなただ待っている方が辛い。
少し安心した。私よりも辛くせっかちな人は一人二人ではなかった。群衆となってお父さんとお母さんがすでに校門近くに陣取っていた。
学校の関係者らしき方が、「道路にはみ出さないでください」とか、「公道のため学校の敷地内に下がってください」などと、まるで小学校の先生のように大人たちを正す。
自分が道路にせり出していないことを確認してから、その大人たちを視線で見つめる。さすが先生だ。相手が小学生だろうと大人だろうと、指導する達人だ。
あらためて大人達をみて思うのは、お父さん方の比率の割合だ。塾の保護者会とか、学校の平日の行事なんかもそうだが、本当に父親の参加率というものはとても高い。半分とはいかないまでも、3割は間違いなく男性だった。
今や専業主婦が少なくなった時代だ。平日の月曜日のこの日は、母親だって仕事をしている。父親が参加するのは至極当たり前だ。
私は、参加したいからしている。中学受験はそれほど楽しい一大プロジェクトなのだ。そうだ、楽しい。
愛すべき息子が、もうまもなくすると親を毛嫌いする思春期少年となる。その、臨海線の最後のひとときの数年間を、一緒に二人三脚で走り抜ける。転んでも立ちあがり、泣いても笑い直して全速力て突っ走り、そして最後のゴールテープがもうみえている。トラックに帰ってきた最後の一周は、絶対に妻には渡したくなかった。
試験から戻ってきた息子の目は私を求めていた。
「2021年2月1日、入試一日目の午後」
マニュアルというものは必ず存在していて、車の運転方法から、恋のテクニックまで古今東西すべからず用意されている。
だから、入試本番を終えてがんばってきた息子にかける言葉にもマニュアルがあることを知った時は、これ俺に出来るのか?とおもったほどだが、知っておいてよかった。
「おつかれ、寒くなかった?」
マニュアル通りだ。
「うん」
嬉しそうに応える。
「俺は寒かったぜ、待合室は寒かったよ。」
私の話をしてみるが反応は薄い。やはり試験結果は芳しくないのかもしれない。
私は、用意してあった切り札をいきなり切り出した。
「実はグローブとボールを持ってきてるんだ。時間も空いていることだから、海に行ってやらないかい?」
私は、コロナのテレワーク時代を満喫するためのノウハウとして、昼休みに息子と家の前でキャッチボールをすることを覚えた。息子はキャッチボールが本当に大好きで、よくコミュニケーションを心のキャッチボールに例える人もいるぐらい、私はキャッチボールをする度に息子との心の距離感を縮めることができると思っていたし、息子もそれを望んでいた。
だからこそ、この入試期間中にキャッチボールをすることで、息子の見えないストレスを取り除くとができると思って、元旦の誕生日にプレゼントしたばかりの固くて言うことの聞かないグローブと、何年使ったかわからない古びたグローブと、柔らかな野球ボールの代わりとなるテニスボールを2つカバンに忍ばせてきた。
「やらない、絶対に」
息子は即答した。ノーモーションで牽制を放り投げて、私は為す術なくタッチアウトになった調子に乗っていたランナーだ。まさか、本気のノーを返事として返すとは。
そのため、息子の機嫌やモチベーションを保つための着火剤や保温剤として用意した厚手の革で仕上がったコミュニケーションツールは、不遇にもほんの数秒でただの荷物へ降格することになった。
私たちは、それから海とは反対方向の逗子駅へ向かって、駅前でベンチを見つけたからそこでおにぎり、唐揚げを食べることにした。本当は広い空と、大きな海と、癒しの波音を比べながら食事の美味しさと自然で、午前中の戦いの癒しをするはずだったが、結局息子の満足気な頬張る口元を眺めていたら、そんなことはどうでも良くなった。
私たちの前を少年と親のセットが過ぎ去っていく。その折々の顔は無表情だったり、笑顔だったり、一見すると入試後の親子の表情なのか、ただの親子連れなのかはわからないが、平日の昼間にこんなに大群の親子セットにはなかなか出会うことは無い。
そんな目の前を通過する人々に、息子とおなじNのカバンを見つける。意外とシンパシーを感じない。やはり他人は他人なのだ。
そんな、忙しない逗子駅の雑踏の中から私たちは食事の終わりとともに抜け出し、次の目的地である港南台駅とその先の山手学院へ向かうことにした。
ただ私の頭の中には、食事中に聞いてしまったあるセンテンスがこびりついた。
私はやってはならないことをしてしまっていた。食事中にマニュアル違反を犯してまで息子から聞き出してしまった、「社会と理科が難しかった」という、聞きたくなかった負のアラートのセンテンスを頭の中で静かなサイレンのように鳴り響きながら、午後の戦いに向かうのだった。
ちなみに、マニュアルにはこう書いてある。
「入試期間中には、絶対に親としては子どもの試験結果については聞いてはいけません。
子ども本人が一番結果についてはわかっているので聞かないように。大切なのは次の試験にいかに気持ちよくモチベーションを高められるかだから、親としては終わってしまった結果については聞く必要のないことだと割り切りましょう。」
いとも簡単にマニュアルを破ってしまった私はまったく仕方の無い親なのだ。ただ、それほどまでに、早く合格という安心材を持ちたいぐらいの、手すりのない風に揺られた吊り橋の上に私も立たされているのだ。とにかく拠り所が欲しい。
1時間早く港南台駅に到着した私たちは、喫茶店でお茶をしながら時間を埋めた。何もすることはないので、漢字語句をテキストから出しては息子に答えさせる。何時間の感覚の中で1時間は亀の歩みのようにゆっくりと過ぎた。
息子が、外部の試験会場に訪れる際、そして試験会場の最寄り駅に降り立った時に、そして初めて行くべき口癖のようにいつも言う言葉がある。
「人の流れについて行けば、試験会場には絶対着くから。だから、調べなくて平気だよ。」
案の定、港南台駅からへゆるい上り坂を何人もの受験生と見られる子どもたちが、その坂の上の方角に向かって歩いていっている。
「ね、あっちだよ。早く行こう。」
喫茶店で人生の全ての待ち時間を使い切ったくらい待ちわびた息子は、喜んで人の流れにつられて行く姿勢をとっていた。私は、説明会で一度訪問していたが、特にそれを自慢することなく息子と流れに従った。
思えば、今年のコロナによって、たくさんの受験生はまともに学校訪問することなく、受験本番に望む人もいるのだろう。だから、港南台を初めて歩く息子、校舎をのぞむ大きな校門を潜る息子、校舎内で寒さをしのぎながら長い上り坂を足早に登る息子、どの姿も頼もしく嬉嬉としていた。
まったく、一次試験の状態から上手く気分を好転させたものだと、本当にそう思っていた。だから、午前中に受けた逗子開成の一次試験がダメな結果に終わっても、この山手学院はきっと受かっているだろうし、この入試結果の弾みをもって、明日の鎌倉学園を受験することが出来るかもしれないと、そう期待する私がいた。
それにしても、男子校を希望するわたしたちにとって、このような共学校には当たり前のように小学6年生の女子がいた。それは私たちがその場所で似つかわしくないものが自分たちなのだと思わせるような華やかさを感じさせていた。
それから間もなく、焦りとも違う、妙な窮屈感を肌に感じながら、私は試験会場へ向かう息子を精一杯に勝利の念をテレパシーで送信し、その後ろ姿を見送った後に、保護者待合室に仕立てられた体育館へ逃げるように向かって行った。
山手学院の特待選抜は、60名の特待合格者以外にも、一般合格者を180名くらい合格させる。特待試験の問題は、他のA日程や明日受験するかもしれないB日程に比べると試験内容はやや難しい。
赤本と呼ばれる過去問集には通常掲載されていないのだが、昨年本校の説明会に訪問した際に、昨年の特待試験の問題を学校側が無料で配布していたので知っていた。
その過去問を解いてみたところ息子は特待合格はならなかったが、一般合格ラインには達していたので、普段通りの力を出せられれば、十分に吉報を持って帰れるだけの可能性はあるのだ。
だが、この入試期間初日に様々な受験生を移動中や待ち合わせ中に見てきたけれども、とても博学な雰囲気を醸し出していて、この山手学院を受験しようとしていた他の子どもたちもとても賢そうに見えた。
息子は、このライバル達の中から合格キップを掴み取る事が本当にできるのだろうか。
待合室に座る頃には、午前中と同じ気分に陥り始めていて、不吉な曇り空のような影が私の頭の中を覆い始めていたのだった。
私と息子の性格は似ている部分があって、親子という遺伝子のバトンリレーが精神部分のコピーを生み出したのか、はたまた単純に世の男たちの性格がそういう傾向なのかはわからないが、この入試期間中、とにかく待ち合わせ時間の1時間前くらいには現地に着きたい、という意見は完全に二人で合意していた。
そのため、15:30に到着した私を待っていたのは2教科受験にも関わらず入試後の解散は18:30という、長時間のただひたすら待つゲームだ。コロナによって、試験終了後に集中して解散することを避けたい学校側は、さみだれで解散するところも多いようだ。それは学校側では当然だろう。試験会場や保護者待ち合わせ室の入口にはサーモグラフィーで検温するとことなど、すっかり慣れた光景だ。
いずれにせよ、密を避けることが解散時刻を後ろ倒しにしている事実はたしかにあった。
待ち時間の基本的な過ごし方である、今後の入試スケジュールを想像しはじめる。妻からもLINEがしばしば飛んでくるが、同じ船に乗った仲間である妻からのLINEはひとつも私の事を追い込める言葉はない。
妻とはこの15年間、とても仲が良い。とても仲が良いぶん、たくさんケンカもしてきた。
二人の合言葉は、不満は貯めないで吐き出す事で信頼を高めること。だから仲が良いのだ。そのため妻からのLINEはときたま辛辣であることもある。
辛辣度をはかるスケールは三つある。一つは、文字数の多さ。モノを申したいピークにはLINEの数もさることながら、いつも淡白なメッセージ量が多くなる。二つは、絵文字の少なさ。と言うより、まず絵文字はそのような場合は入らないし、わざとネットスラングを多用してくることもある。三つは、反応の速さだ。とにかく、私がその辛辣メッセージにレスをするたびに、速攻で既読がつく。
本日の妻からのLINEは、辛辣要素三つとも当てはまっていたが、例外的に優しかった。私は、三条件=辛辣だと思い込んでいたが、深刻の方が正しかったのだろう。
山手学院は、入口でコーヒーや紅茶など、数種類のペットボトルの飲み物を用意してあった。こんな優しいことをされたら第一志望校でなくても、思わず入学させたくなるのが人の心っていうもんだが、まずここは遠慮なく頂いておこう。
まだ、少しばかりの経験でしかないが、息子を試験の間にただ待っている間は、暇を持て余すことしかできなかった。私には仕事をテレワークのようにこなすことで埋め合わす選択肢も当然のように残っていたが、やっぱり仕事に気持ちを移りかえることにはとてもじゃないけど、息子の人生をかけた入試を待つ親には代わりとなることでは埋め合わせられないことは、午前中の経験ですっかり分かっていた。
待つ。待つ。待つ。
願う。願う。
妻にLINEする。
この繰り返し。
私はなぜ息子を受験という過酷な環境に追い込んだのだろう。張本人は私だから、私自身が知っていることだろうと思うのだが、やはり前述の通りの答えを頭に思い描く。息子は勉強が好きだから。
だったら、なぜ下の3歳歳が離れた娘を3年生の間から、余暇教室の日能研に通わせ始めたのか。
兄弟割引があるから?兄弟間で依怙贔屓をつくらないため?
