親は親、子は子であり、子の人生はどこまでいっても子の人生である。
「好きなようにしたらいいよ」
「自分で決めなさい」
「あなたが納得しているならそれでいい」
これらの言葉は、子どもの自主性を尊重した、愛ある親の台詞のように見える。
事実、私もこのような声掛けが子の成長を促すと信じて疑わなかった。
親の価値観を押し付けないことが大切、というのは世の常套句。
だが、「自由にしたらいい」という言葉が子に与える不安について、考えたことがあっただろうか。
相手に選択肢を与えているという体裁を隠れ蓑に、無意識、いや無自覚に、いつのまにか結局親のエゴを投影してしまっているのではないか。
この期間、どれほど私は子に対して、真に安心できる言葉を投げかけることができていたであろうか。すべてが終わった今も自問自答の日々である。
しかし、この中学受験を通して、私と息子は父と子という関係を越え、互いに独立した一人の人間としての信頼関係を構築することができたと思う。
そして息子は、本当に一人の人間として強く、強く成長した。
結果から述べると、
1月 大宮開成中学校○ 埼玉栄中学校○ 佐久長聖中学校○
2月 関東学院中学校(本命)○ 神奈川大学附属中学校(チャレンジ)○ 関東学院に進学
最終持ち偏差値 53(6年後半日能研全国公開模試の偏差値平均)
偏差値推移 入塾時40~4年終わり48~5年前半51~5年終わり52~6年平均53(最大値56)
であった。一般的にボリュームゾーンとされる立ち位置の中では、良い結果で終われたと思う。
この体験記のタイトルは「偏差値40からの挑戦~神大附属中合格までの道のり」である。
神奈川大付属中学校。広大な敷地で、のびのびとした学生生活、しっかりとした学習・進学サポート。親から見ても大変すばらしい、ぜひとも入ってほしいと思える学校である。しかし、息子は、結論として神大附属中に進学しなかった。そのあたりは追々。
「わたしが合格!?誕生!無敗の受験戦士」という、某女児向けアニメの第一話のようなタイトルも浮かんだのだが、それは娘(現在5歳)の合格体験記にとっておくこととする。
というわけで、5年後くらいに再び来るであろう娘の受験伴走に向けた備忘録として、私と息子の3年間の戦いの記録として、この体験記を残す。
もしもこれが、同じように受験という一大冒険に挑む親子の目に留まり、なにかしらの気づきや救いになってくれたのなら幸いである。
時系列的には遡る形で、以下、とめどなく書いてみる。
1.本番~2月受験
2.前受け~1月受験
3.6年生~本気モードへの突入
4.5年生~志望校の確定
5.4年生~手探りだった初年度
6.親として心がけていたこと
7.ゲームやスマホについて
8.おわりに
長文駄文ご容赦ください。
1.本番~2月受験
我が家の2月日程は随分と前、6年夏休み明けには確定していたように思う。
第一志望、関東学院中(以下、KGという)。揺るがぬ第一志望。小3から部活動としてマーチングバンドを始め、すっかり親子共々どっぷりマーチング沼に。中高に行ってもマーチングをしたい、ということで、それが叶う選択肢はほとんど限られていた。結果として、偏差値に振り回されることなく、早めに第一志望を固めることができたのは、日程を組むうえでも、また学習計画を立てるうえでも大きかった。
もう一つ目標とした学校が神奈川大附属中(以下、KUとする)。これは初日でKG合格していた場合、チャレンジとして受験する。もし不合格なら抑え校を受験しつつ、3日にKG再チャレンジという流れ。
2月1日 午前KG(1) 午後KG(2)
2月2日 午前 KUor抑え校(ダブル出願)
事前に出願していたのはここまで。R4はKGが51、KUが59、抑え校が45。過去問に取り組んでいたのもこの3校(1月受験校は別として)。持ち偏差値が53だから妥当といえば妥当な日程。
KGとKU、両方受かったらどっちに行くか。本人の中では圧倒的にKGでありつつも、「一応受かってみてから考える」とのこと。また、2日の抑え校の倍率がものすごいことになっていた(前年比で受験者数180%)ので、出願はしていなかったが、2日午後にもう1校別の抑え校を準備していた。
