僕が塾に通い始めたのは、3年生の後期からです。1年間費用が掛からず塾に行けると聞いて「行ってみようかな」と思ったことがきっかけです。
初めは日能研のことを何もわからず、不安も大きかったけれど、温厚で楽しい授業をしてくれる先生や、優しい友達のおかげで、すぐに馴染むことができました。
4年生になると、科目は4教科、授業回数は増え時間も延び、一段と大変になりました。先生も変わったのでどきどきしていましたが、実験器具を使い説明してくれる理科の先生や、例を出して説明してくれる社会の先生がいて、授業がわかりやすくて安心しました。ですが、日能研全国公開模試では成績が伸び悩み、それまでいたTMクラスから落ちてしまいました。しかし、友達が「また上がって来いよ!」と励ましてくれたので「絶対に上がってみせるぞ!」と一生懸命勉強したら、2か月で戻ることができました。
僕はもともと小学校受験をしていて、付属の中学校があったので、受験をするつもりはありませんでした。しかし、お父さんに「武蔵中学校の文化祭に行ってみるか」と言われ、「まあ僕とは程遠いけれど見るだけ見ようかな」と見に行ったら、思いのほか文化祭が楽しく、「武蔵中学校に行くのもいいかな!」と思いました。その後も、お父さんは「麻布中学校!」「開成中学校!」「筑波大学附属駒場中学校!」と言ってたくさんの学校の文化祭に僕のことを連れて行き、その度に僕は「お父さんの方が文化祭を楽しんでいるんじゃないかな?」と感じていました。
そして、その学校の文化祭の中で、僕は開成中学校に魅力を感じました。鉄道研究部が自分で計画を立ててどこかに行っているところや、サッカー部が強そうなところ、グラウンドが芝で広く校舎がきれいなところを見て、「僕もあそこに行ってみたい!」と思いました。その時から僕は開成中学校を目指すことにしました。
けれどもそこからが大変でした。まず、6年生前期最後1回の日能研全国公開模試を残して開成日特を受講できる偏差値に届かず、やっとの思いで開成日特に参加できたものの2クラス中の下のクラスでスタート。他塾の開成模試も2回とも合格可能性30%。開成受験をあきらめようかと思ったほどでした。けれども何とか挽回して開成日特の1度あったクラス替えで上のクラスに上がることができ、12月の最後の日能研全国公開模試では自己ベストの順位を出して終えることができました。
「これは受験が成功するのではないか」と油断したのが仇となったのか、自分の実力不足だったのか、1月に初めて受けた学校に落ちてしまいました。手ごたえを感じていただけにメンタルはボロボロ。そんな時、僕を支えてくれたのは大好きな「プール」です。1時間サクッと泳いで、気持ちを切り替えることができました。上手にメンタル回復し、気持ちを切り替えられたのが良かったのか、続く別の学校には特待で合格できました。休んでいた小学校にも久しぶりに顔を出すことができ、うれしかったです。
だがしかし、その後受験はそう甘くないと思い知らされます。1月最後の千葉難関校受験では自信があったものの落ちてしまいました。1月は他塾の直前模試に5回挑んだものの、全敗。合格可能性は一番良くても40%、悪くて20%という結果。でもあきらめず、昔の開成の過去問など、開成の形式でできる問題を、朝から晩まで手あたり次第こなしました。
そして試験前日。「良く寝て当日すっきり起き、ベストパフォーマンスで臨めば受かるよ」とお父さんお母さんが励ましてくれました。そこで思いついたのが「プール」で泳ぐこと。最初の不合格の時と同じように1時間サクッと泳いで元気に家に帰り、晩御飯にお鍋を食べて家でしっかり寝ました。
当日はやはり緊張しました。僕は「4年間で身に着けたすべてのことを出し切るぞ!」という意気込みでテストを受けました。
合格発表の2月3日、僕は他校の入試を受けてから結果を見ました。お母さんが申し込みの番号を忘れ、しばらく開けませんでした。結果が出た時、僕はほっとしたような、うれしいような声で「受かったぁ」と言ったそうです。すぐに日能研の先生に電話をしたところ、先生も上ずった口調で喜んでくれました。僕の受験は結局7戦5勝でした。
3年生の時、たった8個の漢字を書きとる宿題を多いと言って泣いていた僕が、開成に合格できたのは、授業をしてくれた日能研の先生やお父さんお母さん、また友達や学校の先生など、僕を支えてくれたたくさんの人のおかげであり、何よりも僕の頑張りの成果だと思いました。
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