ちがうだろう、父親よ。答えは、あるのだな。お前自身は知っているはずだ。
自問自答を、待合室のパイプ椅子の冷たさを感じることなく目の奥で思い馳せては突きつける。
妻に言われたから?知り合いに勧められたから?ご近所の元校長と出会えたから?
ちがうちがう。全てはきっかけにすぎない。
惰性?勢い?そういう雰囲気?
そうじゃない。
プライド?見栄?周囲の期待への親のエゴ?
ちがうって。
わかっている答えなのだろうけど、気づかないように時が沈黙のまま1秒ずつ流れていく。
体育館には、母親と父親が時の刻みを年越しカウントダウンのように数えては溜息に変えていた。
そしてため息を消し去るように、祈る。
早く、子どもたちの入試が終わりますように。
その願いを星に込めながら、パペットのキノピオではないことを我が子ども7たちに問いただす。私たちの子どもは言いなりではなく、自らの希望で受験をしているのだ、と。
全日本人の親に聞きたい。どうして、子どもを過酷な中学受験に誘っているのか、と。
下手したら、幼少期に必要以上のストレスを強いることは虐待である、みたいなことを言い出す有識者もいるのだろう。
みなさんのお子さんはなぜ中学受験というレースに参加されているのでしょうか。
体育館は、そんな空気を少しばかし感じ取ったのか、以前のそれよりかは寒さを感じない暖かな風邪を感じた。
待ち時間は残酷なまでにゆっくりと、のっそり流れている。まだ、試験すら始まっていない時刻なのだ。
そして、まだ一日目も終わっていないことに愕然とし、開いたスケジュール表を眺めると、一次志望の逗子開成が2/5まで三次試験があることを再度、何度目の確認かもわからないくらいに凝視する。
「これ、もし逗子開成が、今日の逗子開成一次試験が合格しなかったら、2/6に逗子開成の三次試験の合否発表まで入試は続くってことだよな。」
私は何度も繰り返し行ったシュミレーションパターンが、現実に入試がスタートしてみたことで、その途方もない距離感にぞっとしていた。
私が想像の産物で描いた42.195キロメートルは、走り始めて、やっと全貌を正しく想像するに至ったようだ。
まだ、初マラソンのスタートから5キロメートル地点を通過したに過ぎないフルマラソンランナーが思い馳せることと似ていることなのかもしれないと、フルマラソンを走ることに全く縁のない私が頭を巡らせてしまうくらい、恐怖を感じてしまうスケジュールに思えてしまった。
まだ初日も終わってないんだぜ。しかも私はただの伴走者だ。疲れはするけど、当事者ではないんだ。なおさら、今日の午前と午後の入試結果に、今更ながら念のような切実な思いを込めてみる。
なんとか初日受かって、早く終わりにさせてくれ、と。
受験は1日でも早く終わりたいものなのだな。学んだ。
18:30になり、外はいつのまにか真っ暗になっていたが、驚くことは無い。それが2月という暦の当たり前の姿だから。
その漆黒の寒さの中で私たち親は、入試一日目の戦いを終えた我が子どもを今か今かと待ちわびる。
やがて校舎の明かりの中から、職員に誘導されて本日の入試を終えた子供たちがぞろぞろ出てきて、親の元へ駆け寄る子、親が見つからなくてキョロキョロする子、携帯電話を取り出して親と話し始める子、たくさんの子供たちがそれぞれ親と事前に約束した方法で、合流をはたしてくるのだった。
そして、私もアナログ的な「ここで集合ね」というシンプルな約束のもと、自分の息子と3時間ぶりの再会を果たす。
おかえり、おつかれさま。
「2021年2月1日、入試一日目の夜」
初日の入試の全過程が終わった息子は、初めて世界ランカーと戦い、しこたまなぐりあってきた第一ラウンドのカウントを聞いたボクサーのように、膝に全体重を乗せた歩き方をしていた。
小学生ボクサーなんて当然聞いたことないわけで、親としてはタオルを投げ込んでこのまま受験を中止させたいくらいの気持ちだが、そんなトレーナーでは真剣なボクサーが浮かばれない。
きちんと、トレーナーの役割を果たすため、気持ちを落ち着かせ、電車のシートに座らせて、駅まで妻に車で迎えにこさせるよう手配した。妻は、駅まで車を出そうと事前に言ってくれていた。もちろん私にではなく、息子のために。
帰路の電車の中で、息子の熱量が入試から平常に移って行くにつれて、今日の午後入試である山手学院の出来具合について自ら話し出した。
「難しかった、特に算数!」
「自信ない、、なー。」
私はその言葉を聞いた時に、試験を終えて合流してきた時の様子から、何となく想像はできていた。
だが、実際にその言葉を聞くとやはり恐怖を感じるのだった。
頭の中で、勝手にシミュレーションが走る。もし、この山手学院の結果が良くなく、仮に不合格になるのならば、それはやはり午前中の逗子開成も厳しいのでは。そうなると、明日の午後に未定であった山手学院を受けることになるのか。出来れば、それは過酷なスケジュールになるため避けたかったけど、それはやむを得ないだろう。
ただ、本日の山手学院が難しかったのは織り込み済みだ。なぜなら、入試そのものは特待選抜試験なので、難易度はかなり高い。だから、私たちは一般合格をねらっていた。仮に特待選抜合格にならなくても、過去実績を見ると一般合格枠のほうが実際はかなりの数を合格させている。一般合格枠でかまわない。だから、なんとかこの初日で白星が欲しい。
そして、この白星の結果は、今日の23:00にわかってしまうのだ。今の世の中の、入試結果速報は、とっても早い。
各校が共通のプラットフォームICTを採用していることもあって、この入試全体の願書提出はびっくりするくらい簡単なのだ。ひとつのアカウントさえ作成すれば、それがそのまま他の中学受験のアカウントにそのまま使える。
例えば、入試に必要な証明写真も同様だ。アカウント作成して、願書提出時にアップロードしてしまえば、そのあとどこの中学への願書提出を提出する際も、さきほどのアカウントで足りてしまうので二度手間がない。こうすれば入力間違いも少なく済むし、同じフォームの特性やクレジット決済などで各校願書提出ができるため、ほんのものの5分で手続きは完了してしまう。
妻からは、証明写真はデータだけじゃなくて印刷もしてもらったほうがいいんじゃない?と言われていたけど、写真館には最低価格のデータ納品だけをお願いしたが、本当にそれで十分だった。願書は全てデータ提出であり、願書受付後に発行される受験票は全てPDFだ。それは、自宅のプリンタから何度も印刷出来る。そこに、写真データがプリントアウトされるという訳だ。
便利な世の中になった反面、きっとこれで受験生へ何校も何校も受験できてしまう体制になっているのかもしれないな、とも感じた。最少で済めば、今回の入試日程は最低4つ。長くなれば7~8校の願書が必要になってくるのだが、今の時点ではなんとも言えないのだった。
話を戻すと、その共通のアカウントを利用しているからなのだろう、入試結果はびっくりするくらい簡単にわかる。
こちらはすでに1月の埼玉校のお試し受験で経験済みで、特定のURLから受験番号と生年月日を入力すれば恐ろしいくらいに簡単に合否結果がサイトから確認出来る。
1月校の結果は不合格だった。入力して結果を見るボタンを押したら、すぐに結果がためらいもなくスマホの画面上に出現する、なんの趣もない非情なシステムとなっている。
自宅に帰ってきた私達は、お風呂場の湯気と熱気を体になじませて、そのまま冷えきった体をほぐすように、湯船に浸からせた。
ため息もなく、ただ単純に体の疲れを風呂のお湯に伝導させたくて、いつもの調子よりも少しだけ長めに浸かった。
お風呂から出た私は、いつものビールの冷たい感動を胃袋に流し込むのだが、今日の気分なのか気持ちなのか、それが普通にその行動を遮った。妻もお酒を嗜むが、同じような理由で飲んでいなかった。
美味しい妻の手料理を食べて、今日のテストをふり返ることなく、息子は寝床に着く。帰宅してから正味1時間半程度だった。
明日の朝も5時半起きなのだから、当然ながらの行動だ。
娘は受験にはまったくの興味がない様子で今日もしつこく叱られるまでスマホでYouTubeを見続けてやる、そんな楽しい夜の時間を満喫しようとしてたので、さっさと叱りとばして寝かせた。
私と妻は、早々に食器を洗い、明日の願書の準備やら持ち物をチェックして、いよいよ本番の合否発表に備えた。本日午後入試で受験した山手学院の特待選抜試験の結果発表のときを迎えようとしていたのだ。
スマホを合否発表のページに合わせる。
受験票の控えをファイルから取り出す。
そして、23:00までの時間を妻と会話しながら繋いでいく。何を話してかは定かではないが、「大丈夫」、「信じてる」と言った、言葉を多く使っていた。
23:00になったが、合格発表ログインのボタンが出現されない。
何度か繰り返すが何も変わらない。
サイト内の案内文に新しい表記が加わっていた。そこには、発表が遅延しており、23:30となってた。妻と、勝手に山手学院のスタッフの皆様の集計作業の苦労を遠くからねぎらってはみたが、30分間の間やることは何も無かった。
二人でまったく目の奥の脳には入ってこないであろう、YouTubeの動画を眺めてみたが、情けないのですぐやめた。ジャンケンゲームをしてみたが5分ともたなかった。
23:30になり、再度サイトに見に行ってみたら、発表がさらに遅れて23:40となっていた。
あと、10分が待てない。ため息を深くつく。妻と話す。話は受験の話しかしない。
サイトを見る。まだ待つ。変わりないサイト。まだ待つ2人。
23:41、ついにサイト内に合否発表ボタンが現れた。
ボタンを押す。
受験番号を入力する。
生年月日を入力する。
結果はすぐに出た。
不合格だった。
不合格。終わり。
いまさっき受験した入試が不合格。無駄に終わった今日の半日。
徒労、無力感、逃げ場のない疲労。
肩と背中にのしかかる、真っ黒な文鎮のような落選というプロセス抜きの結果。
2人は言葉にならなかった。最悪な結果は常に想像してはいたし、不合格自体の無念さや、そのWebシステムの非情なまでの淡白さ加減は埼玉校受験でも味わっていたが、それを何重にも上回る死の宣告のような突きつけられた事実だった。
なぜ落ちた。何が悪かったのか。落ち度がどこにあったのか。
国語の不出来か。算数の難易度が高かったことか。計算にミスがあったのか。
どれも推測、憶測の中で見えなくなる。真っ暗闇の中にむだに手すりを探す。
妻はもっと残酷だ。3年間の勉強のプロセスをあまり見られていない。苦労した息子の姿を目の当たりにしてきたけれど、なぜ落ちたのかは私なんかよりもっとわからない。
ただ、妻はその原因を私や息子には求めず、じっと受け止めているようだった。
私たちの眼に涙は流れなかったが、代わりに心がえぐられてしまった。