1月31日に前泊。自宅から1時間とかからない距離だが、KGの集合時間が8:00と早いため、ホテルをとった。ホテルからは5分の距離だ。ちょうど1年前の外部会場模試でKGが会場となった際、同じホテルに泊まり、近隣の食事処を把握するなどシミュレーションを万全に行った。
前日の31日の夕飯は、胃にやさしいものが食べたいと息子は和食を希望。近くにあってよかった夢庵。しかし注文したのはかつ丼。なぜ。母や妹とテレビ通話で激励を受けた後、21時半には就寝。
迎えた1日朝。5時半起床。ラジオ体操ののち、朝食。インスタントの味噌汁とお茶漬け。試験の日のいつものルーティーン。計算問題を軽く10分。ZOOMで塾の先生から応援をもらい、出立。
学校の入り口でお別れ。いつものように息子はあっさりとしている。ハグも握手もない。別れたあとも振り返らない。それでいい。余計な言葉もいらない。「いってらっしゃい」と一言だけ。
初日は午前と午後を同じ学校を受けたため、インターバルにホテルでゆっくりできたのが非常に大きかった。なんなら昼寝もできる(ホテルには連泊。2日目の学校にもホテルから向かった)。保護者も試験の最中、ホテルでゆっくりできたのがよかった。体力は温存できるにこしたことはない。
試験後、息子の表情は明るかった。これはすごく珍しいことだ。あまり手ごたえを表情や言葉に出すことはない彼が、こんな表情でいるのはよほど自信があるのか。しかし、決して「できた?」とは聞かない。聞いてはいけない。
午後の2科試験も終わり、午前の合格発表まで1時間半。先に夕飯に行くか、発表を見てから夕飯か決めかねていたが、落ち着かないので見てから行くことに。
そして19時。無事に合格の画面を確認したのであった。当然、とばかりに息子は反応薄め。涙を流して抱き合う二人・・・みたいなことは全然なかったが、これも私たちらしくてよい。
2日、7時前にチェックアウトし、KUの試験会場へ。12月に初めて過去問に取り組んだときは、合格最低点に40点届かず。埼玉の後に取り組んだ2回目で3点足りず。相性は悪くないし、この1か月でだいぶ追い上げたな、合否は半々だな、という感覚でいた。
本人的には気楽に受けた受験だったと思う。終わったあと、手ごたえはなく、絶対落ちてると、これまたあっさりしている息子だったが、当日20時、結果はまさかの合格。
集まれ!緊急家族会議だ!ど、どっちに行く??焦る私に対し、息子はあっさり「絶対KG」と。
確かに偏差値としては10近くKUの方が上だ。しかし、偏差値より、進学実績より、ずっとあこがれていたマーチングバンドに入るという夢をかなえるため、彼はがんばってきたのだ。
そうして、その日のうちにKGへの入金を済ませ、私たち家族の中学受験は幕を閉じた。
12月、本命であるKGの入試説明会では、算数の傾向が大きく変わること、社会・理科で準備してきてほしいこと(特に理科は具体的な単元まで)を教えてくれたので、どんな学校でもそうだが、入試説明会は必ず行くべきである。なんだかんだ文化祭などを含め、KGには5回以上足を運んだ。いろんな学校に足を運ぶ、ということはできなかったが、その分、KGに受かって通うんだという意識を強く持つことができたのかな、と思う。
過去問はKGを5年分(A・B・Cの全日程分)、KUを3年分、抑え校(未受験)を1年分。
KGについてはもっと遡ってやれるだけの過去問を集めてはいたが、算数の傾向(問題構成や問題数、配点)が大きく変わるほか、ここ数年で偏差値が急上昇しているため、それ以前の年度の問題が簡単すぎると感じたことから、5年分をやったのちは、適正~ちょいムズレベルの他校の過去問を演習に使うこととした。これが結果的には良かったと思っている。
