私は3年生の予科教室から日能研に入塾しました。
入塾テストの成績はボロボロでしたが、マイファーストテストの直前に、家でお父さんに算数を教えてもらうことを繰り返したら、ほぼ毎回ノートがもらえるようになりました。
4年生、Mクラスでした。
社会と理科に苦戦しながらも、宿題をスケジュール通りにこなし、何とか成績は保ちました。
5年生、Mクラスでした。
算数でスランプになってしまい、後期はずっと算数の復習を繰り返しました。算数が落ち着いてきたと思ったら、社会の歴史が頭に入りきっていないことが発覚。忘れては詰め込んでの繰り返しでした。テストも多く、この時は本当に大変だったことを覚えています。
第一志望校を雙葉中学校に決めました。
6年生、これまたMクラスでした。
前期は国語の記述の特訓を繰り返し、担当の先生にはお世話になりました。ありがとうございました。
そしてとうとう夏休み、色々な思考の型に特化することを目標にとにかく多くの問題を解きました。夏休み最終日の模試で、偏差値69を記録することができました。
ここで確信しました。「私は、一度見たことをすぐに覚えられるような人ではない。今までや、この夏のように、復習を繰り返さないと実力が発揮できない。」と。
ここで室長の先生と相談し、第一志望校を女子学院中学校(以下、JGと表記)に変更しました。
自分の偏差値的にも少し厳しく、頑張っても五分五分だと父に喝を入れられました。だからこそ、女子学院日特では必死になりました。そのまま、ギリギリJGのR4に達成できないような偏差値を繰り返し、とうとう正月。
(ここからの内容は少しだけ、皆さんの参考になりにくいかもしれません。申し訳ございません。)
冬季講習は、最後の知識確認。そして、自分のペースで問題演習を繰り返しました。某W塾の志望校別の正月の講座に行ったりもして、自分に必要なことが色々とわかってきました。
1/14 午前 浦和明の星中学校 不合格
正直受かると思っていました。しかし一番初めの科目、国語が例年の過去問よりうまく解けなくて、その後もダラダラとそれを引きずってしまったような感じでした。不合格がわかった日に、母が緊急で市川中学校を併願してくれました。
数日しかありませんでしたが、過去問、切り替えの仕方、色々なパターンで練習しました。
1/20 午前 市川中学校 合格
安心しました。この結果が出てから、すぐ雙葉の追い込みを始めました。
今年はサンデーショックと言って、キリスト教の指向でJGが試験日程を2日にずらしたので、御三家の併願が可能となったのです。そのせいで、周辺の偏差値の学校の問題が急に難しくなったりしたわけです。
雙葉の国語、記述をひたすらに練習し、JGの理科社会の「広い視野」を鍛えました。
2/1 午前 雙葉中学校 合格
2/1 午後 広尾中学校 合格
ここまで知って、安心しました。
そして、2日目。案外、できた気がしました。「これどこかでやった気がする」という問題がほとんどでした。
2/2 午前 女子学院中学校 不合格
え。第一声がこれでした。できた気がする、というのは勘違いだったか。周りがレベルを上げてきたか。
本当はギリギリじゃなくてかなりの差があって落ちてるのかも。
普段あまり感情を表に出しませんが、母の隣で少し泣きました。
2/3 午前 筑波大学附属中学校 補欠合格のまま不合格
記念受験という感じだったので、補欠合格でも父に褒められました。
例年なら合格になった番号でしたが、今年はイレギュラーだったのか、不合格でした。
そして、雙葉の制服・体操服採寸があり、自分が第2志望の学校にいく実感が湧いてきました。
色々な方に申し訳ないですが、私は負けず嫌いな性格なので、第一志望の学校に行けなかったことが悔しい気もしました。
悔しさも薄れていって、残りの小学校生活を楽しもう!と受験の時に目標にしていた「切り替え」をすることができました。でも、2/9 午後 女子学院中学校 繰り上げ合格の電話
夢だと思いました。本当に嬉しかったです。 あ、「五分五分」だ。確かに。
やっぱり報われない努力はないと思いました。
最後に、4・5年生の頃の自分に言いたいことがあります。
「特に理科と社会の栄冠への道をちゃんとやっとけよー!! 何周してもいいからな!あれは!」
以上です。拙い文章を最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
あなたのお子様、またはあなたの努力が報われる日が来ますよう、心からお祈り申し上げます。
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