不合格になってしまったことはやむを得ないが、この心の奥につきつけられた残酷な「あなたの息子さんは合格基準に達さなかった為に、我が校には不要な人材ですよ」という、診断結果のような刃は、私達は夫婦のこれまで、まったく味わったことの無い存在の否定感という形で、強烈に気力の一部を蒸発させるようだった。
そして、しばらくすると冷静さを少しずつ取り戻す中で、考えなければならない事実。明日、息子へはいつ話そうか。
救いが一つだけあった。それは、本日の帰りの電車の中で、山手学院の結果は翌日の鎌倉学園の入試後に逗子開成一次試験の結果と一緒に伝える、という取り決めを息子としていたからだ。
仮に落ちたという結果を知りながら二日目の試験を迎えるのは精神上良くないよね、という考えに息子があっさり了承してくれたことが幸いした。
だから私達夫婦は、明日に備えて床につくことにしたのだった。もう考えたくない。眠ろう。
私は布団に入り、目を閉じたが心のざわつきは簡単に睡眠には誘ってくれるわけなく、私の中の心配性な何かが、新たな不安材料をこれでもかと、束になって持ってくるのだ。
息子に落ちたという事実を隠しながら明日一緒に笑顔で行動だできるだろうか。
明日、もし逗子開成の合否結果が不合格だった場合、息子は明日の午後入試にチャレンジできる体力、気力は残っているのだろうか。
私はじっとまるまって考えたくないことを考えて眠ることを忘れてしまったかのように、夜の時間を潰すことになっていく。
そして、永遠とも思える入試一日目が夫婦の秘密の悲しみとともに、誰にも相談することも出来ずに終わりを迎えた。
「2021年2月2日、入試二日目の朝」
アラームがなる。意識が朦朧とする中でけたたましく震えるスマホを探すのには時間を要さない。すでに起きていたからだ。昨晩はあまり眠れなかった。気持ちよく眠りたいが、やはり入試の初日の落選結果と、今後の予定がどうなっているかを、やむを得なく布団の中で考えてしまう。そうすると、気がつくと眠れていないのだ。
妻と息子をそれぞれ起こしに行く。入試期間中から何故か私と息子の寝床が入れ替わっている。寝室は三部屋で、妻と私で一部屋、息子と娘で一部屋ずつ。
入れ替わった理由は、入試という特別な期間に息子のメンタル面を配慮して、妻がそばで寝てあげたいのだという。私としては眠りなれた自分の寝床を希望したものの、多数決で決まったので文句言えないが、まったく関係の無い娘まで賛成票を投じたのは解せない。
昨日の朝とはやはり私も妻も気分が違う。外から聞こえる、昨晩から降り始めた冷たい雨音は我が家を湿らせる。初日の不合格という事実は誰にも言えない。息子には約束してあり、2日目の鎌倉学園の入試を終えるまで伝えない事前の取り決めは、息子にとっては落胆させないグッドアイデアだったが、つきそう私にとっては、その湿った気持ちを隠し通さねばならない心に縛られた厄介な鎖のようだ。
ま二日目だ、全ては想定内だ。そう自分を鼓舞した。私達は、今日の二日目までに一校以上の合格を勝ちえれば何も問題ない。だから、今隠している気持ちは一瞬の迷いでしかないのだ。よし。何度も心に喝を入れて、顔を洗う。
昨日と比べて息子の様子はどうだ。洗面所の水で顔を洗い、もう何年も繰り返してるような手つきで入試の身支度を整えている。
その姿はとても頼りがいがあるものだった。昨日よりも落ち着きを取り戻しているのは間違いない、はずだ。
息子は壁に貼ってあった何かの紙に赤色のマーカーであみだくじのように線を引いていた。我が家にはホワイトボードが壁にかけられている。そこには、明日やるべき事、学校からの連絡表、はたまた娘の落書きまで含めて様々な用途がある。
そこに、私が入試前に渡してあったシミュレーション表をマグネット2つで貼り付けてあった。昨日までの結果を赤線で書き足したようだ。まだ、彼は結果を知らない。なので、書き足したのは初日の逗子開成から二日目へ向けた1本の線のみだ。
「よし」
彼が壁に向かって囁いた言葉は、確かにそう聞こえた。
すっかり恒例になった妻のおにぎりをカバンに詰めて、私達は雨の入試に向かう。駅までは車で妻が送ってくれることになった。
「外、暗いね」
息子には冷えた空から落ちてくる雫の束が映り込んでいないかのように、東の空を見て車中から笑顔で感想を漏らした。
「そうだな、まだ日は登ってないね」
私は今日は何かを勝ち取れる、そんな予感を手袋の中の手の温もりからも感じ取った。
妻に送ってもらい、駅に降り立った私は、改札まで向かう歩きがてら、駅に隣接した好立地の日能研に目をやった。まだ人影はない。当たり前か。
息子の背中を守るように、彼のカバンにぶら下がったPASMOを彼の手に握らせて二人で自動改札口を通過する。今日は二人とも気合が違うのか、昨日までの緊張感はない。
そして、二日目の命運を運ぶ電車に身を預けるように、丁寧に相鉄線のレジェンドブルーの電車に乗車した。向かう先は横浜、さらにその先には、いざ鎌倉へ。
電車に揺られながら再び瞑想にふける。この入試にあたっては、最高のケース、最悪のケース、その間の複雑なケース、あらゆるシミュレーションをしてきた。
私たちは昨日の電車酔いの反省を活かして、豪勢にもグリーン車に乗っている。
妻が「グリーン車ってどうやって乗るの?いつも通りでいいんじゃない?」と見送る際に言っていたが、私は息子に自慢げにグリーン車の乗る手順を示しながら、電車の二階席に座り込んでいた。
グリーン車は良い。この時間であれば、確実に座れるし、揺れは少ない。正面を向いて座れるため酔いもしにくい。昨日も初めからこうしておけば良かったと少し後悔した。
私は息子の気分を高めるため、そして私自身の昨日の結果からの気持ちを隠すため、息子と受験には直接関係の無い話をした。世界平和の話やコロナの話や、アメリカの大統領の話や。
ほどなく話も尽きて、お互い物思いにふける。息子は落ち込んでいる訳ではなく、外の風景をながめたり、グリーン車の車中を研究したりしてるのだ。
息子をあらためて見ると、子ども特有の無邪気さからなのか、受験に対する悲壮感は感じられなかった。鈍感な部分もあるのだろう。
そこで、シミュレーションをしはじめた。
初日は簡単なのだ。予定していた二校を受験するだけ。何も工夫はいらなかった。しかし二日目からは異なる。
今日は第二志望の鎌倉学園を受験する。今年でちょうど100周年となる名門校だ。校舎も新しく建て直したばかりできっと通う生徒は気分が良くて学習効果も高まるだろうとは容易に想像つく。緑の中に佇む仏教系の学校、それがカマガクだ。
今日の試験開始時間が8:50からとなり、私達保護者は控え室で待つこととなる。今日の待機場所はおそらく体育館となるだろう。
昨日はただひたすら待つ、という性質のものだったが今日は9:00の昨日受験した逗子開成一次の合否結果によってその後の行動パターンが二つに分かれる。
まず、合格した場合。
その場合は入試のゴールテープが見えたことを意味する。第一志望校の合格だから当然だ。その瞬間、8:50から入試を開始した息子はその事実を知らないまま、12:30まで試験を全身全霊をかけて取り組むことになるが、それが嬉しい徒労と変わる。
試験終了後はそのまま自宅に帰り、翌日の浅野学園へチャレンジ入試するための安息時間へと変わるのだ。
そして、2/3午前に浅野学園を受験して彼の3年間の総決算としてそのままゴールテープを切ることになる。2/4の午前中に発表される浅野学園の入試結果の報告は、またしてもなお立ち会うことなく彼は小学校で朗報を待つことになるだろう。
そうした幸せなシミュレーションを思い描く度、私の鼻頭を熱くさせる一方、不合格だった場合のシミュレーションも頭に浮かべる。
今日の9時の発表で落ちた場合は、まず願書の提出手続きをすることになる。
今日の午後の山手学院B日程の受験手続きと、明日の逗子開成二次試験の願書提出だ。
そして、その後の今日の山手学院の願書を印刷する必要があるためコンビニのプリント機器へ寄ることももちろん忘れない。
そして、二つの辛いことを行う。
一つは、すでに願書提出済みの浅野学園の受験をあきらめること。これは、初めからの自分たちのルールとして決めてあり、初日の逗子開成が不合格だった場合は二次試験と重なるためあきらめる、そういう取り決めだ。
二つは、息子に試験終了後に昨日の結果と午後の山手学院への再チャレンジを告げることだ。
電車はひっそりと静かな2月の雨に打たれながら、北鎌倉の駅に着く。横須賀線の主要駅に挟まれた簡素な駅。無人だ、駅員はあえておいていないかのように、それがこの神社仏閣を抱く古都の駅にとって風格をもたらすかのごとく当然として無人なのだろう。
駅を降り立つと、雨足は変わらず降り注いではいるが、視界や歩みを遮るほどではない。
だから、じっと視線とつま先をぐっと前に押し出して、歩道なのか車道なのか区別がついていない道を歩く。改札を出るやいなや横手には由緒あるお寺がスフィンクスのように大切な駅を守るように佇んでいた。
息子が「いきなり寺!」と言って驚いていたが、寄り道することなく一本道を、同じ受験生の男の子に混じって体を前に進める。
2月の雨は私たちの服に湿りついて足元から冷気を人間の表皮に伝える。肌から漏れ伝わる寒気は体の中へと侵入してきて、そこまできて湿り気はどんよりと体と心の双方を均等に冷やす。どちらか一方ではない、共にだ。
二人はきちんと寒さ対策をとっており、それでも十分寒かったが、手袋が傘の柄をもつ右手を守ることに成功して、行き倒れることは決してなく鎌倉学園の真新しい校舎へたどり着いた。
7:30から開門の予定だったが、乗り継ぎも段取りも良すぎて今7:10を過ぎたところだ。
私は受付辺りで待機して、息子と試験前の歓談を試みたが、やはり昨日の息子とは全く違う。自信や真剣度が違うのではなく、わかりやすいほどリラックスしている。
日能研の優しいスタッフの厳格な戒めのような言葉を思い出す。
二日目までに合格を作りましょう。
この台詞はおそらく100回は聞いた。それでも、響かなかった。私たちには。
いま、に日目を迎えた私たち家族はようやくその言葉の意味を知り、理解しはじめた。
初日はなかなか実力は出るもんじゃなくて、だからこそ階段を登るように、初日に偏差値が自身の持ち偏差値よりも下回る所から受験し、確実に合格することで、その後の試験の合格率を上げやすくなっていく。
私達は、もしかすると初日の入試スケジュールの組み方を間違ったのかもしれない、、、そう理解し始めていた。そして大切な初日は雨の如く排水溝へ降り注ぎ切った雨のように流れていってしまっている。
いや、大事なのは二日目までに一校以上の合格を作ることなことなのだから、まだ今日の二校で無事に合格を作ろう。ましてや昨日の逗子開成もまだ結果はこれからなのだから。そう、一度吐き出したため息を飲み込むかのように鎌倉の冷気を吸い込んだ。
予定時刻の少し前に、鎌倉学園のスタッフの皆様が男の子たちを会場へ誘うように、必要以上の大きな声を出さずに開場の準備が整ったことを発した。
さあ、二日目が始まる。がんばれ、息子よ。今日はきっと勝ちを作れる日だ。