KGのR4は51。息子の6年時平均偏差値は53くらいであり、模試でもR4を下回ったことは一度もなく、過去問も合格最低点を下回ったのは、フライング気味に8月にやってみたときの一度きり。世間的には、これは抑え校のレベルだと思う。ただ、ここを最大目標に設定してしまうと伸び悩むと思っていたため、「KGのR4偏差値+5の偏差値を目指して勉強する」というのを指針としていた。その意味で、神大附属中という存在は、キラキラと私たちの目標であり続けてくれた。
ありがとう、神大。
2.前受け~1月受験
1月受験の目的はシンプルに、力試しと2月本番のシミュレーション。
偏差値のレンジは45~55に設定。あえて不合格体験をするために受ける、という考え方ではないものの、少しチャレンジングな学校を受験したかった。
それが大宮開成。初戦ということで緊張もあったろう、初めて訪れる町で不安もあったろう。手ごたえのない様子(これはいつものこと)だったが、見事合格。これは保護者としては大いに精神的な支えとなった。これで行けるんじゃないか、と。
埼玉栄。これは2月1日のKG、午前4科・午後2科という流れをそっくりそのままシミュレートしたかった。あと、通うのは難しいが、埼玉栄も首都圏有数のマーチングバンド強豪校なのだ。ここを最上位の医学部コースの基準点を大幅に上回る得点で合格できたのも自信となった。
佐久長聖。地方校の東京受験。多くの首都圏受験生が力試しとして受験する。その空気に飲まれたか、3日目で疲れ切っていたのか、合格はしたものの、点数は振るわず・・・という結果となった。
いずれも点数開示がある、というのが非常に重要で。この時期、というよりもずっと、点数が安定せず不安を抱えていた国語が軒並みよくできていた。社会・理科も安定。とある学校では、社会で48/50という異次元の点数をたたき出していた。得意の単元が出るとこういうこともあるのが社会や理科のあなどれないところ(逆に怖いところでもある)。
一方で、算数が取れていなかった。よくて5割、といった有様。明らかに他の3教科に救われている格好である。再度問題を解き直したところ、計算ミスや問題の読み違えによる失点もありつつ、ちょっと基本から応用に踏み込んだような問題が解けていない。
この結果を受け、1月の後半は、勉強時間の6割を算数の演習に費やした。算数に対する自信をだいぶ回復した状態で2月を迎えることができたのは幸いだった。
また、日能研からは、頼めばいくらでも苦手な単元のプリントをもらえたので、直前期の演習として非常にありがたかった。
本気スイッチというものがあるならば。埼玉受験のあと、1月の後半になって、息子はそのスイッチが入ったように見えた。どこが、と問われると説明が難しいが、これまで、1週間ごとにやるべきタスクを二人で話し合いながら書き出し、それをもとに勉強していたが、この時期にきて、息子は日々の感触から、決められた予定を自ら微調整しながら、真に今の自分に必要な勉強をするようになっていた。これまで親が口出しをしすぎていたかな、もっと早く自立させられたんじゃないかという反省はあるが、とにもかくにも、この1月で息子は本番に向けて、静かに、しかし確実に集中力を増していったように思う。学力ということについては、他の子も同様に伸びているはずなので、やはりこの時期は、いかに本番に向けたいいイメージを積み上げることができるかが大事だと思った。
3.6年生~本気モードへの突入
この1月2月を迎える前、6年生の時はどう過ごしていたか。
親も息子も、11月までは相も変わらずマーチングバンドの活動に力を入れていた。なにしろ最後の大会なのだ。例年以上に練習、親は親で大道具作りなどに精を出していた。週末は、ひたすら大工仕事、ペンキ塗りをしていた記憶しかない。夏休みも、息子は午前中練習、午後は夏期講習と、当然私以上に忙しい日々を過ごすこととなった。
実は夏期講習というのを、6年生にして初めて受けた。それまでは練習と夏期講習が被っていて、どうしても夏期講習を受けられず、ひたすら家庭学習で乗り切った。
