コラム・読み物

コラム・読み物トップへ

親と子の栄冠ドラマ -中学入試体験記-

関連キーワードへ

この記事の関連キーワード
心強い味方~日能研の応援グッズ~
志望校・併願校の選び方
過去問への取り組み
「困った時」「つらい時」は日能研に行く!
家族の支え・フォロー
日能研が心の支えになった

夢の挫折と、そのままを受け入れるということ

  • 年度:2026
  • 性別:男子
  • 執筆者:
我が家の初めての中学受験が、ついに幕を閉じた。

長男に、中学受験をさせてみようと考え始めたのは、3年生の春。

アレルギー体質で、独特のこだわりを持ち、融通が効かない性格。
言葉をはじめ、あらゆる技能の習得も周りの子より遅かった。

勉強系・運動系・芸術系と、さまざまな習い事をさせてみていたものの、どれも“こなす”の範疇を出ず、ハマることはなかった。

小学校入学直前にコロナ禍が降りかかり、入学式は辛うじて実施できたものの、翌日からは全面休校という、初めての就学にして、前代未聞の事態に見舞われた世代だった。

休校中に縄跳びの宿題が出ており、時間も有り余っていたため試しにやらせてみると、驚くほど跳べない。
親は縄跳びを跳べない感覚が分からないため、長男が何につまずいているのかが分からず、互いのストレスが募る。
その後も、逆上がりにつまずき、学校でもトラブル続きで、せめて勉強はできるようにと公文や市販のドリルをやらせていたものの、常に受け身で「やらされてる」勉強から脱却することはなかった。

そんな中、両親ともに中学受験の経験はなかったが、なんと楽天経由で送られてきたのが日能研のDMだった。
そこには、今まで知らなかった私学の魅力や、日能研という塾の「学びの本質を追求する」姿勢が見て取れた。

立地的に通いやすい場所に校舎があることが分かり、初めて全国テストを受けたのが、6月。

親子ともにほとんど何も分からない状態で、校舎の門を叩いた。
初めて解答用紙が別になっているテストを受けた長男だったが、感想は「楽しかった」と。

先生が解答用紙を見せてくれたが、日常会話も怪しい長男が、大きい記述欄に懸命に文字を書いていたことにまず驚いた。
それでも、私には不十分に見えた内容でも、先生が評価できるポイントを様々フィードバックしてくださり、もしかすると本人が伸びるかもしれないのはここなのかも?と、それまでiPadやYoutube以外の何にも積極的な関心を持たなかった息子に、一筋の可能性を見つけた瞬間だった。

その後、通塾を開始し、予科教室の授業内容が市販のドリルや公文と全く違うものであったことが功を奏し、難しい内容であることも多かったが、親子で行う塾の復習が生活の中心となっていった。

4年生に上がり、同級生が続々と入塾し、内容は勉強色が濃くなったが、通塾を苦にしたことはなく、地道に授業の復習を続けていた。
低学年の時から漢字を使う必要性をなかなか認識しない息子だったので(ひらがなで別に困らないじゃん、と)、語彙が圧倒的に不足しており、特に国語の読解でつまずいていたため、それまで親子の苦行と化していた音読に力を入れ始めた。
公文もいい加減にしか取り組んでいなかったため、100マス計算で計算力の補強をしながら試行錯誤で進めていた学習が、実を結び始めたのは、夏休みが明けた頃。

基礎受験で9の評定をコンスタントに取れるようになり、10月末に、初めて上のクラスへ上がった。

そこから5年生に上がる頃までは上り調子で、応用クラスのペースにも慣れ、通塾のコマ数が増えるのも苦とせず、すっかり日能研が第二の居場所となっていた。
勉強が分かるようになって自信が付いてきたのか、学校でも様々なことに積極的に取り組むようになったことは、影ながら一番の財産であったように思う。

5年生の前半に、憧れの学校ができた。栄光学園中学校だ。
また、小さい頃から馴染み深かった浅野中学校も、部活動見学でアーチェリー部の体験をした頃から、本格的な志望校となっていった。