息子には去り際に、帰りの集合場所の確認をする程度で、少しのエールを送り、彼の強い背中を見送ったら、彼は今日も振り返ることなく校舎へ進んでいってほどなく見えなくなった。
私は拳を強くにぎる。決意をにぎる。
もしかしたら、忘れ物を取りに戻るかもしれないというささやかな可能性を残して数分だけ待ったが、息子は戻ってきそうもないので待合室である体育館へ移動することにした。
鎌倉学園はグラウンドである人工芝をまあるく取り囲むように校舎が立てられていて、その一画に体育館がある。今年の受験はコロナ対策としてどこもかしこも窓や扉が換気のために開けっ放しになっている。
だから体育館は寒くて仕方ない。保護者控え室は常に逆サウナのような耐える空間なのだ。
だから、子供たちが入試という真剣勝負と戦っている親にはこれぐらいがちょうど良い。
私は昨日と同じように、席についてひざ掛けを頼りに暖をとる。ここから約4時間の我慢比べだ。
またいろいろ頭の中を巡らす時間だ。
ただ待つ。
ただ待つ。
8:50のスタート時刻になると、息子は入試問題を解き始めるが、そこまですらまだ1時間半もある。
そしてそれがすぎると、運命の9:00、昨日受験した逗子開成一次の結果が出る。
受かれば、入試というマラソンはいきなり目の前にゴールテープが現れる。第一志望の合格だから当然なのだが、今の霧の中にいるさまよいながら歩いている森の視界から全てが晴れて、いきなり国立競技場のウイニングランが待っている。
受かれば、今受けようとしている鎌倉学園は合否を待つこともなく進学しないことが決定するので、息子がこれから4時間近くかけて戦う入試問題が消化試合と変わってしまう。ただ、それを息子に伝えるすべはないので、無垢な息子はただ全力に目の前の問題を解くことになるだろうけれども。
そして、明日の午前に浅野学園にチャレンジできる。過去問で一回も合格基準点に達したことは無いけれど、とにかく私たちの高みの頂点の切っ先に触れることで私達は全てをやり遂げてゴールテープを切ることになるのだ。
息子は元気よく2/4から小学校に通い始めるだろう。残り少ない小学生としての生活、一日でも早く通わせてあげたいのは親心だ。
ただ受かればの話であり、もし落ちることになるのであれば、森の暗闇からは抜け出せない。明日2/3の逗子開成二次試験を再度チャレンジして、合格発表のある2/4までは入試を受験し続ける。
天国と地獄、ゼロサムゲーム、のるかそるか、何と形容して良いかわからないくらいの一か八かの人生ゲームのサイコロを振らされている、そう全くもって笑えない冗談めいたことが私たちの身に迫ってきているのだ。
心臓や脈がドクドクしてくる。
足元が体育館の板張りを踏みしめていないような感覚を覚える。
こんな感覚はいつ以来だろうか、自分の大学入試でも味わなかった緊張感だ。
大学入試は当事者の覚悟の受験であり、金銭面を除けば100%当事者であるその人間の受験だと、今はよくわかる。だから責任は全て自分にあるし、受かった時も落ちた時も覚悟はできる。想像もしやすい。
私もかつて第一志望校に合格発表を待つ時を思い出したが、発表よりも先に分厚い書類の速達が届いてしまい、緊張感を味わうことなく結果を知ってしまったのであまり緊張感は感じなかった。
今、この瞬間はどうだ。自分の責任範疇を超えて、私が関与できる部分は何も無く、戦っている息子を合格点に達するための支援策はもう何も無い。祈っても何もプラス要素に働かない。ポーカーや競馬のような他力本願の極みのような待ち時間だ。
ポーカーなら交換したトランプをめくる瞬間の、エースカードよ来い、という祈り。
競馬なら出走した競走馬が最終コーナーをまわって、抜け出せ、という祈り。
もう、私に出来ることは何も無い。だまって結果を受け入れるのみ。
思えば、子どもを学問へ促し、知識の泉に誘い、誉めて誇りをもたせ、時には騙し淀ませてきた。
本来の子どものあるべき姿は、わんぱく、ほがらか、すこやか、こういった姿からは遠いのかもしれない。
でも構わないと誓った。息子も喜んで、そして時には悲しんでついてきた。後悔は一つもさせていない、という自信はある。
息子だって、親の心と自身の子どもとしての欲望と戦ってきたはずだ。
宿題をさぼり、少しと言ったはずのゲーム時間ははるかに超えて遊び尽くしたり、またある時はYouTubeから流れるゲーム実況を果てしなく見続けたりした。親の信頼を無垢に抗い、時には嘘をついてまで裏切ったこともある。彼が叱られた数で言うなら、食事の回数と同じくらいだ。
あの時、初めてのテスト後に応えて見せた笑顔とみっちり埋められた答案用紙。
あの時、答えを盗み見て解いた宿題の猜疑心と真っ白な計算跡。
どれもがこの3年間で駆け抜けてきた二人でぶつかって、抱きしめあって生まれた摩擦の感情だ。
だからこそ息子と私の絆はその度に深まっていった自信がある。中学受験に同じものはなく、どの家庭にもそれぞれの理由、きっかけ、教育、指導、抵抗、つまずき、そしてそこから得られた何かというカタチ。摩擦によって熱を帯びた気持ちは決して冷めないのだから。
8:50、いよいよ鎌倉学園二次試験がはじまると、何も起きてない待合室の体育館の温度が数度あがったような気がした。周りを見渡しても、保護者の皆さんは何も感じてないようだが、私は肩に強ばった緊張を感じた。
あと10分で、本命の合否が発表される時間だ。スマホの中の時計を見つめるが、時間はそこから結論を出すことへ抵抗するようになかなか進まない。
私は、折りたたみ椅子から腰を上げて、校舎の入口まで向かうことにした。とにかく心の中の針を進めようと、校舎内を探索するように反時計回りにぐるりと円形の学び舎をたどった。建物に降り注ぐ雨は止む気配すらみせない。
後、7分になり妻からメッセージがくる。同じような心持ちであることを読み取り、励ましの返事をし、支え合う絆を確認してみたが、思えばこんなに妻と連絡を取り合うのはいつ以来だろうか。もちろん二人の好き同士の関係は変わらないけど、15年前ほどの熱量でのぶつかり合うような関係ではなく、武人と武人がその武を極めたように、構え合って剣先の触れ合いで心は通うから、そんな熱量が表に溢れることは無い。
昨日から始まった入試を振り返ってみると、まさかまだ2日もたってないとは思えないほどだが、妻は文句のひとつ言わずに私を応援してくれている。
妻とは長年連れ添った間柄だから、それとなく彼女の言動がこれからどこに向かうのかははっきり感づくことができるようになった。例えば、急な飲み会が会社の仕事の延長線上で発生するとして、それをどのタイミングを見計らって「今日飲み会だから」と述べるのかは、そのセンサーのような感覚で判断する。たとえば、熱を帯びているいる矛先が、私の喉をついてくるかのごとく怒りと疑心に満ちているかは、彼女の目を見ただけで十分にわかるし、場合によっては足取りの幅や背中から発せられるの呼吸のリズムですら感じ取れるぐらいにはなっている。
この受験二日目の朝だが、決して今時点で成功とはいえない。この中学受験の99%は私のマネジメントの成果だと、自信をもって大声でさけぶくらいの誇れるものだ。だから私は上手くいっていないことに対して、全ての責任をかぶるつもりであるのは当然すぎることだし、妻から責められても一切の不満はない状態だ。
だが、妻はまったくその「怒り」「不満」「責任」というものを私につきつけてくる様子が、スマホのメッセージや今朝の様子、鎌倉まで遠く伝わる妻の感情から、一つも感じ取ることはなかった。代わりに感じ取れる感情が「信頼」「共感」「委任」と言った、まさにその熾烈な練習をくぐりぬけて、これから高校野球の頂点をめざす野球部員が、試合を戦っているときに劣勢になっている状況にも関わらず、その不満を一切言わずに、寡黙に熱烈にエールを送る応援団のようなオーラを発していたのだ。
私は素晴らしい家族を持ったものだ。もったいないぐらいの、大切な大きな応援メッセージの数々はきらきら潤んでいるようだった。
第一志望の発表時間が1分未満となる。30秒を切る。10秒のカウントが始まる。息をのむ。
発表のボタンが出た。
ためらわず、心臓が飛び出ていないことを確認しながら、パスワードを入力して、細い目でそのウインドウを除いた。
「不合格」
心の中が真っ暗になるほどひんやりした。
熱量が1秒でゼロ度を下回り、冷気を帯びた人間味のないAIによりプログラムされた結果のようなものを、口の中に放り込まれた。
目の前の画面に現れたテキストに対し、読み方を工夫しようとも、再度ログインしようとも、どうとらえても、落ちたという結果だった。
つらかった。ただただつらく、つらく非常な出来事だった。みぞおちあたりが痛く苦しい。自信を持って臨んだはずだったが、なぜか水面に立てる気がして、立ってみたら、やっぱり沈んだ。
落ちた、落ちた。
落ちてしまった。
妻からメッセージがスマホに来た。結果を知っているかどうかを私に問うている内容だ。もう、そのコメント自体が不合格だったことを知っていることを告げている。
だって、もし合格していたら電話がかかってきているから。
うん、と返事を返して、そこからチャットのようにメッセージを繰り返す。お互いがお互いの悲しみを慰め合うかのように、共感し合うかのように、何度も繰り返し悲しみの深さを確かめあった。
ただ、それでも電話は出来ない。辛すぎるから。それはお互いがわかってるから決しておいそれと電話したりしない。悲劇的な苦しみは全てスマホに込めることにする。
中学入試を経験するまでに、私たち夫婦は色々な信頼をおける家族、友人、先生、職場の仲間、たくさんの「悩みをうちあける人」をパターン別に設けることが出来てきた。
人生の帰路に悩めばかつての先生に相談してみたり、自分の仕事のミスを嘆いてはその愚痴を職場の同僚に聞いてもらったり、子どもの子育てに苦しんでいればママ友に助けを求めたり、そして将来の話は両親に尋ねてみたりもできた。
この、入試期間中の不合格に関する悩みは、誰にも聞いてもらえない、という現実が今、夫婦二人を襲っている。
まず、このつらさを聞かされたところで、その解決方法は何も無い。合格が私たちを救える唯一の手段であり、相談された側としては「次は受かるよ」なんて安易な回答は出来やしない。
また、同じ受験を戦ってきたママ友やパパ友は、この入試期間中に関しては一切連絡の取れない間柄となることにも異論はない。
第一志望の中学校に合格する確率が低いことは事前のレポートで知っているわけだが、この時点で歓喜に湧いているご家庭もあるわけだ。
そんな中で、誰が、どの家が、今私たちと同じ気持ちを共有できることすら分かるはずもない。かりに、友人家庭から吉報の連絡が入ったとしても、素直におめでとうとか言えるほど聖人ではない。
また、入試に落ち続けているという家庭と傷を舐めあっても、それは何の足しにも自慢にも、癒しどころか消毒すらならない。
この状況を打破できるのは、一つだけ。合格という答えだけなのだ。