息子と決めた約束。勉強を理由にマーチングの練習をおろそかにしない。憧れの学校でマーチングをするために受験勉強をするのに、マーチングに手を抜くのであれば意味がない。「自分は受験勉強をしつつ、部活も最後まで全力でやった」という経験は、最後の最後、この学校に受かってマーチングをやるんだという、何よりも強い自分自身の支えとなるはずだと考えた。
6年時の日能研全国公開模試の偏差値は、前期が53~56、夏休み以後は51~54といった具合。夏休み以後は過去問に取り組み、模試よりもひたすらKGの問題形式に慣れることを意識していたため、KGでは出ないような単元をほとんど勉強してこなかった影響もあるかもしれない。
9月以降は、1週間単位で勉強スケジュールを作成。土日はマーチングの練習や大会やらでなかなか時間が取れない中、1週間で1年分の過去問(4科)をやるよう時間割を組み、なんとか11月までの3か月で、5年間×全日程(ABC)の過去問を一周することができた。ただし、本当にKGしかやってない。
この時期、塾では過去問で質問などがあれば先生が添削、コメント返しをしてくれるのだが、正直、息子はこれをあまり活用できなかった。質問シートを記入し、問題、答え、解説をそろえてファイルして提出、という作業がどうしてもできずにいた(それでも1年間分は提出したと思われる)。その時間が惜しいのか、そもそも整理整頓が苦手なのもあるが、普段からあまり先生へ質問にも行けないような子だ。
なので、私は本人と同じように過去問をすべて解き、テスト直しにとことん付き合った。問題の傾向、息子がよく間違えるパターンを把握し、その時々で必要な演習を選定。
12月以降は、大きな大会は終わり、ようやく勉強に集中。我が家では前述のとおり、1週間単位でTODOをまとめ壁に貼り、そこには「あと○週!」の文字が踊る。9月には「あと21週!」だったものがついに12月を迎えるにあたり、「あと9週!」となった。文字通りカウントダウン開始である。
ここでまず第一段階のスイッチが入った(と思う)。これまで、やると決めていた予定を消化しきれなかった時、やっていないのにやったとウソをつくことも、ままあった(やってないと怒られる、と思わせてしまう私の接し方にも問題があったと思う)。しかし、ここにきて、そういったウソやごまかしがなくなった。自分でやると決めたことにプライドと責任をもって取り組む姿勢がうかがえた。
4.5年生~志望校の確定
わが子が最終的にどこまで伸びるのか。これは本当にわからない。
「この子が行ける範囲の学校を目指します」というのは、現実的なようで、目標がふわっとしてしまう。
その点、うちの場合はやりたい部活があるという理由で5年生になる頃には志望校が固まったので、偏差値によって志望校を変える、ということがなかった。
もしもマーチングをやっていなかったら、志望校を決めるためにもっと色々学校を見学し、熱望校とも言うべき高い目標を設定し、出願直前で併願プランに悩む。そんな多くの家庭がたどる道を、同じようにたどっていただろうと思う。
SNSで、とある塾経営をしている方とコミュニケーションすることがあり、「どうしてもやりたい部活があって、そこの学校に受かるべく勉強しているんです」という話になった際、「すごく幸せな中学受験をしていますね」と言われた。
幸せな中学受験。
その言葉に、私は目の前が急にクリアになるような思いだった。つらいつらいと言われがちな中学受験だが、「やりたいことがあって」「目標に向かって頑張ることができる」という環境が、どれほど恵まれていて、そして幸せなことか、というのに遅まきながら気がついたのだ。
できれば息子にも自覚してほしかったが、親の口から「この環境に感謝しろよ」などとは言えない。ただ、その日を境に、焦る気持ちや苛立たしい気持ちにならず、穏やかに息子に接することができるようになった(100%ではない)、ような気がする。これは苦行じゃない、幸せになるための道のりなのだ。
5.4年生~手探りだった初年度
とはいえ、この道のりはやはり平坦というわけにはいかない。特に、受験勉強を始めたばかりの4年生時、私はとても良くない伴走をしていた。