偏差値的には全く届く位置ではなかったが、まだ時間はあるし、成績が上がっていた時期だったため、親子ともに夢を見るのも自然な流れであったように思う。

しかし、その後、成績は伸び悩んだ。
以前と同じように復習しているつもりでも、問題の難度が上がり、範囲も深度も拡大する一方で、復習が回らなくなっていった。

特に、一時期伸びていた国語は、ますます進む長文化と求められる語彙力に、ついていくのが精一杯となり、明らかに足を引っ張るようになっていった。

音読を習慣化するほどの時間も取れず、自転車操業でやりくりするような日々であったが、なんとか応用クラスにとどまり、上がったり下がったりの成績に親は一喜一憂し振り回される生活が続いた。

日特は2/1入試校のみの設定であったため、本人の成績でギリギリ基準を満たした日特に入ることはできたが、本命の栄光・浅野には別途研究講座が設けられており、こちらは受講基準がなかっため、彼は自分の成績を度外視して「どちらも受けたい」と言って譲らなかった。

入試問題の傾向が違うことも把握していたため、どちらか一方に絞った方が良いのではないか、と何度も説得したが、「ちゃんと頑張るから」の言葉を信じ、不安を抱えながらもフルコースで申し込みをした。

通常の日特に加え、合間を縫うように研究講座も入ってくる怒涛のスケジュールであったが、本人は楽しそうに通っていた。
しかしながら、ほとんど自宅学習する時間を取れなかったため、危機感を伝えたところ、ようやくそれまで頑なに拒んでいた朝学習の時間を数分でも毎日取ることを了承した。

過去問はなんとか週に一年分のペースで開始できたが、受験者平均すら遠い彼方。しかも、学校のレベルと本人の出来栄えに明確な相関も見られず、「どこだったら受かるのだろう?」と、データに押しつぶされそうになっている私を横目に、本人は「頑張るから」といつでも前向きであった。

日能研全国公開模試では「再考」8割、「可能」2割ほどの割合でしか2文字を見られず、BT表も次第に更新しなくなり、親の心は正直折れていたが、本人の心が折れることはなかった。

本命校の過去問は1月になっても受験者平均に数十点足りない、という絶望的な状況であったが、埼玉受験では大宮に前泊し、開智(所沢)中学校・埼玉栄中学校・栄東中学校の3校を受験した。
栄東は過去問の出来からも正直厳しいことは分かっていたが、開智を取れなかった場合、本格的に2月受験校の範囲を広げなければならないことを覚悟していた。

結果は、よく分からないまま同時出願していた開智所沢にも合格をいただき、栄東は2回目も最下位に近い成績での不合格であったが、内心「合格0を免れた!」と心底安堵した。※本人は開智に思い入れもなかったため、淡々とした受け止め。2月に向けてギアを入れてもらう必要があったため、栄東の不合格を重く受け止めるよう最後の圧をかけた。

それから、いよいよ2月の本命に全力投球できる状態となり、過去問も2週間で2年分ずつ進めたが、算数のアップダウンが激しい状況が改善せず、受験者平均との距離がやや縮まる程度であった。

追い打ちをかけるように、通学許容の第4志望校の過去問で入試数日前に国語で信じられない点数を取り、先生に報告するのもためらわれるほどで、もはや埼玉の喜び貯金は底をついていた。

それでも、壮行会は親もZOOMで拝聴して涙し、直近の過去問ではなくこれまで頑張ってきた本人の全てを今こそ信じる時だ、と気持ちを切り替え、2月の当日を迎えた。

持ち物や遅刻しないことに頭がいっぱいで応援ZOOMこそ入り損ねたが、それ以外では忘れ物もなく交通機関の遅れにも見舞われず、予定通り受験することができた。

送り出しの際、埼玉の時から、本人は「合格してくるね」と元気に手を振り、常に強気であった。
頼もしくもあったが、どこか現実味のない空元気のようにも見え、それでも、この数日間だけは不安を気取られないよう、本人のプラスになるような言葉しか掛けないことを心に誓った。

初日に押さえの第4志望を組み込み、もしダメだった場合は翌日も午前・午後の連戦を覚悟しなければならなかったが、結果は、合格。
親は湧き上がる喜びと安堵を抑えきれなかったが、本人は初戦でありこれから本命校の受験を控えているため、開智の時と同様、至って冷静であった。