いま、気持ちを共有出来るのは夫婦だけ。貫くしかない。負けを認めて立ち上がることだけを。そして一番つらいのは、この結果を知らずに今まさに二日目の試験を開始したばかりの息子なのだから、私たちが負けてはいけない。
昨日、一日目の入試は負けた。だからなんだ。今日勝つ。
私は、妻とのメッセージのやりとりをしながら、冷たい体育館へ戻ることにした。そこだけが自分の居場所のように。
戻る前に確かめる。鎌倉の空気は降り続ける雨が冷気と湿気を帯びている。
私は、持参してきたパソコンを立ち上げて、今日の午後の山手学院の願書手続きを済ます。
昨日に続いて二回目を受けることになるが、贅沢は言えない。
息子が「できれば午前中の試験で終えたいな」と言っていたことを思い出すが、苦しみと無感情の間で事務処理のごとく願書提出を済ます。
続いて、三日目の逗子開成二次試験の願書提出も済ます。今落ちた結果を受け取ったばかりの学校に再度挑戦を行うのだ。
この二校の手続きは恐ろしく簡単だった。二回目なので必要情報の入力行為は省かれ、それぞれ合わせても5分とかからず完了した。
だから途中で画面にでてきたお支払いの手続きに関しての金額確認は、普段の金銭感覚ではためらうほどの価値換算なのだが、今はそれどころではない。ガチャの精神で「次こそは当たりを引け」と気持ちを込めてクリックした。
そして、三日目に事前に用意してあった浅野学園のチャレンジ願書が無駄になったことを確かめる。
受けずに落ちる。不戦敗。
これで1月校から数えてすでに四校落ちた。
何とか、今日こそは一校を、本当に。本当に。
「2021年2月2日、入試二日目の午後」
今、事実を告げられた少年は、さぞかし胸の奥を痛めているだろう。しかし思った以上に感情は揺れていなかった。特定の感情を封じ込められた言葉のように、彼から出た言葉はその「悲哀」の気持ちではなく、これから午後にかけてもう一つ入試を受けなければならない、「面倒」という気持ちが前面に出てきた。
私は、悔しくないのか?と思ったのだが、一緒に北鎌倉の駅へ連なる雨の道すがらの途中で、彼の小さな足音が聞こえる際に、その悔しさがないことについて理解ができたような気がした。
「知らない場所に来て、初めて歩く道が雨だったとしたら、晴れた時の歩いたことなんて想像できるはずもないよな。知っている感情から体から飛び出ることは当然だ。」
心の中で思う。息子には伝わらない。
しかし、落ち込んでいるそぶりなく、次に向かう足取りがしっかりしている。
私の歩みに後れをとることなく、きちんと次の受験会場を向かう勇気が聞こえてくるようだ。
本当に大人になったものだ。1年前の彼と比べてみても、本当に成長を感じる。この感謝の気持ちはだれに伝えるものでもなく、あえて言うならば神様なのだろう。
次の受験会場は、昨日行った港南台駅である。向い方は息子でも知っている。違う点は、雨が降っていることぐらいだ。知っている記憶をたどるように、昨日の自分たちのうらみに対して復讐をはたすように、港南台駅から山手学院へたどる道を進んでいく。
途中でコンビニエンスストアにより、午前中に電子申請した本日の日程の願書を印刷する。クラウドにアップされた電子PDFをコンビニから専用アプリで印刷を行う。
せっかちな織田信長が聞いたら、そのセリフを半分なぞった時点で、持っている刀か鉄砲で切り付けて打たれそうだ。
だが無情にも伴天連の悪魔が生み出す魔法陣のように、願書が厳正に出現されるのだった。ハサミで丁寧に願書を切り取ると、それを息子が持っているクリアファイルにはさんであげる。
彼は信長や悪魔のことなど意に介せず、それが現代の文明の利器であるありがたさであることすら投げ捨てるように、そのまま青くNのマークが輝くカバンに丁寧にしまった。
私たちは、そのまま受験会場に向かった。昨日と同じ光景で、同じ立ち位置で、変わらない足取りで。
だが、結果だけは同じでないことを祈る。
昨日より幾分か人の波が少ないことに気づくのに時間はかからなかった。昨日合格を得た子どもたちは当然ながら受けに来ない。それを目の前の人波で実感した。
息子は、その人波に消えていった。昨日とは異なるオーラを身にまとっている。どうやら午前中の鎌倉学園の入試に手ごたえがあったようだ。私は消えていった息子を遠くから手を振ることで見送った。
「算数以外は自信がある」
そう言い切っていた。これが果たして手ごたえの分類に入ることなのかはわからないが、とりあえず彼の中で自信がついたらしいということは良かった。
85%
これは入試二日目までに一校以上で合格が出る確率らしい。だから、可能性で言えば、今日の鎌倉学園かこれから受ける山手学院の結果がその確率に該当する一つになることを期待する。
息子が入試会場に消えていった後に、私はゆっくりと日能研のスタッフに電話をした時の記録を反芻する。
ルールがあった。合否の結果は必ず受験生本人、つまり子どもたちから行うこと。そしてコロナの影響も踏まえて、塾には来ないこと。
だから、港南台駅についた直後に息子に電話をさせた。一日目の結果が全滅したこと。それを反省にして、これから山手学院を受験すること。それを担当スタッフに伝えた。
「はい、、、、、はい、、、」
電話越しの彼のまなざしは下を向いていた。どうやら、今になって落ちたことを実感し始めたようだが、やはり子どもというのは誰かに怒られたくない、という感情から「やらなくちゃ」という気持ちになるのだろう。
ところですっかり口調が大人びているなとも思った。大人に対して、「はい」という言葉を、発するようになったのはなんだからうれしい。
そして、その息子との会話の後に、電話を替わって本当の大人同士の会話が始まった。
「落ちた理由は心当たりありますか?」
「はい、やはり慣れない緊張感もありますが、それ以上に苦手な分野にあたったようですね」
「なるほど。なるほど。では、そこは割り切りましょう、まだ今日の結果がありますから」
「息子さんをどう見られますか?」
「いえ、緊張は少ないので、今日の結果は悪くないと思います」
「午前の結果を祈っています」
そういう午前中と午後の結果についてお互いに話しを出し合った後、ここからが本題だった。
「ところで、万が一本日の入試がダメだった場合を想定しなくてはならないのですが」
そう切り出されて、私は血の気が引いた。彼女も強い口調で話していたので、相当な覚悟を持って臨んだ言葉だ。まるで、手術前の医者から渡される、万が一の誓約書、のように。サインは拒むことができない。
「もし、万が一両方とも落ちた場合は、明日三日目のプランはどうされますか?受けますか、逗子開成の二次試験は」
「はい、もちろん受けます。願書も提出しましたし。ですが、合格するイメージがその時はわかないかもしれません」
「私から提案がありあます。三日目の午後は、ここを受けませんか。万が一ですが。その場合は、緊急的に合格を作りに行きます。」
そういって提案された学校は名前しか知らない、中学校の名前だった。スタッフは真剣そのもの、自分ごとのように話をしてくれた。
そんな重要すぎる進言を思い出し、保護者待合室で、学校からいただいた昨日と同じ缶コーヒーを口に含みながら、その学校を調べる。
まったく知らない。東京の学校なのか。校風は?共学なのか。偏差値は、そうか息子の持ち点よりは高くはない。いや、低めと言って良い。
ここを受けることになるのか?いやいや、そんな不吉な話はなしだ。今は考えては行けない。
私は検索していたスマートフォンをポケットにしまいこんで、思考を前向きにした。
午前の鎌倉学園が本日の19時に発表となる。それが受かれば、明日の逗子開成二次試験に全力で心もまっすぐにして迎える。息子の手応えも悪くない。
そのため、息子の取れたであろう科目別の印象とテストの出来具合を予想し、さらに合格基準点のクリアをシミュレーションして、合格確率を脳内ではじき出す。私は息子の出来具合を、赤本の採点の度に印象を見てきた。走る前の競走馬の調教師のように、闊歩する馬脚の印象から出来具合をおおよそ把握はできる、と思っている。
「うん、ギリギリ合格、かな、、」
そういった予測に落ち着いた。
また、果てしない時間が流れる。
永遠に続く大作映画のエンドロールのように、頭の中でこの一日半の思い出が流される。きっと映画のエンドロールの端っこをメビウスの輪のように最初と繋ぎ合わせて、永遠に英語で流し続けたとしても、きっと気づくことなく私は見続けてしまうのだろう。
それぐらいの時の感覚が私を座り心地の決して良くとはいえないパイプ椅子にぴったりとくっつけていた。
流れる。流れる。流れる。
途中、校長先生が登壇し、受験生の親御である私たちをはげますように、激励をもらった。なんて言っていたかは思い出せないが、がんばって、と聞こえたような気がする。
だったら合格をくれよ、とその時思った親御さん達は私ひとりでは決して無いはずだ。
同情するなら合格をくれ。
息子と合流出来たのは、昨日と同じ電話ボックスの傍らだった。息子は自分自身の一日の労いの言葉のように、昨日よりできた、と言い切っていた。
既に、この息子のたくましさに気づき始めていたが、彼には体力がしっかりとついたものだと感心していた。鉛筆を持つ手も疲れただろう。腰も痛いと言っている。それでも疲れらしい疲れは見えなかった。帰宅するための体力が余っているようだ。
港南台駅までたどり着くと、滑るようにホームに電車が流れてきてそのまま乗り込んだ。そして、電車内の電子版の路線図を眺めながら、あの駅とあの駅の途中で、カマガクの発表があるんだな、と二人で話していた。
妙に軽快で、不思議に悲壮感はない。息子は受かる気でいるし、私もそうあるべきだと思っている。
そして、ここまで全ての合格発表を親達が見てきていることを知ってか知らずか、
「スマホから見られるけど、二人で一斉に見るかい?」という提案は足蹴にされ、
「俺が見る」と譲らなかった。
いよいよ、発表まで数分を切った。
カマガクの発表は掲示板スタイルだ。合格番号のみが羅列している。だから右手にスマホ、左手に受験票を握りしめている。
気がつけば、時間前なのに掲示板ボタンがページに出ていた。きた。焦る。
息子は「かして!」と車内で大声を発し、私に見えぬようにスマホをそのまま自分の胸元まで引き寄せて、ぐぐっと操作してのぞき込んだ。
「不合格」
番号はなかった。
息子は「落ちた、、、」と崩れるように、電車のシートに深く落ちた。
何も言えない。情けないが、励ます言葉がない。
確認のため、スマホを操作して番号を探したがやはり見つからなかった。
ほどなく妻から「みた?」とメッセージが来たので、「みた」と返した。
根岸線の外は深い闇。車内の人々は何かをうつさないように、口を隠している。誰が誰だかわからない。
電車は気がつけば横浜駅に着こうとしているようだ。乗り換えなければ乗り過ごす。だから降りるのを試みる。ちゃんと立つ。立てる。