この頃は、息子が通う学校のイメージを持てず、ただ漠然と上を、できるだけ上を目指せとばかり言っていた。まず入塾時の偏差値が40。一番下のクラスからである。ほどなくして中クラスには上がったが、そこから先は上位クラスに上がるどころか、下に落ちるか落ちないかのあたりの成績でとどまっていた。
息子が入塾前にしていた勉強といえば、公文に通っていたくらい。学年相応の進度で、特に先取りができていたわけではない。学習習慣の形成には一役かっていたかな、とは思う。
日能研に通い始めて、いざとなったら私は何でも教えられるし、どこまででも息子の学力を引き上げられると思っていた。自分の経験上、そう信じて疑わなかったのだが、今思えば大きな思い上がりだ。
ここで冒頭の話に戻ると、親は親、子は子であり、人生は別であるということ。自分の成功体験に固執しても良いことなど何もない、というのをこの時期に痛感することとなる。
自分も公文を幼少期より始め、小学生のうちに、国語・算数とも高校の範囲を終えていた。勉強するのが性に合っていたのだろう。当時は中学受験する人口もずっと少なかった地方で、私は中高一貫校に入り、東大入学に伴い上京。それまでの人生で、これはもう本当に嫌な書き方でなってしまうが、勉強というものに苦労したことも、つらいと思ったこともほとんどなかった。
そんな男がたどり着く最悪の思想。きっと息子もできる。なぜなら自分ができたのだから。
これが大変息子を苦しめた。勉強は嫌だ、もうやめる、とはついぞ言わなかった息子だが、言いたいことがあっても涙をたたえてじっと我慢する、そんなふうにしてしまったのは私の責任だ。
テストの成績だけをみて頭ごなしに叱る、ということはしてこなかったつもりだが、一緒に宿題やテスト直しをする中、ついついどうしてこんなのができないのかと憤る、勉強しているかどうかガチガチに監視しているかと思えば、急にもう自由に好きにやりなよ、と突き放す。
ある日、目を真っ赤にしながら机に向かう息子のそばで、プリントをくしゃくしゃに握りつぶしている私、その光景を見た妻からの「あなたはこの子を一体どうしたいの?」という一言。
薄々気づいてはいた。こんなやり方ではいけないということに。そしてようやく私はこれまでの自分を振り返り、謝罪し、今一度、この受験勉強を経て何を成したいのか、息子と話し合った。
子どもである。親の期待に応えたい、という気持ちがないわけがないのだ。そこにつけこんで甘えてしまっていた自分がいた。
傷つけてしまったことはもう取り返しがつかない。恥も叱責も承知でこのようなことを赤裸々と書いたのは、もしも今、受験がつらいと感じていたら、どうしようもなく子どもにきつくあたってしまっていたら、この愚かな男のことを思い出し、立ち止まってみてほしいから。親と子の受験を、かけがえのない、幸せな思い出にするために。
6.親として心がけていたこと
こんな流れで、親として心がけていたこと、なんて言えた口ではないが、熱くなりやすい性格というのは自覚していたので、ほんとうにしっかりと伝えたいこと、などは手紙にして渡すようにした。もう二度とカッとなって怒ったりしない、反省した!とは言っても、そんなのは口だけかもしれないのだ。なので、一度手紙を書くという行為に落とし込むことで、冷静に言葉を選ぶことができるようになった。
物理的に近すぎず、離れすぎず、距離感をうまく測ること。これが何より大切で、何より難しい。今回は父親×息子という関係だったが、これが異性同士だとまた違って難しいのだろうな、と思う。
伴走面では、何よりもテスト直し(過去問直し)を重要視した。宿題や塾の復習など、なにもかにも完璧は到底無理だということに気づいてからは、とにかく直しだけは丁寧にやることを意識。
計算ミスなどのケアレスミスであっても、「次からは気をつける」ですまさない。強く言いすぎないために手紙を活用する、というのと同様、反省と「具体的な改善策」は必ずセットだ。
あとは、これも本番が近づいた時期にようやく心がけることができたことなのだが、できないことよりできていることに目を向け、ほめてやること。どうしても我が子の弱点をケアしてあげなきゃと思うあまり、できてないことばかり取り上げ、ああしろこうしろと言ってしまいがち。