しかし、ここからが彼の本当の試練であった。

1日午後、2日、3日、そして4日、初日を除く全ての受験校で、合格をいただけることはなかった。

3日の浅野の結果を見た時の彼の表情は、彼の人生で初めて見る表情であった。
呆然と、悲しみの涙を懸命に抑え込むような、光の少ない瞳であった。

日能研全国公開模試の合格判定では「再考(合格率20%以下)」しか見たことがなく、過去問も受験者平均に数十点届かないのが常であったにも関わらず、彼は本気で受かると思って臨んでいたようだった。

なぜ心折れずに立ち向かえるのか?と考えてみると、それは、”本気で望んでも手に入らない経験”を、衝撃を、まだ、知らなかったからなのだと思う。

まず、彼の人生で”本気で望んだもの”は、おそらく、“中学受験の志望校合格”が初めてのものだった。

初めてだったからこそ、叶わなかったことがないからこそ、純粋に願い、夢見て、現実との境が曖昧なまま、特攻できた。

その喪失の代償として刻まれた傷は大きく、正直、いまだに癒えたとは言えない。

2月半ばまでは、「ママ、繰上げ合格を祈っててね」と希望を捨てない(夢を見続けたい)態度を示し、正直無いだろうとは思っていたが、了承するしかなかった。

塾へ不合格の連絡を入れた際に、最初に出た言葉は、「もう騙さなくていいんだと安堵しました」だ。

これまで、日能研全国公開模試や過去問でどんなに悪い結果が出ても、それを事実として受け止めたようには到底見えないため、親がその厳しさを、険しい叱責とともに突きつけなければならなかった。
もしかすると、親が事実を突きつければ突きつけるほど、余計に受け入れ難くなり、さらに夢の中へ逃げ込むかのように、現実を受け入れなくなっていったのかもしれない。

しかし、本番の結果ばかりは、親が追及する必要性を感じないほどに、初めて、目の前の現実を自分事として受け止めざるを得なかった。

今さらどんなに願っても、結果は変わらない。
彼が憧れた学校に通える可能性は、無くなった。

よく、不合格を引きずるのは子どもよりも親の方だと見聞きするが、それは、本人以上に親の方がその学校への憧れが強かったり、偏差値が届いている受験であったケースでは無いだろうか。

我が家の場合は、結果は残念ながら見えていた(それでもショックはある)ため、まず親が立ち直って子を励ます必要があった。
やっと手を離れたと思ったのも束の間、まだまだ、有形無形のサポートは続いていくようだ。

手の放しどころを、相変わらず試行錯誤する日々である。

厳しい結末となった我が家の初めての中学受験だが、最後に、希望を感じるエピソードを紹介する。

本人が心から慕い、特にお世話になった算数の先生がいる。
W先生だ。

1月、合格手ぬぐいにメッセージを書いてもらうのはもちろん、他の生徒も思い思いのグッズに先生からサインをもらったりしていたようで、彼は、6年生で使用した算数の分厚いノートの表紙に、W先生のサインを書いてもらった。
毎回、どんなに持ち物が嵩んでバッグが重たくなっても、必ずそのノートは持って行っていた。

そのW先生に改めて挨拶に行った日、彼が渡した手紙の内容をこの場でこっそり紹介させていただければと思う。

「・・・合格した学校で、中学受験のことを活かして大学受験で良い結果を残せるようにがんばります。毎日の勉強や塾でたくさん良い経験ができたことは、ずっとずっと自分の心に残っています。体調に気をつけてこれからもがんばってください。」

いまだに有言不実行癖が染み付いてしまっている息子であるが、このメッセージだけは自分で裏切らずに、入学後、学校生活を充実させながら自分なりに全うできるとよいな、と、親としては、願ってやまない。


合格おめでとう!!がんばったね。
君の未来に幸多からんことを、心から願っています。
母は弁当作りがんばるね!!
今後も寄せられたドラマを、各カテゴリーに随時アップしていきます。
  • 前のドラマ
  • 次のドラマ

PageTop