私たちが乗っていた京浜東北のブルーの電車は、私たちを乗せることなく次の駅へ向かっていた。私たちは、それを背中で見送る。
「次は受かるよ、大丈夫」
精一杯の言葉をかける私と息子には、天も分かつことの出来ない信頼があるから大丈夫だ。
大丈夫だから。
帰宅して、不合格であった結果を日能研に彼自身が電話で告げて、節分のイベントを終えた息子は寝た。
日能研への電話は落ちたことを伝える淡白なもので、私もそれ以上の確認しようがなかったが、いずれにせよ今日の22時以降に本日の最後の結果を踏まえて電話をすることを確認しあった。そして一つだけお願いをして。
夕飯の際は、娘は息子の入試そっちのけで、鬼のお面を私につけて豆をまいてくる、いや投げつけてくる。楽しくてしかたないのだろう。皆に歳の数だけ食べることを強要していた。私たちは、私を鬼として、全ての厄をぶつけるようにして投げつけることで気を紛らわした。
息子はスマホのアプリの方位磁石をつかって、丁寧に方角を調べる小さな顎をめいいっぱいひろげて恵方巻きを食べていた。
皆がみな、一生懸命に思い思い現実と闘っているのだ。
息子は静かで賑やかな夕飯を食べ終わったあと、そっとホワイトボードに貼っててるシミュレーション表の二日目の終わりの方まで赤線で塗りつぶし引っ張る。そしてここまで、終わったことを満足げに確認する。そして、一日目と二日目の午前までに受験した入試中学のマスに赤字でバツをつけていた。
寝静まった子供たちを確認したあと、妻には私から重要なことを伝える。
否定したいが、今日の山手学院が落ちた時の選択肢の話。
妻は即座に否定した。
その学校には合格しても行かない。行かせない。行かないから受ける意味が無い。
そうだよな。そう思うよな。ただ、息子の受験を一番そばでサポートしてきた私にしてみると、意見は少し異なる。
息子とがんばってきた3年間を形にしたい。その想いが一番だった。だから、何としても合格という結果については持ち帰って、それが3年間目指してきたゴールの一つということであれば、決してその考え方は間違いではないと思うのだが。
兎にも角にも、それも今日受験してきた山手学院の結果によって全てはオセロのようにひっくり返るわけで、勝てば官軍、合格が全ての負けを洗い流すのだから、まずは22時の発表を待とう、という話になった。
まだ今朝から続く合格発表と負け続けるこの流れに現実的な思考が追いついていないような気がする。
ここで、合格を出せば明日からは一次志望の逗子開成と二次志望の鎌倉学園にのみ力を注ぎ込むことが出来、万が一を考えなくてすむ。
山手学院という学校は共学であり、雰囲気としては健やかな学生が通う印象だ。進学率も先にあげた二校とそこまで変わらない。
だから、仮にこの山手学院しか合格しなくとも何も後悔はない。胸を張って通学できる
「大丈夫、これまでの過去問すべて合格最低点をクリアしてきたんだから、大丈夫。」
妻に言葉を丁寧に渡す。
「私たちは彼のことを信じてるから、絶対合格すると信じてるから」
妻も私の言葉にすがった。
もし落ちていた、なんてこの瞬間は思わない。受かっている、その全てであり、それだけで良い。
昨日の山手学院の発表から約丸一日しか過ぎていないとは思えないほどの濃密な一日だった。味が濃すぎる詰まりに詰まった幕の内弁当のような、とても一食分には胃もたれするような容量と内容。それぐらい、昨日の山手学院の発表が遠い出来事に思えている。
今日の発表は、逗子開成、鎌倉学園、すでに二つ負けた。だから、ここだけは。
この時間にどれだけの親御さんがこのサーバーにアクセスしてるのだろう。私学のサーバーはこのプラットフォーマーが提供しているサーバーに何十万人が負加をかけていることを想像してみるが、なんとも大変な準備をサーバー側もしているのだな、と横道の思考にそれていたら22時を迎えた。
私はすっかり縮こまった精神と、大袈裟ではなく震える冷たい手で、そして手馴れた操作方法で受験番号とパスワードを入力する。
妻も同じ視線でそれを見守る。
「不合格」
「嘘だろ、、、」
絶句する。
「もうヤダ、、耐えられない」
妻は瞳からすでに涙を流していた。たぶん発表前からこぼれていたのかもしれない。
「無理だ、、受け入れられない」
本音だった。こんな現実を直視できるほど私はタフではない。自分のことではないからなのか、人のことでこんなに心配したことはあるのだろうか、胸を痛めたことがあるのだろうか。息子や娘が生まれた時だって、いずれも出産には立ち会った。それでも子どもが生まれてくる時間には、常に医師である先生がたが立ち会ってくれていたわけで、絶対的な信頼があったし実際無事に生まれてきた。こんなに心は痛めていなかった。
自分の大学受験と比べてどうか、やはりもっと自信や確信をもって受験を自分の意思でおこなってきたから何か覚悟を持っていたと思う。
今回は他力本願だからなのか、自分の分身以上の存在である息子が当事者だからなのか。
不合格の言葉が頭をシャベルやブロックのような工事現場に置き忘れたような具材で一斉に叩かれる既視感を覚える。脳みそが揺れる。
妻も同じだ。直視が出来ていない。
「無理だ、無理だ」
何が無理なのかわからなかったが、本当に無理だった。
ただ、時計の針が少しずつ進むにつれて、いよいよ嫌な冷たい現実を見つめることを私たち二人は思い知らされる。
これから日能研へ電話する。そして落ちたことを報告する。
明日の受験スケジュールのことを決める。この状態で眠りにつく。
全て私たち大人がやらなければならないことだ。
日能研に電話をしたが、担当スタッフが別の電話に出ているとのこと。終わるのが23時頃なので、先方から折り返してくれるそうだ。
電話に出てくれた別のスタッフの方も、もちろん何度も通った日能研のメンバーは全員人となりを知ってはいるが、電話に出た時の話しぶりはいつもとは違う同情心が溢れ出ていた話ぶりだった。
また、別の電話に出ているから、という意味はおそらく私たちの家庭のようにきっと全て落ちてしまったご家庭が緊急電話ミーティングをしているのだろう、ということは想像するに難しくはなかった。
そう思うと、今の状態に苦しんでいる家族がいることに、本当に少しだけ心の中に雫が落ちた程度の潤しのような和らぎが流れた。
妻と私で待っている間に、何が原因でこうなったのかを考えていた。
やはり無理して併願の組み方を間違ってしまったことが過ちだったのか、もっと偏差値に余裕がある学校を受験すべきだったのでは。
また、今年はコロナ禍によって東京への受験が減っているとかいう噂や、上位難関校から消極的に合格を取りに来ようとして、息子が受験をしようしているカテゴライズに該当する学校が侵食されているなんて聞く。実際、志望者数を前年と比較しても大幅に増えている。だから、環境面が厳しくなったという見方ができるのだとも思った。
では、内面はどうか。彼の中で心境がいつもと異なる点があるのだろうか。確かに初日は緊張の様子があった。ただ、それも午後には消えていただろうし、二日目の手ごたえもあったのだ。メンタル面はつぶれていない。ファイティングポーズをとっていることは、2日間つきそっていて良くわかる。
妻は、そんな原因分析の意見交換をすることで正気を保っているようだが、いつ崩れ落ちてもおかしくない、真っ白な顔つきをしていた。ティッシュがいくらあっても足りないくらいの、零れ落ちる雫をぬぐった白いゴミ箱の山がただただ悲しさを体現している。
気が付くと、23時になっていた。おもむろに、携帯電話が震えだした。日能研からだ。
私はスマホ画面の受電マークをタップする。妻も同時に聞くためにハンズフリーにした。
実は、担当スタッフには事前に妻が明日の午後の受験に反対することを伝えており、その説得にあたってほしいと伝えてはある。一枚岩になるためのささやかなお願いだった。スタッフの方含めて、一枚岩にならなければこの難局は乗り越えられるとは思えなかったから、意思統一をして明日は全力で合格を勝ち取りに行きたい。
すでに、結果については日能研側も知っている。そのため、電話がつながった後は儀式的な不合格の報告と、ためらいの沈黙を挟みながら、明日以降の予定を確認しあった。
まず、明日の逗子開成の二次試験を予定通り受験する。ただ、この流れでより難易度があがる2月3日の試験が合格するとは思えない。だから、明日の午後をどう動くか、それが最重要テーマだった。
私は妻にほとんどしゃべらせず、妻も私を信頼して話すことを遮らなかった。
「ここまでサポートいただきありがとうございます。残念ながら、まだ一校も合格が出ていない現実をまずは受け入れて、明日からどうやって挽回していくかを考えたいと思います。まずは、本日ご提案のあった明日の午後に「その学校」を受けさせることがどういう結果につながるか、もう一度教えてください。息子はここまで非常に疲れています。精神的にはまだ大丈夫ですが、明日結果を伝えたときにどうなるかはわかりません。だから、明日の午後はゆっくりさせるのも一手なのでは、そう考えます」
ここまで、予定通りの会話だ。後は担当スタッフに託す。
「まず息子さんの中で、何かが崩れている可能性があります。歯車がかみ合わないように。いつもならとれる問題が、とれていない、そういう状況です。ですから、一旦リセットします。本来であれば階段を上るように偏差値の低い方から確実に合格リズムを作って、本名を勝ち取るのが最適解でしたが、それが残念ながらできませんでした。ですから、明日いったんその学校を受けて合格を作りにいきたいと思います。スタッフ一同で分析をしましたが、今の流れであっても合格できる学校です。科目も算数一教科だけなので、体力的に負担は低く済みます」
ここまで淀みなく話してくれた。妻はスマホに向かって真剣な目をして心を傾けてくれている。
「そうして、その学校は当日発表が出ます。そこで合格さえ作れれば、今度は四日目の鎌倉学園のラストである三次試験、そして5日の逗子開成ラストである三次試験を良いリズムで挑むことができます。ここで勝ちを作って挑めるか、挑めないかは全く違います。これは経験則で話しています」
私は妻の代弁者として言いたいことを言う。
「その学校には進学するかどうかは、今の時点ではまったくわかりません。たぶんそこしか受からなかったとしても、進学しないかもしれない学校を受けるんですか?」
「はい、意味があります。お子さんの気持ちからしてみると、それがそのまま自信へとつながります。リズムを作りましょう。だから合格を作りに行きます」
強く、そして静かなスタッフの口調は、言葉としてはしっかりしていたが、声の奥では我々と全く同じ感情を見つけたような気がした。
自分が育ててきた生徒、自信をもって送り出した生徒を、自信をもって編み出した受験スケジュールなのに、結果的に全滅というつらい結果を味わせてしまったという後悔の念ではなく、また仕事上の合格という成果が出ていないことへの落胆でもなく、ただ当事者として失意と悲しみを感じた。その土台の上に、プロとしてのアドバイスの言葉が並んでいただけだ。