親が思うより、子は自分が苦手なところ、というものを自己認識している。模試や過去問で良い点をとったとしても、重要なのは本番においてもそれを再現できるかどうか。たまたまできた、ということもある。自分はなぜ点をとれたのか、どう解いたのか、それを言語化して説明できて、はじめて再現性があると判断できる。
分からないところを教える、というのはある意味簡単。「すごい、できてるじゃん。これどうやって解いたの?」という問いかけ。これが大事。
あとは、問題が解けない、テストが悪い、なんてことでは怒らないようになったが、一貫してこれだけは怒るからね!と伝えていたのは、やってないのにやったと言うウソ。これだけはマジで誰のためにもならない、不幸しか生まないウソなのでしないように、ということ。
大丈夫。ほんとのこと言って。やってなくても怒らないから。←何度となく繰り返されたセリフ
そして妻は、勉強のことは私と息子に任せてくれて、むしろ時にやりすぎな我々にブレーキをかけてくれる存在だった。もう勉強はいいから早く寝なさい。これを言ってくれる親がいる、というのは、とてもとても大切なこと。
7.ゲームやスマホについて
ご家庭により方針や環境は様々だと思うが、うちはiPadやスマホ(きっずケータイでない、普通のiPhone)は5年生になる前から与え、ゲーム(ニンテンドースイッチ)も最後まで禁止にはしなかった。
いずれこういったICT機器やゲームには触れることになるのだから、触れさせるなら早いうちに、そして使用のルールを親子で考え、納得をしたうえでそれを守る、という方針だ。
どれだけ使っていたか、は親に分かるようにしてたので、もちろんやるべきことをせず、ダラダラとYouTubeをみたり、ゲームを長々とやっていたりすることも多々あったが、「こっちはお見通しだからね」「それでいいのか自分で考えなさい」というスタンス。6年になり、自然とスマホやゲームに触る時間は減り、それで「ああ、だんだん本気になってきたな」と判断するバロメーターにしていた。
しかし、6年後半になり、さすがにゲームは禁止にしようかな?とも思ったが、11月にとあるソフトが発売ということで、それはやらざるをえない・・・と。息子が愛してやまないカービィの新作、カービィのエアライダーである。カービィはかわいいから仕方ない。そしてなんでも吸い込み、コピーして自分のものとしてしまう能力。すばらしい。息子もカービィになれたなら。まずはメモリーチェックとか吸い込んでほしい。
でもこればっかりは各ご家庭の方針なので。たまたま、うちは親もゲームをやる、自然とゲームをやるときは一緒に、という感じで、1人でコソコソやりたがる、というマインドにはならなかった。過度に制限をしていなかったので、受験が終わった今も、幸いゲームやYouTubeにのめり込むということはなく今までどおりの付き合い方だし、日に2時間程度の学習習慣が続いている。
8.おわりに
最近では、大学入試共通テストをAIに解かせたら満点続出、なんて話を耳にする。じゃあ勉強って不要なのでは?と思いがちだけれど、逆にAIが誰でも使えるツールになるのなら、AIを使いこなすための知識・理解の高い人ほど、より質の高い出力を得られる。つまり、AIの登場によって、勉強ができる・できないの差は、これまで以上に広がる格差となってしまうということ。
親の自分が中学受験をした時より、随分と問題は難しくなり、過酷になったようにも思えるけれど、それでも勉強の本質は、未知なるものを学ぶことの楽しさ、であることは変わらないと思っていて。どんなに時代が代わり、AIなどが発達したとしても、そして中学受験が終わったとしても、親としてはこれからも、勉強することの楽しさ、新しい刺激や体験なんかを、子どもに与えていけたらいいなと思う。
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