本当に信頼できるスタッフに出会えてよかった。絶望の暗闇の中では、小さな光がとても輝いて見えるものだ。息子との絆を再確認できたことは素晴らしいし、これだけの暖かい仕事以上の支援を頂ける方々に支えられている息子の人間としての生き方を、父親として私は心から尊敬できた。
スタッフの話が一通り終わると、妻はただうなずき、こんな遅くまでで付き合っていただける、スタッフの皆様に感謝の弁を伝えて深夜の作戦会議は終わりを告げた。
私たちは決めた。
受ける。知らない学校を受験して、まだ見ぬ合格を作りに行くことを決めた。
そして決して眠れないだろうとわかっていたから、そこからベッドに入り、明日息子になんて伝えようか一晩をかけて考えるのだった。
「2021年2月3日、入試三日目の朝」
「おはよう、起きな」
ゆっくり丁寧に目覚めさせる。息子の特技と言ってもいいかもしれないが、朝には強い。だからすぐ起きるのだが、起こす方がためらってしまい、あまり届くような声で起こせなかった。
だからすぐには起きず、揺らすように体をさすって彼の目覚めを待った。
そしてほどなく体を自らの自重でつりあげるように、ぐぐぐと体を起こした。
「おはよう」
そう言って、反射的に彼の右手はメガネケースにのばした。取り出されたメガネが彼を受験生へと変身させるように装着された。
妻も同じタイミングで起きる。起きると言っても眠りから覚めたのではない。布団から出るだけだった。
私も妻も眠そうなことは何もない。ただ、この終わりの見えないジェットコースターからどうやっていつ降りられるのか、それがあの高速の恐怖心の高揚とは異なり、ただ恐怖心のみが残った絶叫マシンだということはわかっているので、今日こそは終わることを祈りながら妻と私は、まるで生きていることをお互い確認するかのように顔を見合わせる。
1階に降りて、すっかり顔を洗う習慣を身につけた息子を呼び止めて床に座らせる。私もすでに着替えを終えて、身支度は整えている。
呪われた呪文を唱えるかのように、決めていたセリフを彼に伝える。妻も覚悟をして聞いている。
「いいかい、よく聞いてな。昨日の山手学院の結果は残念だが不合格だった。」
それを聞いた息子は、ようやく厳しい世の中の現実を受け入れられたのだろう。この長い長い三日間にして、初めて涙を流した。そして床に体を丸めて、心の底から悔しさを吐き出していた。
「何でだよ、、」
妻が気がつくと彼の背中を撫でていた。もう、妻の身長に届くであろう体躯は、その添えられた左手と、聖母のように彼を救おうとする右手に包まれている。
泣き続ける。
泣き虫の彼からしたら、逆に今まで良く耐えた方だ。そうさ、泣いていい。こんな厳しい現実に耐えられる小学生なんているか。丸まって、何か悔しさを言葉として吐き出してはいるが、それが彼の無念の叫びなのだから、私はそれを受け止めて聞いていた。
彼の苦しさを私も味わいたい。
親として責任をもつとかそんなやわな考えではない。私も同じ痛みを味わいたかった。
私は彼の3年間と3日の苦しみを共に味わう。
時間にして1~2分しか経っていないかもしれないが、彼に言葉をかける。
「そりゃ、辛いよな。わかる。でも大丈夫だ。昨日、夜11時半まで日能研と作戦会議をした。今日から逆転するための秘策を考えてある。だから大丈夫だ。」
そう言うと、昨晩作戦会議後に提出したその学校の願書を彼に見せた。
「この学校を受ける。今日の午後だ。午前中は予定通り逗子開成をがんばる。そしてその後、とんぼ返りして東京に行き、ここを受験するんだ。ただ、安心しなさい。一教科しかないから。」
彼の視線が紙に落とされる。学校名を読み込んでいるようだ。
「算数の担当の先生がいるだろう。今の君の実力で確実に受かる学校を見つけてくれた。だから受けるよ。そして、そこで勢いをつけて明日から鎌倉学園三次と逗子開成三次を受ける作戦だ」
「でもさ、今日の逗子開成二次のほうが先に結果出るでしょ?そっちが先でしょ」
息子は涙目を向けて強く言い放った。
そして、受験票を私から取り上げて、その学校の所在地が気になり、どこの駅なのかを聞いてきたから教えたら路線図の本を使って行き方を調べ始めた。彼は着替えを始め、受験票をカバン入れて、そして立ち上がった。
人が成長をとげるのは、どういう時だろうと考える。
ある人は、修羅場体験こそが人を成長させる最大のチャンスなのだという。
今まで出会ったことのない大きな壁にぶち当たり、登りきれず、爪が剥がれ、ロープもちぎれ、何度も落下しては腰を打ち続け、しまいには心の奥のプライドがズタボロになって、そうして初めて自分の弱さの現在地に気づく。己の弱さ、脆さを知ってから、そこまでして立ち上がる勇気と、心の中の灯火に油を注ぎ続けるものに、初めて成長という対価がわたされるのだそうだ。
そのタイミングで成功には届かないかもしれない。絶望のまま終わるのかもしれない。けれども生きていれば、また戦える日が来たとしたら、その時はきっと壁を乗り越えている。
彼にとっての人生最初の最大級の暴風雨はまだまだ過ぎ去っていない。むしろまさにど真ん中の嵐で見えないずぶ濡れの状態なのだが、彼は絶対に吹き飛ばされないと思っていた傘の残骸を目にしても、信じられないことに心が折れていない。
彼は、立ち上がったのだ。
妻に見送られ、車から降りて駅に向かう。
彼は昨日までの二日間をどのように思っているのだろう。悔しくない、なんてことはない。今朝の涙が物語っている。
電車の中で、同じNのカバンを背負った男の子と親御さんをみかけたが、そのカバンには合格祈願の日能研独自の中学校名の入ったお守りがぶら下がっていて、そこには今日受けるかもしれなかった浅野学園の校章が輝いて揺れていた。
息子の目にも映ったことだろう。それでも息子は意にも介せずに今日の一日のスケジュール、特に午後の予定を確かめていた。
「本当に1科目なんだね」
「この駅、面白いところにあるね」
「ちゃんと連れていってね」
「間に合うかな」
私は堪えるものを堪えて、息子への愛情を振り絞って聞いてみた。
「もし、この学校しか受からなかったらどうする?」
「その時は、うーん、もちろん通うよ、遠いけどね」
電車はまっすぐ迷いなく逗子開成へ向かっていたレールからそれることなく進んで行った。
二回目の逗子駅は、人混みが一昨日より少なく感じた。また、昨日よりグリーン車での移動を試み始めて、幾分か体にのこった電車疲れも軽く感じている。
実際通うことになった時には、そんな贅沢は出来ないだろうと思いつつも、これで合格できるなら安いもんだと思った。
それでも駅から学校まで向かう人並みに飲まれ、私たちは進んだ。ここにいる子供たちの大半は一次試験からの再チャレンジなんだろうか。
私は、三日目にして息子の前向きな姿勢に本当に感服していた。まだ一校も合格していない状態なのに、体調万全で、心も強く受かる気持ちを持ったままここに再び来れたこと自体が尊敬に値する。
すっかり慣れた雰囲気で、表面から体温を測るサーモグラフィーの前を通り、受験票を提出し、彼は「行ってくるね」と残すように校舎へ消えていった。
親は校門の入口から先には入れないルールなので、私は校門から彼の小さくなる背中を見守って、しばらくはそのまま立ちつくした。そして、再び保護者待合室に入る。
昨日とは違う場所に座ってみたが、験担ぎでもなければ、気まぐれでもない。トイレの近いところに座っただけである。しばらく経ってから、先日にはなかった光景がちらつく。
隣の席に座っている保護者の方からため息が漏れている。保護者部屋からでては誰かと真剣に電話している人も多い。子供だけでなく、親も必死に乗り越えようとしているのだ。
今日の私はこの数時間の間に、やるべき事を済ませなければならない。
今日の午後に受験するその学校のホームページから過去問をダウンロードして印刷してきた。
算数の1科目だけだが、これまでどんな問題傾向が出題されているか傾向を知らない。
そして息子にはそれを見る時間も忍耐もない。私は息子の学力をよく知っているので、息子に代わって解いてみることで、彼への本番の問題の見極め手順のアドバイスにするつもりだ。
合格するためには、65%以上をとる必要がある、らしい。そう昨日聞いた。そのため、捨て問題がどれなのかを見極めるには解くしかないと思ったわけだ。
実際、解き始めたら楽しかった。息子と一緒に受験を受けているような気がして、まるでそれが遠隔的にシンクロしているようで、息子の苦労を少し垣間見れたこと、それが嬉しかった。
彼が持ち時間50分でできることを私は2時間かけて解き、その中で2問ほど捨て問題とその傾向をなんとなく、理解できた。彼は電車に酔いやすい体質だから、実際これを渡せるのは受験会場着いてからの待ち時間かもしれないし、見られる余裕はないかもしれない。
せめて、問題傾向の特徴だけでも、電車内で伝えようと思った。
確かに、これなら日能研がこのタイミングで勧めてくることも理解出来た。息子なら受かる。いま、さまよっている息子に光をあてたい。
保護者が子どもたちの集合場所に集まる中、私もおくればせながらついて行った。
最後の最後まで過去問を解き直したり、理解したり、分類していたからだ。
試験終了のチャイムがなる。天気は快晴。
空に響き渡る。
それでも、三人に二人は今日の入試で落ちる倍率なのだ。少年たちには残酷すぎる。
ぞろぞろ吐き出されてくる校舎からの子供たちの姿は、一昨日のこの一次試験の光景と少し違ったように見えた。なんとなく、幼い。幼い子が残ったのか。
やはり大人びた子供の方がきっと入試という戦いには有利なんだろうと、ふと感じた。
息子を見つける。笑顔と普通の顔の間くらいの顔で私のことも見つける。
「よし、急ぐぞ」
「うん」
私たちは駅へ駆け戻る。
次の試験に間に合うには、昼過ぎの電車に飛び乗りたいからだ。ご飯は、まあ電車の中で食べられたら食べよう。
私たちは湘南の海の街から、都会へと戻る。また息子は海を見ることが出来なかった。
電車で東京へ移動する道中に、先程解き終えたばかりの過去問の説明を行ったが、もちろん酔いやすい体質の彼にその場で中身は見せない。口頭で、どういう問題を解いて、こういう問題が出たら飛ばして、そんなアドバイスだ。
彼は、いつもより私に触れるように座ったり、時折私の手を握る素振りを見せた。
前を向いて電車に乗っている。これだけがんばってきた。そして今苦難から逃げ出したりしない、小学6年生のこの子を見放したりしない。
時は走るように未知なるステージへ連れていく。私も来たことも見たこともない駅へと到着し、学校のホームページに書いてあった手順で巡回の無料バスに乗り込んだ。
受験を受けようとする親子がパラパラいたが、やはりどの家庭も幼さを感じる。
10分ほどバスに揺られ着いた場所は大学一貫校ならではだろう、校舎が群像のようにたて並ぶさながら村のような一角でバスから降ろされた。
そのまま試験会場に誘導されるまま、私たちは履物を取り出し、校舎に入っていく。
誘導員や案内員、どの人を見ても優しい。労ってくれる。それだけズタボロの精神が体から溢れているのだろうか。いま、こんな状態の私たちを優しくしてくれる。昨日初めて聞いたばかりの学校には申し訳ないが、もし合格したらお世話になろう、そういう気持ちが芽生えてきた。
息子と別れた私は、少しだけ年季が入ってはいるが綺麗で清掃されていた控え室で待っていた。
算数1科目なので1時間しか待ち時間はない。
帰りは車で帰るてはずになっており、車で妻がわざわざ迎えに来てくれる。
心と体が、こんなに蝕まれるものなのか、そんな苦しさと倦怠感に包まれた私は、頭の中に、この先の悲劇的なことと幸福なことを両方交互に思い浮かべては、一喜一憂する準備をしていた。
いま受けている入試が、必ず受かるとは限らない。そうすると、いよいよ明日の鎌倉学園三次試験がラストチャンスになってしまう。
鎌倉学園がもし明日受からなくては、五日目の逗子開成三次試験を受験するにはリスクが高すぎる。その場合は、五日目の試験はもう100%に近い確率で合格するだろう学校を受験して、合格を作る。この場合の合格を作る意味は、勝ちグセをつけるものでもない。もはや敗北宣言に等しい。
これまで3年間を切磋琢磨して勉強を続けてきて、その結果が合格ゼロだった場合、当然ながら公立中学に進むことになる。だが、3年間を形に残せなかった重荷は彼の人生の失意の形になってしまう可能性がありあるのだ。
「中学受験に失敗した人」
決して、そんな言葉を投げかけてくる人はいないのだが、子どもも親もそういった十字架を背負ってしまう。気負ってしまう、と言ったほうがよい。
だから、ここまで1点も取れないまま、この受験を終わらせるのではなく、せめて〇を一つだけでもつけて終わらせてあげたい、それが親や塾側の考えだった。
だから仮に、万が一この学校が落ちて、鎌倉学園三次試験が落ちてしまった時は、その時は中学試験に白旗をたてる。
私たちは、叶わなかった。負けた。だけど、1つでも〇がついた。
だから3年間、無駄では決してなかった。そう、言うのだ。
試験はこれまでに比べれば短い時間で終わった。
集合場所にあらわれた息子を笑顔で迎え、そのまま妻の待つ待ち合わせ場所へ向かう。
妻は約束通り、指定の場所へ来ていた。白いワゴン車はとても優しく私たちを迎えてくれた。
「おかえり、がんばったね」
これ以上ない、優しい言葉であった。
息子は助手席で疲れを下ろすかのように、Nのバッグを肩から外した。
「1日2つも、移動距離も長くて大変だったでしょう、本当にえらいね」
「うん、つかれたー」
「正直な話、出来はどうだった?」
「どっちの?」
「じゃあ、逗子開成から教えて」
「前よりは自信ある!」
「それは素晴らしいね、すごい」
私は妻と褒め称えられた息子を横目に、これまでの結果を踏まえると、申し訳ないことにその言葉を言葉通り受け取れなかった。
「でも、今のテストは難しかった、、」
「え、過去問はそこまで難しくなかったよね」
「全然、傾向が違ったよ、あんな問題見たことない」
やられた、、。確かに受験者数は多かった。もしかすると昨年の実績を踏まえて、志願者数増加に対する対抗策として、差をつけてきたのかもしれない。
車の中に、暗雲がたちこめる。
ただ、それよりももっと話しづらい話題があった。
私は、妻と事前の打ち合わせ通り、切り出す。
「なあ、これから日能研に行く。算数の先生が君のことを心配になって、少しつきあってくれるそうだ。行けるかい?」
「、、、ぜったいいやだ」
予想された反応だった。
彼は心底疲れている。1秒でも早く帰りたい。わかる。だけれども、このまま何も手を打たないと、明日の鎌倉学園は、不幸な結果が待っている気がしてならない。いや、きっとそうなる。
昨晩の作戦会議の最後に、日能研に連れていくことに決めていた。
どうやら、算数の先生が、息子の入試結果がともなわないのは算数なのでは、と予想していた。
「わかるよ、それでも先生たちが君のことを心配している。だから行ってくれないか。一緒に行くから。」
「帰るって言ってるだろー!」
息子は激しくその本音を車内に轟かせ、涙をこぼしはじめた。
「絶対に行かない」
「いや、君のためだ。気持ちはわかる。だが行ってくれ」
「いやだ、1秒も行かない」
この交渉は長引いた。
車は長い道のりをかけて駅最寄りまで来たが、息子は全く折れない様子で、駅に着いても車中で30分のやり取りを続けた。
「行ってくれ」
「行かない、帰る」
そして、最後の最後に、
「行ってもいいけど、何もしないから、挨拶したら帰るから」
泣き腫らしながら、彼は最大限の譲歩をついにした。
私は車で妻を待たせて、塾まで連れ添った。
塾の扉をノックする。
ノックする前から、スタッフの皆さんが悲哀の目で私たちを迎えてくれた。
息子は縮こまって発言はしない。そのまま2階へ連れていく。
席に座ると、まもなく勢いのある算数の先生が現れて、
「どうした!なーにそんな顔してるんだ、勉強するぞ!」
私は、この過酷さの中でそんな声のかけ方があるのだと感心し、そしてあっけにとられる。
息子は、黙って連れられて行った。
四角い木目調の部屋に残された、私と担当スタッフは、文字通り残された。
「待ちましょうか」
「はい」
そこから30分ほど、私たちは同士のようにこの辛さを味わうように、苦しみを共感しあっていた。
「ここに連れてこられないご家族もいるんですよ」
「そうなんですか」
「はい、この状況では絶対にお子さんは来ることに拒みます。疲れやストレスや、みっともなさや」
「そりゃそうですよね、、」
「でも、連れてきていただければ、何が原因か対策は打つことができます」
「なるほど」
「ですから、連れてきていただき本当に感謝しています」
そのように担当スタッフはお礼を述べた。
このスタッフは親身になってというより、この受験を、私の息子に主体的になって動いてくれている。本当にそう感じた。
そこから私は人前で泣いた。歳げもなく。
ほどなく、息子は先程とは別人のような顔つきであらわれた息子は
「帰って早く勉強しないと!」
そう言っている。
「先生、除霊でもしたんですか?」
私は真剣に先生の返答の言葉をまった。それぐらい、見違えるくらいの姿と姿勢で帰ってきたのだから驚くのも当然だ。
曰く、息子は算数の解けるべき問題が解けなくなっている、との事だった。
入試特有のあせりで、問題を解くことを優先し、大切な問題のクセやひっかけを見逃してしまっているそうだ。いつもなら出来る問題を、失敗している。
こういう時は、ひたすら別の問題をやらせて、ミスをみつけて指摘する。だから、あとは帰ってプリントをやらせれば元に戻る。
そう、除霊師は言ってくれた。
私たちは感謝の弁を伝えて家に帰った。
そして、その日の夜にその日の初めて行った名前も知らなかった学校の入試結果が発表された。
「不合格」
逆転の秘策は不発に終わり、いよいよ、最悪の終わり方が現実となってしまってきてきた。
「2021年2月4日、入試四日目の朝」
ラッキーカラーの青色に身をまとい、妻と息子を駅まで送る。
私は四日目にして初めて送迎する側の人間となった。
息子は、グリーン車の乗り方を知らない不安がる妻に「俺に任せて」と言っている。頼もしい。ホワイトボードに貼ったシミュレーションは「もうわけわからくなっちゃった」とすでにぐちゃぐちゃ真っ赤になっている。私はその日の、テレワークで一日家にいた。娘を学校に送り出して、仕事をしていたが仕事にはならない。
辛すぎて苦しすぎて、もし合格していたらと思ってみても、もし不合格だったとしたらと思ってみても、どちらも私の涙を永遠とさそった。
これだけ他人のために全ての祈りを注ぎ込んだのはいつ以来だろう。息子が生まれてきた以来だ。いや、初めての感覚だった。
私は元来、他人のために何かを親身になって考えることなどできない性格だったが、ここまで家族とはいえ、思いを込められるとは思っていなかった。
息子からはこの受験からたくさんのギフトをもらっていた。私は人を愛せる人間なのだと、気づかせてくれた。
ありがとう。きっと悔いは残るだろうが、どうやら素晴らしい財産を最低でも手に入れることは出来そうだ。
テーブルに雫ができ上がる。
9時になり、逗子開成の発表があった。
「不合格」
何も驚きがない。慣れてしまった結果である。
その後、私は、なぜそのような行動をとったか分からないが、15年前の結婚式に来られなかった上司にメールを打っていた。
「突然業務外で失礼します。実は息子の中学受験がうまくいっていません。つらすぎてメールしてしまいました。」
すがる思いか、相談できる相手がいなく、ついつい頼ってしまった。
スマホが震える。返事が来てしまった。びっくりした。
「親がぶれてはいけない。私の娘もそうでした。何校も落ちて、結局志望校ではない学校に進学しましたが、今ではその進学を誇りに思っており、生涯の友達に出逢えたようです。最近娘に子供ができましたが、私学に入れたいと言っています。一度私学に決めたのなら、ぶれてはいけない。」
私は感謝の意を伝えて、勇気の火を再点火させた。
その日、息子は元気に帰ってきた。妻も笑顔で帰ってきた。
私の涙はばれてなかった。
夕方、私たちはその日受けた鎌倉学園三次試験の合格発表をまともな精神で見ることは出来ず、信じられないくらいの勇気の塊の息子だけが、我先に発表ボタンを押す。
私はその声を背中に聞くことになる。
「よっしゃーーーーーー、番号あった !!!」
涙が今日は止まらない。
「2021年2月5日 午後13:00」
「社長、企画書の確認をお願いします。」
私は、五日目の逗子開成三次試験の入試を妻に任せて、以前より約束してあった社長との打ち合わせに臨んだ。
「と、そのまえに、昨日は突然のメール失礼しました。また、実は夕方に合格の一報が出まして、、」
かつての15年前の上司でもある目の前にいる社長は続けてこう返事をした。
「おめでとう!良かったな!どこに受かったの?」
「カマガクです」
「げー、あいつら応援団がサザンの曲流すからうるさいんだよー」
社長は、神奈川の高校野球強豪校の出身だ。
「それにしても大変だったな」
「はい、人生で一番辛かったです」
一連の話を聞いていた、一緒に連れていった公立出身の若い女性の部下が言う。
「中学受験とは、そんなに辛いものなのですか?」
社長が私の返答を遮り、思っていたことを強い口調で話す。
「当たり前だ!!子どもと代わってやりたいぐらい、つらいんだよ!」
社長室から出た時に、スマホに来ていた妻からの写メに気づく。
そこには、逗子海岸の海を背景に全てを戦い切った勇者のバンザイをする全身が映っていた。
彼がやり残したことは何も無い。
ありがとう。
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- 今後も寄せられたドラマを、各カテゴリーに随時アップしていきます。